3-2.虚影な邂逅
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「悪ィ、変なトコ見せた」
目にはまだ赤が残っていて、詫びる声も詰まっていた。
「んで……どういう事なんだ? なんであいつが、篠咲ん家に居候なんかしてる?」
「訊きたいのは僕もだよ。挟倉は一人っ子だって前に聞いたけど」
話題の中心であるカイネは眠気も吹き飛んだらしく、いつも通り歯を磨いて顔を洗い、いまは自室に着替えに戻っている。
「……中学ん時に親父が再婚して、義理の兄妹だった時期があんだよ。短い間だが」
昔に母親を亡くした話は聞いたことがあるが、再婚の件は初耳だった。
「それだけ? さっきの反応、久しぶりに会ったから、なんてレベルじゃなかったよね」
「…………」
遥空は答えず、眉間に深く皺を寄せた。言うのを迷っているのか、別の何かか。
カイネが部屋から出てくる。ラフな外着と、外出用の帽子と眼鏡を身に着けて。
「ん、出かけるの?」
「煙草が切れそうなので、ちょっとコンビニまで。それと朝ごはん食べ損なっちゃいましたから、おにぎりでも買ってきます」
「俺も行く」
立ち上がろうとする遥空を、カイネがやんわり制した。
「課題をしに来たんでしょう? ちゃんとやらなきゃダメですよ」
「……俺も、腹減ったんだよ」
歯切れの悪さはいかにも言い訳っぽかった。
「たまごツナサンド、ついでに買ってきますよ。あれ二つ一緒に食べるの、好きでしたよね」
小さく笑ってみせると、カイネはひらひら手を振って出て行く。
玄関が閉まる音を聞き届けると、遥空は柔和な笑みを浮かべた。そういう表情は、つるむようになって初めて見た。いつも仏頂面だから。
「よく憶えてんなぁ。帽子とか眼鏡とか、らしくねーけど、似合ってんじゃん」
初めて見る嬉しそうな顔には覚えがあった。僕には無縁だけれど、周りではしばしば目にする、共通項のある表情。
スマホが震えたので見てみると、外に出たばかりのカイネからメッセージが届いていた。
『私が死にたいと思っているのを彼は知りませんから、秘密にしてくださいね』
念の為、ってところか。当然の事だし、僕も同じだ。
「……あー、あのさ、あいつ、居候してるっつーけど、なんつか、その、篠咲とは――」
「気になる?」
頭を掻きながらそわそわする遥空に、ついからかうように言ってみたら、口をへの字に曲げた。思わず笑ってしまう。友人の珍しい一面を見るのは、素直に面白い。
「本当にただの居候。挟倉が気にしてるようなのはないよ」
事に及んでいないだけ、とも捉えられる実態は、伝えない方がいいだろうな。
「そ、そう、か……そんな気にしてるように見えたか?」
「すごく。正直意外だったけどね、挟倉がアオハルしてるの」
野暮な話だけど、常に気だるげな仏頂面で、幼馴染の先生と爛れた関係を持っているのだから、こういう年相応な部分は本当に意外だ。
「うるせえ。新しい家族っつって顔合わせして、一目惚れっつか……ぬぁ、ハズいワードだな」
義妹相手に、か。カイネがその頃からあんな振る舞いだとしたら、色々大変そうだ。
だがそうなると、何もないとは言っても、僕が一つ屋根の下に住んでいる現状は気がかりだろうな。
遥空に、カイネが居候するに至った経緯を説明する。もちろん、互いの自殺についての協力関係は伏せて、あくまで宿無しの彼女を善意で住まわせている、という体で。
「あいつと会った、その日って……」
聞き終わった遥空は何かを考え込み始めたが、結局その続きは言わなかった。
カイネと出会った日に何かあっただろうかと思い返してみると、ふと引っかかった。
初めて言葉を交わす前、彼女はスマホを川に投げ捨てた。着信音であろうピアノの旋律を鳴らすスマホを。
……あれが遥空からの電話だったとは限らないが、言わない方がいいだろうな。少なくとも、自ら連絡手段を断った理由を知らない間は。
「……でもま、あいつなのは色々アレだけどよ、いまお前に、同居人がいて良かった」
「ん?」
「お前の親が死んじまった時、借りある癖に、俺は何もできなかったし。あれから家じゃ、ぼっちだったろ」
その事について、親戚以外では遥空が一番気にかけてくれていたように思う。彼自身、母親を失った事があるから。
「ま、たしかに一人でいるよりは楽しいよ」
昨晩のような、何をしでかすかわからない気苦労はあるけど、前向きに見ればそれも一人では経験しえないものだ。
「ところでよ、カイネって名前、あいつが自分で言ったのか?」
「そうだけど。多分、即興の偽名」
「そか、センスねーな。あいつの本当の名前って――」
おかしそうに言う遥空を「待った」と手で制する。
「ここに住み始めて三週間ぐらいになるけど、僕が知ってるのは、カイネっていう偽名と、僕らより一つ歳下って事だけ」
細かい部分を挙げればキリがないが、プロフィールとして知っているのは、本当にそれだけ。
「コンビニ行くだけなのに、わざわざ帽子かぶって伊達眼鏡かけてたのは見たでしょ。カイネは素性を隠したがっているし、そのスタンスも徹底している。今日の事で気が変わるかもしれないけど、それでも挟倉の口からあの子の事を聞くわけにはいかない」
むしろ、希死願望も含め核心的な部分は遥空も知らないのだと信じたい。
遥空は少し黙考したのち「そうだな」と神妙に頷いた。
「さておき、そろそろ課題始めるよ。カイネが帰ってきてまだ手も付けてなかったら、僕まで怒られるかも」
「……課題、やる気分じゃねえなー……」
背もたれに深く身を預け、完全に脱力した様子で天を仰いだ。気持ちはわかるが。
「そんな気分になった事ないでしょどうせ。挟倉が後輩になるのはなんか嫌だし、お父さんの心労を増やすものじゃないよ」
「……だー、これ以上親父に迷惑かけらんねえしなー……」
とりあえず簡単なのから手を付けていくか、と現代文のノートを広げて一応は着手する姿勢を見せながら、「なあ、いっこだけ」と遥空が口を開く。
「あいつ……カイネ、手に包帯巻いてたろ。怪我でもしてんの?」
「うん。それがどうかした?」
いやまあ、気にはなるか。寝る前に包帯とガーゼを替えて、就寝中に傷が開いたという事もなかったようだから、血も滲んでいないし大きな怪我には見えないと思うが。
「怪我したのって、いつ頃だ?」
一瞬、答えに詰まる。つい昨晩の事だが、自傷したのだとは話せない。
「お前と会った時には、もう怪我してたか」
「……? いや、最近の事だけど」
会った時って、この家に来た日か。包帯を使うような怪我なら、たしかに治るまで時間はかかるが……
「そか。なら、いいや」
そう言って、一応は真剣さを取り戻して手元に目を落とした。なんだったのだろう。
「……いや、良くねえよ。なんで怪我したんだ」
その切り替えに若干呆れつつ、適当にでっち上げた。食事を作ってくれようとして包丁でうっかり、と。
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