11 片角の魔王セレスティナ(後)

 魔族領において、人間たちでいう「法」は無きに等しい。

 あえていうならば「力」こそすべて。次点で「一族の結束」。

 よって、最高権力者の座に就くセレスティナが「待て」といえば、それは即ち法である。総員、異もなく「喜んで!!!」となった。(※ただしゾアルドリアは除く)


 セレスティナはギゼフに腕を引かれるまま、彼が使う客間へと向かった。その後ろをウィレトが続く。


 謁見のために中庭に詰めかけた魔物たちの高揚は収まらず、ざわめきは高く低く城内を満たした。通路をすれ違う誰もが恭しく三名に道をあける。やがて客間に到着した。


 押しひらいた扉の向こうは逗留者の素性を表し、まるで作業部屋の様相を呈している。

 ギゼフは中央の丸テーブルに近づくと、迷いなく卓上のモノをとった。

 それは、シャラリと優美な音をたてた。


「これは……」

「お前さんの錫杖だ。二ヶ月、バタバタしてたからな。拾って改造しておいた」

「いつの間に」


 差し出された銀色の錫杖は、幾分か長くなっていた。石突いしづきは変わらず、先端には新しい色石。連なる錫の輪はいっそう華奢なものに替えられ、洗練された印象を受ける。


 セレスティナはおそるおそる受け取り、斜めに持ち上げた。飾りに嵌め込まれた青と白、黒の石がきらりと煌めく。


「綺麗。いいの?」

「お前さんの体格と、今の波長に合わせてある。お前さん専用だ。前、教えた棒術の型あるだろ。できるか?」

「ん」


 思わず口の端を下げたセレスティナは、おもむろに動き出した。聖女ティナだったころはうまく出来なかったが、動き自体は覚えている。

 空気を察したウィレトは、そろそろと扉まで下がった。


 まずは集中。すぅ、と息を整える。

 錫杖を棒に見立てて回転。

 右方向への薙ぎ払い。

 後方へ床すれすれの足払い。

 持ち手を変え、舞うような移動――からの、前方への鋭い突き。

 一連の動作を終えた本人は、ぽかんと口をあけた。


「…………嘘。できた」


 顎先に石突を定められたギゼフは、にやりと頬を緩めた。


「ほらな。できるって言ったろ?」

「なぜ? ずっと出来なかったのに」

「お前さんが、ちゃんと自分の体に戻ったからだ。体の記憶や動きのイメージと、に齟齬があったんだろ。魔力伝達も、これまで以上にしっくり来るはずだ。なにせ“魔王”だからな。ハッタリが利くくらいでちょうどいい――――闇と光。両方の力を使えるようになった、今のお前さんなら」

「! 気づいてたの」

「当たり前だ」


 フッ、と笑う魔法使いに、思わず視線を持っていかれる。

 セレスティナは湧き上がる喜びに立ち尽くし、同時に胸がつきりと痛んだ。


 そこで、王支オウシの少年が険しい顔で進み出た。


「あの」

「ごめんウィレト。先にバルコニーの手前で待っていて。すぐに行くわ」

「……御意に。セレスティナ様」


 何かを。

 堪える声だとわかっていたが、セレスティナは振り向かなかった。

 会釈をしたウィレトは、代わりにギゼフに念押しする。


「本当に、急いでくださいね? お願いですから、

「ん? あぁ」


 むすり、とした少年は扉を開けたまま退室した。




   *   *   *




「で? 何がどうしたって?」

「あなたが残った本当の理由を教えて。……いつかは帰るのでしょう? 杖と手当てのお礼は、ちゃんとしたいわ」

「やっと聞くか。おせぇよ」

「ごめんなさい」


 不手際を叱咤されたようで、つい項垂うなだれる。彼が先に杖をくれて良かった、と、心底思った。

 胸に抱えるひんやりとした金属の手触りは、なけなしの冷静さを維持させてくれる。


 ――――魔王らしくない。


 こんなでは、あのときリューザ神に託された『頼みという名の命題』に、一生立ち向かえない。


(どこまで伝える? 彼に)


 決めあぐねて視線を上げる。

 すると、ギゼフはあろうことか距離を詰めてきた。


「謝るな。オレは、オレの居たい場所を選ぶ。それは、お前さんの側が一番だと思ったからだ。あと、帰らない。礼もいらない。やりたいからやっただけだ」

「あ、…………え??」


 ティナでいた頃より、近い声。低くしっとりとした響きに、わけもなく目が泳いだ。

 それを、逃さないとばかりに頬に手を添えられ、ぐっと覗き込まれる。


「いいか? これはオレの独り言だ。レーゼ荒野では、そもそも『ティナ』のなかにあったリューザ神の力がキュアラを孵化させた。単なる聖女の力じゃねえよな。今ならわかる。

 迷宮であいつがでっかくなったのも、そこから介入があったと見ていい。そして、キュアラを媒体にのが、あの別嬪だ。やりたい放題じゃねえか。下々の人間には何の説明もなしかよ。人間も魔物も魔王も――――駒にすんじゃねえ。ふざっっけやがって!」

「……聞かれてないか不安になるわ」

「いいんだよ、聞かせてんだから」

「えっ、ああの!」


 はあ、と溜め息をついたギゼフが、セレスティナの額にこつりと額を合わせる。


「――――さしづめ急に瘴気が払われたのも、城が変わったのも。『ここは元々こうだった』。違うか?」

「ち、違わないけど」

「続きはおいおい解明させてもらう。ひとまずは」

「!」


 そろりと指が動き、頬から顎へ。


「ここに居たい。セレスティナ。オレを雇え」

「お、おかしくない……? 人間が魔王にする態度じゃないわ」

「おかしくはない。魔王が聖女になって世界を救うご時世だ。人間が魔王の参謀になったっていいだろ」

「!? ちょっ、それは」

「ちなみに」


 思わせぶりな一呼吸。親指がゆっくりと下唇をなぞる。

 余裕綽々の魔法使いは、にこりと笑った。


「あんた本人は、口説きたいと思ってる」

「………………は?」

「さて、行くか。さすがに大女が乗り込んで来そうだ」




   *   *   *




 その後。

 案の定キレかけたゾアルドリアはすぐそこまで迫っており、さんざん叱られたセレスティナは、ギゼフからむしり取られるようにバルコニーまで連行された。


 たちまち迎える歓呼の叫び、咆哮。祝砲の代わりに火術使いたちが一斉に色とりどりの火球を空に打ち上げる。

 キュアラによって焼き払われた森のドームの大穴はそのままで、城を中心に今では何の天蓋もない。突き抜けた青さだけが広がる。


(あ)


 左手に新たな錫杖。右手を群衆に向けてちいさく振っていると、ふと、ルビー色の光が一角に降り立つのを見つけた。

 後ろのほうで、こっそりこちらを見上げている。わちゃわちゃと楽しそうだ。


 隣に控えるウィレトが、呆れたように囁いた。


「やれやれ、どうやら神剣ファルシオンは返納してきたようですが。当代勇者に聖女と聖獣……神竜の仔まで。どうかしてる。物好きな連中ですね」

「そうね、前代未聞の即位式だわ」

「――稀有な魔王となられます。常永久とことわに、貴女にお仕えします」

「ありがとう」


 微笑むと、魔物たちが一層騒がしくなった。親衛隊は大忙しだ。

 その隙をつくように、さらりと彼らに接触するギゼフを認めて、驚くほど胸が痛まないことを知った。逆に、温かい。くすぐったい面持ちとなる。




 ――――……稀有。

 それはそうだろう。

 かつてのリューザ神は地上を去るとき、遠大なる夢を見た。

 彼の代わりに獣や魔物たちを守護する、聖なる魔王を望んだのだ。


 最初の魔王は力を持て余し、狂ってしまった。代替わりも討伐も、かさなる無秩序が生み出した瘴気も、かれの本意ではなかった。

 それを正せと、暗に含められたのだから。


「無茶振りなのよね……」

「何か? セレスティナ様」

「いいえ、何でも」


 ふるふるとかぶりを振るセレスティナは、肩に羽織ったマントをばさりと翻してバルコニーをあとにした。謁見はこのくらいでいいだろう。自分も、彼らに挨拶がしたい。


 階段を降りながら、ふと悪戯心が芽生えた。


「ねえウィレト。魔王が人間の伴侶を得るのは、ままあることよね」

「…………………………僕の口からは、何とも。いきなりはお勧めできません。せめてゾアルドリア様と並び立てるほどの男でなければ」

「まぁ。大変そうね」

「セレスティナ様……!」


 くすくすと笑う若い魔王の瞳は、あかるい紅玉カーネリアンに輝いている。

 つややかな長い黒髪が陽光を弾き、足取り軽くかつての仲間たちの元へとたなびいて行った。











 ――――――――


 称号、片角の魔王セレスティナ。

 在位はゆうに五百年を越え、統治は安定し、魔族領のすみずみまで蔓延はびこる瘴気を根気強く浄化せしめた。

 その傍らにはいつも忠臣筆頭・王支オウシのウィレトが。戦には無敵の火竜隊を率いる将軍ゾアルドリアが。また、公私ともに彼女に尽くし、人間たちの王国リューザニアと不可侵条約を結ぶ架け橋となった、伝説の魔法使いの姿があったという――





 fin.


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