7 水底の光
「くっ……そ、なんで」
腹の底から絞り漏れたルークの問いに、誰も答えられない。瞳を閉じたティナは片膝をついたウィレトによって丁重に支えられている。
ルークは、ふたりを見下ろす位置に立って悄然と項垂れた。
やや離れた場所ではギゼフがアダンに助けられ、簡潔に「すまん」と一言。
同時に昏倒した
「無茶しやがる。こいつ、その気になりさえすれば自分の体に戻れたはずだ」
「じゃあなぜ」
振り返るルークに、ギゼフは眉間を険しくした。
「――おそらくだが。
「……また、逃げるってことか? 体を失えば」
「そういうことだ」
「じゃあっ、どうしろと!!」
「落ち着けルーク」
「アダン。でも」
俯瞰を装った心配。諭すような口調に――――ルークは。
今度こそ声の震えを隠しきれなかった。
無意識で、利き手を左手で抑え込む。神剣には触れない。触れられるはずがない。
ティナが
完全に大人しくなったわけではない。力ある魔族なら、旅の間じゅうからずっと共にいる。あくまでもしょんぼりとした「宿敵を見失った」感だ。
そこはそれ。ルークが意志をもって引き抜けば、剣は問題なく従うだろうが。
(どういうことだ。聖女は神剣では死なないって…………俺がティナを!? 冗談じゃない!!)
奥歯を噛みしめ、叫びたい衝動を必死にやり過ごすルークは、叫ぶことそのものを恐れた。
唐突に求められた役どころなんか認めたくないし、神剣が“聖女”を傷つけない保証など、どこにもない。
しかも最悪の場合、魔王の討伐に成功したとしても、みっつの魂を葬ることになる。
うち、ふたつは必ず助けると誓った命なのに。
――――――――
「……」
「…………」
じっとりと煩悶と戦う勇者に、年長者ふたりは複雑な視線を向けた。
実際、ここにいる誰も納得していない。
同じ鬼族のゾアルドリアでさえ、
唯一、彼女の覚悟だけは。
「人間の王子の言うとおりだな。ひとまず、聖女の様子を見るしかなかろう。セレスは、ああ見えて本気でハルジザードを滅ぼす気でいた。それは間違いない」
「――あっ! ゾアルドリア様」
「どうした、セレスの
突然の叫びに場の膠着が揺らぐ。
ウィレトは呆然と答えた。
「ティナ様の髪が、先端から……黒くなっています。体も冷えて」
「「「!!!!」」」
全員に緊張が走った。
* * *
ティナの
「水」と感じるのは、こちらの精神をやさしく包む皮膜があるからだ。ゆえに溺れることはない。
受け容れられ、保護されている。
こころを包む、涼やかで凛とした手触りがある。
彼女との対話は、透明度の高い湖の底へと下りゆく感覚に似ていた。沈む――だが、そのスピードは今、不快な粘りを伴っていた。
「厄介なものを連れてきたわね、あなた」
(ごめんなさい)
ふいに水底に爪先をついたような感覚がした。明るかった水面から不吉なインクをこぼしたような赤黒い染みが広がる。伝い落ちる。それらは瞬く間に被膜の向こう側を濁らせ、先の対面では不可視だった彼女を浮かび上がらせた。
小柄な体。卵型のちいさな
あかがねの聖女。ティナだ。
ティナはぶるりと身震いをし、細い肩を抱いていた。
「いくらわたしが“彼”から万全を約束されていても……うわぁ、おぞましいわ。気持ち悪い。吐きそう」
(外のことは見えていた? 神の恩寵を体現した聖女なら、神剣は刃にならないんじゃないかしらって。そう思ったのだけど)
「……ねぇ。吐きそうだって言ったの。聞こえなかった?」
(聞こえたわ。吐くのだって体があればこそよね。さ、何とかしましょう)
「……信じられない……あぁあぁ、わかったわ。いいわよ、やってやろうじゃないの! このままだと乗っ取られちゃう!」
(恩に着るわ)
ほほえむと一転、しかめ面だった少女が、スン、と諦め顔になる。
彼女の周囲にも被膜はある。薄青く、それは明らかにヒトならざる力の現れだった。彼女の持つ無色透明の光とは色あいと強さが異なるのだ。
揺らめく青をまとったティナがこちらに手を伸ばす。
乞われるまに両手を出すと、指を絡めて強引に繋ぎ合わされた。パン、と気泡が弾ける音がして、気がつくと同じ被膜のなかに佇んでいる。
(ティナ?)
「流石というか、あなたって魔族でしょ? わたしよりもずっと闇に強い。――このまま防壁になっていて。その間に“祈る”わ」
(わかった)
目を閉じて意識を凝らす。
今や、真っ暗闇となった周囲にはハルジザードの思念が声なき声となって渦巻いている。
重く淀み、胸が打ち沈む……
――――タスケテ
――――ナゼ、ナゼコロシタノ
――――ナゼ、ウンダノ、ワタシヲ
(!!)
悲痛さは、ハルジザードの魂に刻まれた癒えぬ乾き。嘆きだった。生きるために母を、母なる一族をすべて呑み込んだ。輝くものが妬ましくて引き裂いた。いくつもの非業の死を己の糧として取り込んだ。
けれど、それは永遠に満たされることのない
そのなかに……まだ姿形を留める、かつての同胞を見た。守るべき民と、自分を守り育ててくれた里長の苦悶を。真っ黒な絶望に塗り潰されながら――――かすかに、捨てられぬ希望を。
どんな奇跡なのか。彼らとつかの間、視線が結ばれた。
(なんてこと)
泣きたい。
込みあがる痛みのままに泣きたかった。
喪ったつらさと、彼らを悼む心と。赤子のようでありながら強大な災厄と化した気配に晒され、精神が削られてゆくのをひしひしと感じる。
侵食するハルジザードの闇をなす術なく受け止めながら、ふと、“そのとき”は来た。
「降り来よ。我が請願に応えよ――――ろくでもない
(!? 見込んだ……えっ、な、何!?? ティナ)
光が。
爆発した。
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