8 剣、一閃

 光が生まれた。

 暁の髪の先を染めた闇はみるみるうちに広がり、あと少しで別人のティナに変貌するかに見えた。その瞬間に視界を染めた白。すると――――



「えっ……だ、誰だ!? お前」

「うっそおーーー!?? 大変、キュアラが消えた!!」

「!!!! キュ、キュアラ!?」


 誰何すいかするルーク。

 素っ頓狂な叫び声をあげるカーバンクル。

 信じられないと言わんばかりのアダン。

 ギゼフとウィレト、それにゾアルドリアは口をぽかんと開けて事態を見守っている。それくらい予想だにしない光景だった。



「まだだよ、皆。これを見て」



 ――――男とも女ともとれる不思議な声。しかし、上背などから見るにおそらくは前者。類まれなる美貌の人物がそこにいた。

 流れる金の髪はサラサラと腰まで流れ、優美な面立ち。けがれを知らぬ乳白色の肌に、怜悧な瞳は澄んだ空の青。装飾のない旅装のようないでたちでありながら、あまりの異質さに気圧される。


 そんな彼が、何気なくティナを指差していた。伸ばされた腕から指先までもが美にあふれ、今度こそ誰も口をひらけない。


 が、ただひとり。カーバンクルだけは「あれぇ」と首を傾げた。


 ひょっとして、と続けそうになった聖獣を笑顔で制し、青年が名指しで勇者を呼ぶ。


「ルーク。役目の時だ。ファルシオンを抜きなさい」

「え、嫌です」



「「「!!?!?!?」」」



 この期に及んで先のティナの言葉を思い出し、頑なに抗うルークに、周囲の仲間たちは驚きを隠せない。よく、この局面で我を通せるなと、妙な感心が湧いた。


 謎の青年にとってもそれは新鮮な反応だったらしく、あらためて勇者を眺める眼差しに興が乗る。ひと呼吸置いて「そうか」と、呟いた。


「君は優しい。相手が愛する少女でなくとも躊躇うだろうね。ちょっと待ちなさい。…………うん、うん」


 ほんの少しだけ神竜キュアラの面影のある、きらめく鱗と似た色合いの青。その瞳が生粋魔族のウィレト、ゾアルドリアを素通りししたあと、横たわるセレスティナに向けられた。

 動作としてはそれだけ。しかし。


「んっ、ぐ……!」


 びく、と肢体が跳ね、あろうことか息を吹き返した。「セレス!?」「セレスティナ様!!」と、両者の声が重なる。

 行ってやりなさい、と青年がウィレトを促し、ウィレトは従った。抱えていたティナを一瞬だけ切なそうに見つめ、そっと床におろす。


「あとは、こっちだね」

「どう……するんですか、ティナを」


 薄々察し始めたルークが、畏れと疑いの半々で問う。

 その、いかにも正直で人間らしい佇まいに、青年はにっこりと笑みを深めた。――天上の花がほころんだかのような清廉。華やかさだった。


「ティナを刺したくないんだね」

「…………当たり前です」

「なるほど。彼女が念を押すのもわかる。では、これならどうかな? 的は小さくなるが」

「お、おいっ!? 何を!」


 眠るティナの側で膝を付き、青年はあかがね色を取り戻した少女のふわふわとした髪に触れた。顔の角度を変え、左の耳をあらわにさせる。そこには、ルークが贈った瑠璃と孔雀石のイヤーカフスがあった。

 イヤリングやピアスではないため、耳朶に垂れるタイプではなく耳の上辺の窪みに嵌められた、小さくとも凝った意匠の銀の輪。それが徐々に黒ずみ、青と緑の石を漆黒へ。血赤の光沢を放つ未知の石へと変じさせる。


 青年はいとしそうにティナの頭を撫でると、つ、と立ち上がった。


「どうぞ」

「どうぞって……」

「ティナの心臓であれ、身体のどこにも刃を突き立てられないんだろう? なら、仕方ない。彼女が自分の一部と捉えているものでなければ。ただし、は厳密には聖女に属さない。だから、これまでの魔王と同じ。うまくいけば呪われた魂もろとも消える。できるかい? 核は石だ。逸れるなよ」


「!」


 言外に、しくじればまた取り逃がすと圧をかけられた気がした。

 背中にアダンの、ギゼフの視線を感じる。遠巻きにカーバンクルも。高位魔族の三名からは充分に距離を取れている。あとは、自分さえ剣をぎょすれば。


「――できるさ」


 ばく、ばくと昂る鼓動は背中の神剣ファルシオンも同じなのか、柄を握り、鞘走る音も滑らかに。白銀の剣身と自身の波長が完全に一致した。いま、このときのために存在したのだと感慨深くさえある。



(ティナ、待ってろ。今、自由にする)



 狙い定めた剣筋はぶれることなく、流星の尾のごとく軌跡を閃かせ、彼女の左耳の上辺脇へと吸い込まれた。

 手応えは、やたらと重かった。

 みしりと石の砕ける感触と断末魔のような怖気が剣を伝って腕から肩へとのぼる。


「なっ?」

「やれやれ、ただでは消えないか。随一の“悪”だね。しょうがない」


 青年は風のように動いた。呪われつつあるルークの両腕に躊躇なく触れ、再びの光の発露。




 ――――ギャア……ァ、ァァアアアアア……!!




 全員がとっさに身をすくめ、目を瞑る。放射状に広がる禍々しい『声』の波動に晒されるも、やがて淡雪のような光に洗い流された。


 そして。







「キュイッ!」



「えっ!? お前…………………え、ええっ!?!!?!?」



 信じられないことは続けざまに起きた。

 なんと一面、様変わりしていた。

 墨色の魔岩を切り出した城は床も壁も天井も、どこもかしこもクリスタルのような材質に。

 おそらくは瘴気も消え失せている。空気がまるで、澄んだ峰のいただきのようだった。


 青年の姿も、神々しい成体の竜もいない。


 そこには愛らしい幼体のキュアラが嬉しそうに鳴いており、くるりと一回転したあと、まっしぐらにティナの肩へと飛びついていた。闇色の孔雀石が砕け散った側、暁雲を思わせる髪がよけられ、広がった隙間だ。


 満足気に、ここが定位置だと言わんばかりに。




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