2 針の穴を穿つような

(ハルジザードは、たしかに暗示をかけたと言っていた。ふたりが忠実な側近だと……。アダン様はかかって、ギゼフは免れたということ? どうやって)


 頭のなかに直接届くルークの声を聞きながら、渦巻く疑問符にはとりあえず蓋をした。つとめて不自然にならないよう、怪我の確認と治癒を行う。


 ギゼフは身の丈ほどの杖を棒術の武器として扱っていた。おかげで出血はないが、あちこち打撲痕がひどい。

 いくら誰にも悟られずに会話をするためとはいえ、容赦のない足技も繰り出されていた。これはもう、名誉の負傷と言っていいだろう。

 すると。


「うっ」

「!」


 突然ルークの“声”が止み、代わりに現実のうめき声がした。パリン、と、何かが砕けた音がしたので、彼の懐の幸運の指輪ラックリングが壊れたのかもしれない。

 礼を言って起き上がろうとするルークに、慌てて声をかける。


「ルーク! 私」

「頼む。足止めは俺がやる。ティナは」



「キュイイィッ!!!」

「どけ。オレが用があるのはそっちだ」

「ぎゃんっ! いけずギゼフ!! ひとでなし! 万年ムッツリ魔法使いぃ!!!!」

「チッ」



「「…………」」


 一触即発(?)。

 ずっと時間を稼いでくれていたキュアラが風魔法の空気の槌ウィンドハンマーを食らい、壁側によろめいた。

 一緒に直撃を受けたらしいカーバンクルの口撃に、さしもの万年無愛想魔法使いも舌打ちしている。


 (あ、これは正気だ)と、ティナも確信を抱いた瞬間だ。それはそれとして。


 一瞬、魔法の余波で露わになったギゼフと目が合った。

 そのことに予想以上の動揺を覚えつつ、隣で警護に徹しているウィレトの横顔を仰ぐ。

 ウィレトは、ティナの物言いたげな視線にすぐ気づいた。


「ティナ様?」

「ウィレト。。やって欲しいことがあるの。できる?」


 思い詰めたまなざし。青い瞳のティナに、ウィレトは目をみはった。きりりと頷く。「もちろんです」



「では、お願い。あれを」



 ――――――わかっている。

 あえて、困難なことをさせる。



 足元から緊張が立ちのぼり、震えそうになるなか、ティナはかつての王支オウシの少年の向こうにある玉座を指さした。


「――を、射て。外さないで。一撃でやり遂げて」




   *   *   *




「なかなか仕留められないようだな。アレは。ひよっこでも勇者ということか」


 情事の合間にひとつ、『セレスティナ』のなよやかな肢体に玉座は余るほど大きい。

 そのため、ハルジザードは長椅子のような要領で金髪の王子を引き込み、もてあそんでいた。


 当初、迷宮から転移させた男ふたりに暗示をかけた。

 ただし適当に「忠実なる側近」としたためか、根が真面目なせいか、この男アダンはいくら誘っても『セレスティナ』の裸身にむしゃぶりつこうとしない。接吻にしても愛撫にしても、こちらから仕掛けたぶんには恍惚として応えるものの、なかなか最後の理性を失わないのだ。そこが面白く、壊し甲斐があると考えている。


 そう。

 ある意味、勇者一行のなかではアダンを最もけがしたい。

 こいつは神とやらの恩恵の象徴のような人間で、人間のくせにうつくしい。快楽漬けにして完全に手中に収めてしまえば、どんなに溜飲が下るだろう? 考えるだけでゾクゾクする。


「あ」


 試しに、愉悦のままに首筋を甘噛みした。硬直する男を組み敷き、頬を愛しげに撫でてやる。


「やれやれ。見ていて勝負がつかぬ前座より、お前のほうがよほど遊べそうだ」

「ぐっ…………う」


 次いで喉に爪を沿わせ、衣服を切り裂き、胸元までを暴いた。大仰な鎧はすでに外させている。


 青年のくせに無垢な肌。

 命の赤が一筋。

 紅潮した肌はきめ細かく、さぞや旨かろうと目を細める。

 だがまだ早い。喰うのはあと。どうせなら土壇場で正気に戻し、精神をズタズタにしてから――



「ハルジザード! アダン王子を離しなさい!」

「む?」



 突如、場違いなほど清廉な声が響いた。

 赤毛の娘だ。

 リューザ神の聖女だからだろうか。とにかく耳障りだ。せっかくの愉しみを邪魔されたのも気に食わない。


 よって「爆ぜろ」と呟くも、おかしな光の壁に相殺される。よくよく見れば腕に緑銀の獣を抱えていた。


「生意気な」


 ハルジザードは前髪をかきあげた。

 吸い痕をたっぷり付けた王子の首筋から、ゆっくりと顔を上げる。



 刹 那。



 シュッ――――――


(?)

 

 何かが鋭くくうを切った。

 一進一退の攻防を繰り広げる勇者たちかと思ったが、彼らにそんなつぶての魔法を撃ったり、弓を射た気配はない。


(……待て、弓だと?)



 気 づ い た と き に は。



 ――――――キィンッ



「!!!! あッ、アアアァァァ!!?? き、キサマ何を! おのれ、贄の分際で!!」


 視線は娘の後ろに吸い寄せられた。

 熱い。熱い。額の片側、二本あるツノの生え際に、あろうことか矢が刺さっている。


(熱い――痛い!!!)


 それは死角から放たれた一矢だった。

 娘の赤い髪を覆う頭布の耳下を突き破って飛来したのだ。何という……!


 いつも、痛覚は遮断していたのに。

 

 かつての勇者に神剣で貫かれたときも。

 その後、幾度となく乗り換えた名もなき者たちも。

 そこそこ力ある魔法使いたちも。

 そのどれもが「次」への繋ぎでしかなかった。

 厳密な痛みは、だからこれが二度目だ。

 一度目は生まれてすぐ。吸血鬼族からの仕打ちだった。


(これは……っ。母が有していた“魅了”を使うためとはいえ、感覚を共有し過ぎたツケか!? くそっ)



「! ティナ様、危ない! お下がりください!!」

「……」


 身のうちの魔力を迸らせると、少年が慌てて叫ぶ。

 だがもう遅い。予定は狂ったが、忌々しい聖女はこれで、いっきに屠れる。


 ハルジザードはゆらりと立ち上がった。一歩、二歩。手を伸ばす。総毛立つ獣ごと裂いてやろうと爪を向ける。


 が。

 娘は怖じず、逃げもしなかった。青い目を爛々と燃やし、ひたと睨みつけてくる。



「今よ。! 拘束して!!」

「! なっ!?」




 ――――――ドゴオォォォォン!!!!!




(何故だ、なぜ???)


 ハルジザードは壊れた壁に目を剥いた。

 そこには、意識を奪って隣室に押し込めたはずのスペアの体――筋骨隆々な体躯に力をみなぎらせたゾアルドリアが、憤怒の形相で立っていた。



「…………遅いわ!! 愚図が!!!!」


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