2-4.日常と傷跡
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「カイネって禁煙とか考えてる?」
彼女はくわえていた煙草を指に挟み、そのままコントローラーを握る。動きのぎこちなさを見るに、操作は慣れていないようだ。
カイネは今現在テレビゲームに興じているが、ゲーム機もバラバラなジャンルの積みパッケージも、元々この家にあった物ではない。僕が学校に行っている間に彼女が買ってきたものだ。
僕が不在の時間、小説や漫画を読んだり、映画を観たり、ゲームに興じて暇を潰している。フィクションでいいから、そこにある物語を通じて幸福の在り方を知りたいらしい。
「生きている間は吸うつもりですけど……やっぱり、ご迷惑ですか?」
「いや、僕は気にしないよ。ただ、喫煙って歯が黄ばんだりするでしょ? そういうの気になったりしないのかなって」
「あー……たしかに、死体の口を開けたらコーンみたいのがびっしり、なんて事になるのは気が引けますね」
そこまで変色するのはさすがに稀だと思うが……真っ先に考えるのが死後の事か。
「ま、目に見えて黄ばんじゃうほど生きる気はないので、吸い続けますよ」
もう僕まで嗅ぎ慣れてしまった煙を、口笛を吹きながら吐き出す。
「ところでそれ、なんです?」
カイネが煙草の先端で指し示したのは、僕の手元、ダイニングテーブルに置いてある工具のこと。DIY等の作業場になっている地下室から持ち出してきた物だ。
「なんていうか……戦隊モノの敵が持ってる武器、みたいな」
「僕はこんなの持ってる怪人は見たことないけど。そんな玩具じゃなくて、ネイルガンだよ」
「ネイルガン……爪?」
「釘だよ、釘打機。これ使って自殺する方法ないか考えてたんだ」
興味が湧いたのか、カイネはコントローラーを置いて、僕の正面の椅子に移ってきた。
「方法もなにも、頭や心臓に打ち込んだら一撃じゃないですか?」
一発とかじゃなく、一撃、という言い方は、思考だけはゲームに馴染んできてるな。
「そうもいかない。頭なら中心にある脳髄まで届かないと致命傷にはならないし、心臓も機能停止に陥るぐらいの損傷が必要になる」
煙草を灰皿で揉み消して、聞く姿勢を取る。
「けど、販売されている製品じゃ威力不足。これで自殺しようものなら、トドメを刺せるまで何度も打つ必要があるし、死ねる前に動けなくなる。実際、ネイルガンで自殺を試みて、頭部に八発も打ち込んだのに生存した例もあるらしい」
「わぉ、根性ありますねその人……でも、こんなゴツいのに、残念」
カイネはネイルガンを手に取って、興味深そうに観察し始めた。
威力不足の解消には、釘のサイズアップや出力の向上といった改造が必要になるが、生憎とそれが出来るような技術も工学知識もない。身に付けるのはやぶさかじゃないけど、この手段で決まりでないなら無駄骨になる。
あるいは威力を殺傷力そのもので補う。たとえば有害物質の併用。釘に溝を彫って毒物を擦り込んで、延髄あたりに打ち込む……いや、確実性に欠けるな。延髄狙いは有効だろうけど、その方法で注入する程度で致死性を発揮する毒物なら、飲むか普通に注射した方が確実だろう。
「なるほど、ここが安全装置になっているんですね」
右手に持ったネイルガンの先端部を、ぐいぐいと左手のひらに押し当ててみている。
そもそもの話だが、狙い通りの場所に打ち込むこと自体が難しい。
ネイルガン本体で三キロぐらいの重量がある上、先端の射出口にある安全装置を押し込まなければ釘を打ち出せない。その状態を保持したまま狙わねばならず、ズレれば重傷ないし重体になってしまうだけ。
安全機構を外すなら改造する必要はあるし、打ち込む際に固定する方法はいくらでもあるから、問題はクリアできるように見える。しかし失敗が許されない以上、釘一本で致命傷になるのが望ましいが、有効策と言えるものがない。
死体の視覚的影響は首吊りや飛び降り系よりマシだと思って候補に挙げてみたが、行き詰まりだな。これはお蔵入りか――
――ばぢん。
…………。
カイネが、感触を確かめるように、左手を閉じたり開いたりしている。
「カイネ」
「はい」
「何してるの?」
「何って、試し打ちです」
見ればわかるだろう、と言いたげな怪訝な顔。
左の手の甲から、釘が生えている。種も仕掛けもないと、先端からぽたりと垂れる赤い雫が証明していた。
「たしかに死ねるような威力はない感じがしますね」
一瞬スマホに伸ばしかけた手を引っ込めて、ネイルガンをひったくる。
「……ちょっと待ってて」
それだけ告げて地下室に急ぐ。リビングにも救急箱ぐらいはあるが、工具を扱う地下室にはより充実した応急セットがある。
ネイルガンと入れ替えで応急セットを持って戻り、箱の中を漁る。
「救急車を呼んだりしないでくれて、ありがとうございます」
「病院に行くような事だとわかってるなら、やらないで欲しい」
「ふふ、すみません」
そうしている前で、カイネは手のひらを掻いている。埋まった釘の頭を引っ張り出そうとしているらしい。それが上手くいかないとみるや、手の甲側から釘を摘んで押し出そうとする。しかしそれも、血で滑ってままならない。
ティッシュで拭いながら、ついでに持ってきたペンチで釘を挟む。
「痛みは?」
「痛いです。釘が手を貫通しちゃったぐらいに。骨もちょっとかすってますかね、感触的には薬指に繋がるあたり?」
「……軽口飛ばせる程度には平気に見える」
「これぐらいなら平気ですね。あ、別にMじゃないですよ?」
これぐらい、って。普通なら激痛でまともに動けなくなるし、叫びながらのたうち回ってもおかしくない。
カイネ自身に手元を押さえさせて、釘を押し上げる。ある程度の所で反対側に回り、頭に引っ掛ける形で抜いていく。アジの骨抜きに似た作業に見えて、感触はより生々しい。釘が動く度に血が溢れて、テーブルの上に血溜まりを作っていく。
完全に抜けたところで、ガーゼを手の甲の傷口に押し当てる。何枚も重ねていたのに、すぐに濡れた感触がしてきた。
カイネはごく自然な動作で消毒液のボトルを掴み、躊躇なく手のひらにぶち撒ける。
痛みによる反射か、指がビクビクと痙攣しているのに、表情はネイルケアでもしているかのように平然としていて、冷や汗ひとつかいていない。常識外れな振る舞いは以前から感じていたけど、これはもはや狂気の沙汰だ。
絶え間なく溢れてくる血をできるだけ拭いて、新しいガーゼを重ねた上で包帯とサージカルテープで隙間なく締める。出血が落ち着くまでの応急処置はこれぐらいで充分か。
「お手数おかけしました。結構いい感じですね。お風呂の時はゴム手袋でもしますか……あ、かなり汚しちゃいましたね」
ティッシュを何十枚も使って血溜まりを片付け終えると、深く大きなため息が出てきた。
「……さすがに頭が追いつかないんだけど」
「昔から痛みには強いんですよ。幼稚園の頃とか、うっかり事故で爪が剥がれた事あるんですけど、その状態がトイレのフタみたいで面白くて笑っていたら、先生たちが青い顔してドン引きしてました」
「ドン引きされた経験あるならやめてくれない?」
「シノさんなら大丈夫かなって」
「前情報もなしに、いきなりじゃ無理。なんでこんな事したの」
「自殺に使えるかって話でしたし、なら人体で試してみるのが一番じゃないですか?」
その発想を即実行に移すのはサイコパスじみている。他人に害を及ぼすものでないだけマシかもしれないが。
「それでいちいち実験してたらお試し期間中に死んじゃうよ。自分使って実験は今後ナシで」
咄嗟の手当でゴテゴテになった左手を見てみると、包帯にかすかに血が滲んで見える。
「……カイネ、やっぱり病院――」
「ダメですよ、それは。色々困りますから」
……痛みへの耐性が異常に強く、帯封が無地という怪しさ満点の札束を大量に持ち、それでいて素性は不明で病院は困る。今更協力関係を破棄しようとは思わないけど、頭痛の種だな。
僕のスマホが鳴動する。誰かからメッセージが来たようだ。
相手をする気力はないものの、少しでも気を紛らわせて落ち着きたい。
「……シノさん、どうかしました?」
メッセージを開いて、思わず眉根が寄ってしまう。
今度はなんなんだ。
送り主は遥空で、簡素な一言だけのメッセージ。
『助けてくれ』
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