3-1.虚影な邂逅
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最寄り駅の切符売り場近く、改札が見える位置の壁際に立って、予定を練る。
いまは午前中だが、さしあたり今日は自殺考察を諦めるしかない。そしておそらく予定が潰れるのは今日だけでは済まないから、何かしら準備に取り掛かれるとしても飛び飛びになってしまう。
尤も、時間が有り余っていたところで実のある結果が得られる保証はないから、この事態に、呆れはすれど目くじらを立てる程でもない。
ただ、カイネには申し訳ない事をしたと思う。
「来客、ですか」
小さいとはいえ風穴の空いた手で、再びゲームプレイに戻ったカイネ。
「そう。急なんだけど、カイネの事は誰にも言ってないから……」
「その方がありがたいですよ。今後も。こちらもお世話になっている身ですから、こういう時ぐらいは外で過ごします」
「助かる」
立場上こちらが気を遣う必要もないといえばないのだが、最初に対等な関係であるように言った手前、怪我人を外に放り出すのは純粋に気が引ける。
「泊まりになります?」
「日曜だし、なるかもしれない」
「……女の子?」
「こないだの話、聞いてた?」
「冗談ですよ。ま、そうなったらそうなったで、過ごし方は私も考えておきます」
そんな昨日のやり取りを思い出していると、改札から長身の客人が出てきて、こちらをすぐに見つけると歩み寄ってくる。
「……ねみぃ」
「人を呼び付けておいて一言目にそれ?」
「わかってる。色々すまん。迎えに来なくても良かったんだが」
「一人でうちに辿り着けるようになってから言ってよ、この方向音痴」
僕の家に向かって、遥空と並んで歩く。
このご時世に地図アプリを読めず、何度も来ている場所にまっすぐ行けないレベルなのだから相当だ。いい加減一人でも大丈夫だろうとたかを括ったことは過去にあるが、その時は行方不明になった遥空を捜し回るハメになった。
「……いや、ホント悪い。借りが増えてばっかで」
「気にするなって何度も言ってるのに」
「気にするだろ。俺みてーなろくでなしでも、意地があんだ」
「……意地、ねぇ」
カイネの存在があるからこっちが挟倉家に行くと提案したのを、頼み事をした上に家に来させるわけにはいかないと固辞し、結局迎えに行く必要が生じたのも、意地か。
まあそこで押し切るのも不自然ではあったし、カイネには手間をかけてもらったわけだが。
「で、どれぐらい残ってるの、課題」
この度増える事になった貸しというのは、夏休みの課題である。とっくに夏休みは終わったのに、だ。
カイネのショッキングな奇行の直後に、助けてくれ、などというメッセージを送られたせいで鬼気迫るものを感じてしまったが、蓋を開けてみればただの怠慢だった。
「……全部残ってる。ちな、期限は来週中」
「…………」
「最後に片付ける派なんだよ。でも、その、なんだ、急用? で手ぇ付けられなかった」
「……諦めが肝心、って良い言葉だよね」
僕が代わりに今日一杯使えば全部片付けられるだろうけど、確実にバレる。遥空の書く字は芸術的な汚さで真似できないから。
「見捨てないでくれ頼む。二年になってから一回停学食らってるし、ここでやらかしたら留年にリーチかかる」
まだ二学期始まったばかりで留年が見えるのはまずいな。どうして僕は遥空の友達をやっているんだろう……気にするなとは言ったけど、返済方法を吟味すべきか。
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夏休み序盤に終わらせた課題の記憶を掘り返していた頭を切り替えたのは、玄関を開けてすぐだった。
気にしていない風を装って靴を脱ぐと、背後で「んぁ?」と遥空が声をあげた。
「誰か来てんのか?」
僕しか住んでいないはずの家に女物の靴があるのを、さすがに見逃さなかった。
「課題やりに来るって言ってあるから大丈夫だよ」
「つってもな……マジ何してんだろうな俺。借りとは別で、ぶん殴ってくれていい」
「しないから」
リビングには彼女の姿はなかった。特に物音もしないし、まだ自室か。
準備しておくよう指示すると、遥空は鞄を下ろしながらリビングを見回した。
「篠咲、ゲームやるようになったんだな……つか、なんか煙草臭くね?」
……抜かった。僕自身慣れてしまったから、失念していた。ゲーム機だけなら夏休み中の暇潰しで通せるが、部屋に染み付いた臭いはさすがに怪しい。
いま不備を反省してもしょうがない。カイネの部屋をノックして中に入る。
案の定、彼女はまだ半分はだけたシーツにくるまっていて、うっすらと目を開けたところだった。
「んぅー……シノさん? ……夜這いならお好きに……どーぞー……」
かなり寝ぼけているな。薄手のキャミソールにホットパンツという涼しげな出で立ちにも、いまは気になってしまう気分ではない。
「タイムアップだよ、カイネ。ペナルティは朝ご飯抜き」
寝ぼけ眼のままのっそり上体を起こした彼女の額に手を当ててみる。熱は出ていないな。
「……まさか寝過ごしました?」
「まさかだよ。もう来てる」
「すみません……」
カイネは基本的に朝型生活だが、学校に行くわけじゃないから目覚ましを用意していない。
それでもいつもは朝食を作っている頃に起きてくるのだが、それなりの怪我をしたばかりだ。見た目は小さくとも、手を貫通している以上は損傷面積が大きく深部に及んでいる。切り傷が出来た程度とはわけが違う。
痛みは問題ないと本人が意に介さなくとも、身体の防御反応として相応に体力を持って行かれているはずだ。
「仕方ない。一応こうなるのも視野に入れてたし、別プランで」
こうして寝坊してしまう可能性も想定済み。外出しておいてもらうという、当初の予定通りに運ぶに越した事はなかったが、煙草臭を忘れていた失態があるからこちらの方が整合性は付けやすい、と捉えておこう。
「ベタだけど親戚って設定で。エミルさん、二十歳、大学生。僕の従姉だ。大学の夏休みのついでに就活の一環で上京中、ホテル代わりにうちに滞在してる。オーケー?」
遠方に住まう実在の従姉のプロフィールを拝借したが、遥空が本物に会う機会はまずないだろう。せいぜい、僕の葬式ぐらいか。
まだ眠そうなままで頷いたから復唱させてみたが、なんとか大丈夫そうだ。
「二度寝したいかもしれないけど、顔見せぐらいは済ませておこう」
「……や、起きます。シノさんのご友人というのも興味ありますし」
「変な事はしないでよ。それと、気が散るからゲームは禁止で」
一度大きく伸びをしたカイネがベッドを降りて、その目がしっかりしているのを確認し、戸を開けてリビングに戻る。
ローテーブルに課題のノートやらプリントやらを鞄から出していた遥空がこちらを見た。
嘘の紹介をするため呼びかけようとした瞬間、遥空は勢いよく立ち上がった。目を見開き、呆然とした表情で。
カイネがどうかしたかと振り返る。彼女も遥空を見据えて、驚愕し、固まっていた。
……そんな可能性は想定していない。できるはずもない。
「おま……なん……っ……はぁ? え……マジ……か?」
遥空の、呼吸の仕方を忘れたような声は震えている。
「……重ね重ねすみません、シノさん」
ため息に似た深い息。
「この家で居候させてもらっている、カイネ、といいます」
打ち合わせた設定ではなく、己の身上を口にして、いつもの婀娜っぽい微笑みを浮かべた。
一ヶ月近く一緒にいて馴染んできたせいか、時々忘れてしまう。僕は彼女の事を何も知らないのだと。僕が自分で思っている以上に。
「よろしくお願いしますね、ハル兄さん」
兄と呼ばれた遥空は、力が抜けたようにふらふらとソファにへたり込んで、両手で顔を覆い、嗚咽を漏らし始めた。
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