9 王都凱旋

「準備はいい? ティナ」

「ええ。――はい、いいわよルーク」


 にこりと笑む少女は、どこまでも『ティナ』。

 昔日せきじつの面影そのまま、ちょっとだけ猫かぶりなお淑やかさをまとった彼女は、たしかに準備万端なのだろう。新調された聖女のお仕着せは旅装のそれよりも瀟洒しょうしゃな印象を受ける。

 白絹に金糸と銀糸で精緻な刺繍が施された揃いのベールと衣装はまるで。


(なんか……花嫁衣装みたいだな)


 ぼうっと見上げる、こちらもあてがわれた正装の勇者に、すでに馬に横座りしていた聖女は束の間、視線を泳がせた。


「あの……そんなに見られると照れるわ。乗ったら?」

「え!? あ、あぁ。うん」


 とたんにギクシャクと答え、ぱっと動く。あぶみに足を乗せ、ひらりとマントを翻して馬上の人となったルークに、遠くから黄色い声を多分に含む歓声が届いた。


 まだ門を潜ってもいない。

 にもかかわらず、目ざとく場所取りを終えてこちらを伺っている王都の人びとだ。ひときわ高い声の一団は、オペラグラスなどを持参している令嬢がただろう。

 先頭でひとり、優雅な銀鎧と純白のマントに身を包んだアダンが苦笑する。


「大人気だね。神殿で式も挙げるかい?」

「いや、流石にそれは」


 揃って首を横に振り、頬を染めるふたり――ルークとティナは、おそろしく言葉通りの雰囲気を醸している。


 つまり、見るからに相思相愛。

 付き合い始めのように初々しい。


 やれやれと肩をすくめたアダンは、若干の痛みをこらえるように、眩しそうに瞳を細めた。


「まぁいい。気が変わったらいつでもおいで。ひとまず、今日のところは…………凱旋パレードだ! 歴史に残る、ね」



 無事の帰還。聖騎士にして第一王子アダンを筆頭に進むきらびやかな楽隊と騎士団の晴れ姿に、街道の両脇を埋め尽くす人びとの興奮は絶頂に達した。

 かねてから用意されていた色とりどりの花吹雪が舞う。待機していた流れの民の踊り子たちも列に加わり、ちゃっかりおひねりを享受する。

 列が過ぎたあとも祝いの空気はいや増すばかりだった。そこかしこの辻で卓が並べられ、どの店からも酒と食事が振る舞われる。


 王侯貴族や神官がたは王宮で、下々の民は街なかで。

 それぞれが翌朝まで勇者一行を称える宴をひらくのが習わしだった。

 連綿と続く光の神の王国、リューザニアの。




 夜が更けても興奮冷めやらぬ街角で、必ずと言っていいほど酒肴しゅこうにされる話題はふたつ。

 ひとつは、当代聖女のお相手は誰かということ。

 もうひとつは。







 ――――――――


 通りすがりの旅人とジョッキを打ち合わせ、何杯めかの麦酒をあおった男が思い出したように口の端を下げた。


「なあ、聖女様が調伏した魔族オニはともかく、減ったよな? でっかい魔法使いが。お気の毒に、殉死かねぇ」


 魔王討伐の旅は、どんなときでも過酷を極める。

 祝いのさなかでも、戦いに殉じた勇者一行がいれば敬意と弔意をあらわすのがこの国の伝統だ。


 しおらしくジョッキを片手に聖句を述べ、帰らぬひととなった魔法使いに感謝を捧げる男に、王都より南から訪れた旅人は赤ら顔で手を振った。「ああ! 違う違う。生きてるらしいぜ」


「へ?」

「何でもさぁ……――」




  *   *   *




 あのあと。

 ハルジザードを討ち果たした報は、アダンによって三つめの幸運の指輪ラックリングを使ってユガリアに。ユガリアから王都へと、速やかに伝えられた。


 ユガリアのグラードン辺境伯から遣わされた騎士団は、王子の指示通り国境最南端のレーゼ荒野にて野営地を展開。一行の到着を待った。

 一行は八日後、やたらと友好的でおとなしい地竜に乗って現れた。

 そのときから従魔ウィレトと魔法使いギゼフの姿はなく、騎士たちは沈痛な面持ちとなった。彼らの不在を戦死によるものと判断したのだ。


 が、それをおだやかに否定したのが第一王子アダンだった。


 いわく、彼らは自分の生きる場所を取り戻し、新たに見定めたのだ、と。







 街でそんな噂話がいっきに芽吹くころ、王宮祝賀会を切りの良いところで抜け出し、ごく普通の旅装に着替えて再び馬に乗る人影があった。ルークとティナだ。


「さっすが、元シーフ。脱出うまいな」

「でしょ?」


 ふふん、と偉そうにする少女に、ルークはたまらず――――後ろから、ぎゅっと抱きしめた。

 腕のなかの柔らかな体には、人格。そのことで胸が一杯になり、万感の想いがあふれる。髪に唇を埋め、耳元で、そっと囁いた。


「ティナ」

「っ、ル、ルーク」


 危うく叫びそうになったティナは、咎めるように幼なじみの顔を見上げた。

 王宮からはやや離れた、それでも敷地の外れだ。いかに警備の緩んだ今夜であっても、大声で騒げば出奔がばれてしまう。


「離して。せっかく蹄に布を巻いて音まで消せるようにしたのに。ちんたらしてたら見つかるわ」

「離したくない。せっかく『また会えた』のに」

「……家出のあとのことよね。聞いたわ、ユガリアで。セレスティナの意識の下層したで」

「そうだけど、そうじゃない。俺は、ずっとお前に会いたかったんだ」

「……」

「告白もしたし」

「……」

「キスもした」

「!!! わ、わかってる! 知ってるわ、だから!」

「シーッ」


 思わず語気をつよめたティナの顔を覗き込み、口に人差し指を当てたルークが真剣なまなざしとなる。やがて手を下ろし、手綱を握るティナの指を包みこんだ。


「答えは?」

「うっ」


 不夜城と化した王宮から漏れる、うっすらとした明かりにもあらわな真っ赤な頬。ぼそぼそと呟いた声はルークにしか聞こえない。ルークは一瞬目をみひらいたあと、満面の笑みになった。


 そうして、「やべ……我慢できるかな」と一言。

 クスクスとティナが笑う。


「も、いいよ。行きましょ。出来るだけ距離稼がなきゃ」

「アダンが、うまいこと探索は緩くしてくれる気がするけどな」

「王子様じゃないわ。うちの両親よ」

「なるほど」



 ――ヴィヘナの神官夫妻は祝賀会に合わせ、王宮に招かれていた。降って湧いた娘の生存や聖女就任に狂喜乱舞していた。

 このうえは、家業を継がずとも慣例通りの王子妃コースを夢見ているに違いない。


 ルークは深々と頷き、ため息を落とすティナの髪をくしゃりと撫でた。手綱を奪い、馬首をめぐらせる。

 逗留中に親しくなった番兵に頼み込み、目こぼしを確約させた裏門をめざす。



「じゃ、どこ行く?」


 ティナは、にっこりとほほ笑んだ。


「決まってるでしょ。お友だちの『即位式』を、見物に行くのよ」





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