番外編

ルークとティナ(1)

「ルーク! 早く早く。あれ何? 前、王都に来たときからずっと気になってたの」

「ティナ、待てって! お前、無駄にすばしっこいから見失う……!!」


 賑わう通りの人いきれを、するりするりと抜けてあかがね色の髪が逃げて行く。

 いや、本人に逃げるつもりはさらさらないはずだ。ただ、ひどく楽しい。目茶苦茶に楽しいらしい。


 それはそうだろう。だが――と、ルークは手を伸ばした。細い手首を捕まえ、思いっきり引っ張る。華奢な体は簡単に引き戻され、鎧のない胸元へと倒れ込んだ。ここぞとばかりに閉じ込める。


「きゃっ」

「迷子になったらどうすんだよ。いくらアダンの手心で、追手もない自由の身になったからって」

「うう」


 手首の拘束を緩めて覗き込むと、きめ細かな乳白色の頬にじんわりと赤みがさす。目元を染めたティナは暁色の長いまつ毛を伏せ、ばつが悪そうに視線を揺らした。青い、大きな瞳も潤んでいるように見えるのは…………きっと、主観的希望が半分以上。気のせいだ。


(惚れた欲目かな。こいつ、ふつうの仕草がやたらと可愛い)


 由々しい。このままでは四六時中にやけてしまう。

 よって、照れ隠しのために黙って眉間に力を入れていると、ティナはもじもじと上目遣いになった。どうも、困り果てているようだ。それにしても可愛い。(※心の声)


「……ルーク? ごめん、怒った?」

「怒ってない。どれ? 一緒に見に行こ」

「! うん」


 ここ、リューザニア王国の首都ファルシオンは広い。大きな市は東西南北に每日立つし、洗練された貴族御用達店から一般臣民向け、からの、スラム一歩手前のごちゃっとした下町まで何でもござれだ。


 いま、ふたりは王宮から南側にある主要街道沿いの雑貨市を訪れていた。軽食、飲み物、服飾品に怪しげな骨董品。瑞々しい花屋まで。

 そのひとつ、手籠に色とりどりの花を入れて売り歩いていた少女が近づき、ティナとルークに真っ白な花を差し出す。田舎の娘たちが恋占いに使いそうな、素朴な花だ。それが二輪。


「あの、これ」

「花? 彼女にかな……いくら?」


 やんわりと微笑み、立ち止まったルークに反対側のティナも気づく。そばかすのある幼い少女は、緊張で声を上擦らせていた。「違うんです。もらっていただきたくて」


「え?」


 きょとん、と目を瞬かせるルークに、少女は顔を真っ赤にさせた。


「あああの! 勇者様、聖女様、このたびはありがとうございます。そっ、それにっ、!!」

「へっ? う、うん? ありがとう…………っ、とと」


 深々と頭を下げ、押し付けるように二輪の花をルークに渡した少女は、そのまま雑踏へと店舗へと走って行った。母親らしき女性の後ろに隠れ、ちらちらとこちらを伺っている。

 ふっくらとした母親もまた、にこりと会釈していた。


「どうも……?」


 会釈を返しつつ、手の中には可憐な花。

 ルークは、ふと思い立って隣のティナの髪にそれを挿してみた。耳の上辺りだ。

 花の茎はそんなに長くなかったし、茎の先には鮮度を保つための水綿を薄く巻き、油紙と針金できちんと固定してあった。おそらく用途として間違ってはいないだろう。


 突然の花のプレゼントに、今度はティナが慌てふためく。


「ルッ、ルーク?」

「俺じゃ似合わないし。二輪とも付けといてくれよ。ほら、あの子も喜んでる」

「あっ、う、わかった……」


 ――可愛い。(※抑えようがない心の声)


 どこからか短い口笛が聞こえて、明らかに囃されている気はしたが、ルークはつとめて無反応を貫いた。

 の光の下、暁色の柔らかな髪に白い花飾り。青い瞳。飾り気のない緑の旅装の俺の聖女かのじょは、世界一可愛い。(※心の声・略)


(ん、待てよ。“私の聖女だ”とか、あの神様ならしゃあしゃあと出てきて言うかもな。面倒くせぇ)


 物騒すぎて声にもできない懸案事項をさらりと押し流す。

 次いで、あちこちから「おめでとうございます勇者様、聖女様」「良い旅を、お二方!」などと声を掛けられ、もはや条件反射の笑顔で去ることにした。

 が、ティナに至っては、まだ慣れていないらしい。口元をもぞもぞさせて俯きがちになっている。

 ルークは改めてティナの、花に飾られた耳元に唇を寄せた。


「で? どこだっけ」

「あっ、あっちの……薬草屋の角。見えない? 前、ギゼフさんの工房に行くときもあったわ。お菓子屋さんかしらって、ずっと気になってて」

「了解」


 たちまち、きゃあっ、と黄色い声が複数上がる。

 ルークは気にせずティナの肩を抱き、さっさと人垣を抜けた。




   *   *   *




 ――――大丈夫。手を回す。父王からも神殿からも、君たちを連れ戻させたりはしない。君たちは、自由だ。



 昨夜。

 この国の第一王子で一流の聖騎士、ともに魔王を討った仲間のアダンは言った。凱旋の宴もたけなわとなり、そろそろ下がらせてもらう……と、退出した勇者と聖女を待ち構えての台詞セリフだった。

 わざわざ馬の蹄に消音用の布を当て、事前に衛兵まで買収しての脱走劇だったのに。


 てっきり、ティナは聖女として王都に留められるのだと思っていた。そうしてあれやこれやと重責が舞い込むものと。


 加えて、彼女とは相性の良くない両親の存在が出奔への拍車をかけた。そもそもティナは辺境の村の神殿の一人娘。むりやり婿をとらされるのがいやで家出した経緯を持つ。その両親が、宴が終わり次第“聖女”に接触しようと笑顔満面だったのだから。


 あのとき、ティナはほうけたように馬上からアダンを見つめていた。


『自由』

『そうだよティナ。それに、これは一番最初のルークの望みでもある』

『……覚えてたのか』

『当たり前だ』


 浴びるほど酒を注がれていたはずだが、酔った様子はいささかもない。理知的な紫の瞳を細め、アダンは慈愛のまなざしをルークからティナに流す。

 それから、悪戯っぽく首を傾げた。


『その代わり、お忍びでということになるね。表だっての護衛や援助はできないが。それでもいいかい?』

『もちろんです。ありがとうございます、アダン王子!』

『どういたしまして』



 応える声音に、ほんの少しの切なさ。

(……)

 ルークは、それを察したが言わなかった。

 当然だ。

 アダンが恋い焦がれた“聖女”は、厳密にはティナではない。さりとて――――ある意味、どこにも居ない。


 礼を述べ、王宮と街区を繋ぐ橋を渡る前、王子は吹っ切れたような笑顔で手を振った。



『魔王城の! “彼女”によろしく伝えてくれ。ギゼフにも!!』

『わかった! 任せろ!』




   *   *   *




 そうして、急いで発つ必要のなくなった旅で。

 ティナは、「ちょっと寄り道がしたい」と言った。

 いまだ凱旋の祝福に湧く王都の朝、馬だけは適当な宿に預けてきた。


 そんな道中だったりする。


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