3-5.虚影な邂逅
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遥空が洗面所から戻って来た後、すぐ解散にした。
目的は果たしたし終電にも間に合う。落ち着くまでは、あのまま二人が顔を突き合わせているのは良くないだろうし。
そんなわけで、元義兄に冷たい態度を取り続ける怪我人は休ませておいて、元義妹に散々に馬鹿呼ばわりされた方向音痴を駅まで送っている現在。
「殴られた所、どんな感じ?」
「奥歯がちとぐらついてるし、血の味がする。喧嘩で殴られんのには慣れたが、今までで一番痛ぇ」
自爆するぐらいの威力だったから、だけじゃないんだろうな。
「挟倉が、壊したとか後悔してるとかって、何の話?」
「…………」
「別にカイネの事を聞こうってのじゃないよ。あくまで挟倉の話」
少し迷うような素振りは見せたが、僕に対する義理というやつなんだろう。訥々と話してくれた。
「親父の再婚相手、あいつの母親との離婚を迫ったの、俺なんだ」
「離婚を迫った? なんでまた」
「ワケはまぁ、二つある。一つは、あいつと他人になりたかった。義理っつっても相手が妹じゃ、どうしようもねぇだろ?」
なるほど。さっきの話の流れでもそうだったけど、昼前にはっきりと好意を口にしていた。そして目論見は叶わず、正真正銘他人になってしまった、と。
兄妹だからとか気にするタマでもないと思うけど、その頃はそうでもなかったのかな。むしろ、それがきっかけで先生との関係に至ったのかもしれない。
「もひとつは……あいつの母親の事、嫌いだったんだ」
カイネが母親の話題を出していた時、たしかに遥空は不機嫌そうにしていた。
「それに、許せねえ事してるとこ見ちまって……結構キレてたと思う。別れろっつったのと、親父の複雑そうな顔以外、憶えてねえ」
そう言って遥空は、カイネに殴られた頬を、自分の平手ではたいた。
「でもあいつの言う通り、馬鹿なんだよな俺。離婚させたからってどうにもなんなかったし、その後のこと考えたら、たしかに後悔しかねえ」
「……許せない事とか、離婚した後の事って、訊いてもいい話?」
「……悪い。どっちも俺だけの話じゃ済まなくなる。もし話しても、あのクソ女への暴言ばっかになっちまう。そーゆーのは、もうよくねえ。だから勘弁してくれ」
もう? それはどういう意味かと訊こうと思ったが、駅に着いてしまった。
しかし遥空は改札に向かわず、立ち止まってしばらく何かを考え込むと、取り出したスマホを操作し始めた。
「あくまで俺の話だから、言っとく。俺が課題ほったらかして学校にも行かなかったのは、行方不明になっちまったあいつを捜してたからだ」
遥空がスマホをしまうと同時、僕のにメッセージが届く。
「いま送った記事を見て、な。普段ニュースなんか見ねえから、親父が仕事の合間に見つけたのを教えてもらったんだけどよ」
「何の記事?」
「……まあ、今日はサンキュ。課題手伝ってもらったし、あいつの顔見れて、半分安心した。また学校でな」
答えずにそれだけ言って、遥空は背を向けて改札に向かっていった。
なんだろう。遥空に送られたURLを開いて、思わず息を呑む。
記事の見出しを読んで脳裏をよぎったのは、鞄に詰め込まれた大金。
画面に浮かぶ文字が示すのは、カイネと出会った日に都内で起こった事件。
強盗殺人事件だった。
●
落ち着いた環境で読むため、自宅に帰って風呂に浸かりながら、スマホで遥空に送られたニュース記事を見る。
普段は風呂でスマホなど使わないのだが、カイネを意識からシャットアウトしたかった。自室ではどうしても生活音が聞こえてしまう時がある。
自然と、情報を見落とさないよう繰り返し記事を読んでしまう。
概要はこんなところだ。
某日朝方、都内の住宅で刺殺体が発見された。被害者は二名。
金融業経営者の男性、
その妻、香込
殺害現場は二人が居住する自宅。室内は何者かが荒らした形跡があり、金庫が開けられ中身が空になっていた。
殺害された嶺音氏は、指定暴力団と協力関係にある準構成員という情報があり、経営する会社もいわゆる闇金の疑いが持たれている。
解錠された金庫は破壊しようとした痕跡がない事から、暗証番号を知る機会のある者の犯行と見られている。
前述の反社会勢力との関係や闇金疑惑から、動機は仕事上のトラブルと見られているが、殺害された二名の遺体には刃物による無数の傷があり、怨恨の可能性もあるとされている。
警察はこれらの事から、殺害を主な目的とした強盗殺人として捜査を進めている。
あわせて、高校一年生の長女、香込
おおまかにはそんな内容。
……
だがこのニュースを見て、遥空の態度の諸々にも合点がいった。
彼女が犯人に誘拐されたのでなく無事であった事。こんな事件があったのでは、安心するというのも肯ける。何気なく口にしていた、半分、というのも。
しかし妙に感じる記事だ。まず、妻の年齢が若すぎる。
夫も充分に若いが納得出来るし、長女が父の連れ子ならば整合性はある。しかし遥空に聞いた限りでは、むしろ母の連れ子であるはずだ。普通に考えれば、十六歳の娘を持つ母親が三十歳なわけはないが……
それと、会音という名前、父の嶺音と母の霧会から一字ずつ取られているのは、偶然か?
……気にはなるが明日に回すべきだったろうか。遥空の課題で無視できない疲労を蓄積した頭には、情報が足りないし錯綜していて、面倒すぎる構造だ。
なにより問題なのは、この家族関係よりも――
ガララ、と戸が開く……これは予想外だったな。
スマホをスリープ状態にしながら呆れる。穿孔とボクサー骨折を負っておいて入るか普通。
「当分、お風呂もシャワーも控えた方がいいと思うんだけど」
「年頃の女の子にそんなこと言うなんて、ひどい人です」
いつぞやのように乱入してきたカイネは、左手にゴム手袋を嵌めて手首の部分をガムテープで塞いでいた。不自由だろうに片手だけで身体を洗っていく。
「お風呂にスマホ持ち込むなんて珍しいですね」
「挟倉に一日潰されちゃったから、リフレッシュついでに色々見てたんだよ」
「ふーん?」
訝しげな反応はしつつも、詮索はしてこなかった。
一通り洗い終えると、当然のように湯船に浸かってくる。前回と違って、向かい合う形で。
「挟倉家にいた頃も、こんな感じだったの?」
「お風呂にご一緒する事ですか? まさか。まともな親子でしたから、多少猫かぶるぐらいはしていましたよ」
「僕はまともじゃないって? 心外だ」
「自殺願望があって計画も立てる人を、まともとは言わないと思うんです」
「ごもっとも」
唐突に「あれ」とカイネが小さく声をあげて、細く白い脚を伸ばしてくる。
爪先でつついて、軽く踏むように足裏で圧迫してきた。
「今日は柔らかいですね」
器用に撫でるような事をしてくるが、あの記事を見たばかりで、彼女にそんな感覚を抱けるわけもない。
「僕、足でされる趣味ないし」
「一生童貞貫くつもりの人に性癖を語られましても」
「そんな事より、傷、悪化しても知らないよ」
一応は湯船に直接つけないようにはしているらしい左手を、ひらひら振る。
「最悪、病院に行くハメになっても困るのは私ですし、自業自得と思って覚悟決めます」
「そうなると僕も困る。誘拐犯扱いされたらかなわない」
「そんなのは最初からでしょう?」
カイネの言う通り、家出少女を住まわせた時点で、その可能性は孕み続けている。
きな臭いのは承知の上で、彼女が知られたくない部分に干渉するつもりはなかった。だが、今日垣間見えた事情は、知らないまま看過するにはリスクが勝ちすぎる。
「最初から今も変わってないね。でも、誘拐犯になるって事は、強盗殺人の容疑者と見做される。濡れ衣としては重たい」
カイネは足での悪ふざけをやめ、静かに僕を見据えた。
「……遥空さんですね。ま、あなたと繋がりがあったなんて奇跡的な偶然の産物ですし、文句言う筋合いもないですけど」
遠回しな物言いに、カイネも遠回しに認めた。香込会音という少女である事を。
僕に対して、彼女は、どこまでカイネという名のベールを脱いでいくのだろう。
「……話は逸れるけど、カイネ、もし僕が君に殺して欲しいと言ったら、実行する?」
「あなたがしたいのは自殺だったのでは? それは承諾殺人ですよ」
「死にたいのは僕の我儘だから、僕以外が責任を負うべきじゃないと思っているからだよ。その重責を負ってくれる人がいるなら、任せるのはやぶさかじゃない」
探るような視線。長い睫毛が縁取る大きな目は、何度かの瞬きがはっきりと見えた。
「……構いませんよ。ただ、協力者がいなくなってしまうと困りますから、私の目標の目処がついてからになりますけど」
「引き受けはするんだね。殺す事に躊躇がないのは、殺した事があるから?」
形もわからない幸せを掴むために、その手を血で染める事も顧みないのか。
カイネはいつものように、小さな妖しい笑みを浮かべる。
「望みを叶えるお手伝いをするのは、ごく普通の事だと思いますよ?」
遥空との接点が明らかになった上で、こんな血なまぐさい話題を出しているのだ。カイネはきっと察している。自分がどんな立ち位置だと思われているのか。
遥空もわかっているのだろうが、良く言えば配慮された、悪く言えば意地の悪い記事だ。
香込家の長女が犯人に誘拐された可能性を踏まえているのは本当だと思うが、あくまで視野に入れているに過ぎない。
彼女の行方を警察が追っているのなら、私欲のために命を奪う事を厭わない非道な殺人者に攫われ、どんな目に合っているかもわからない哀れな少女を救うためじゃない。
行方の知れなくなった香込会音こそが最重要参考人、もとい容疑者筆頭だから。
「知りたいですか?」
一糸まとわぬ姿、艶然と微笑む唇、耳元で囁くような声。
問いかけてくるカイネは、疑念さえなければ、誘惑しているようにも捉えられた。
「私の事、知りたいですか? 失踪した香込会音という女の子のお話を」
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