第五章

1 一縷の希望

 ティナの知るアダンは、聖人君子を絵に描いたような為人ひととなりをしている。かつ、優秀な聖騎士にして勇者と聖女の末裔たるリューザニア王室の第一子だ。

 混乱のあまり、ついつい聖女候補だった頃の記憶を総ざらいしたしてみたが……


 ――現王妃は父王の後添いで年若い義母。

 彼自身の後ろ盾は薄く、宮廷内の立場は微妙と本人から聞いた。それでも持ち前の政治手腕と能力の高さで、そつなく国王代理をこなせる逸材だ。

 いかに権勢著しい現王妃が産んだ第二王子がいるとはいえ、まだ幼い。アダン自身が将来を懸念する必要はあまりないと感じている。


 そう。生まれに相応しいリーダーシップも野心もある。生真面目なほどだ。こんな自分に、魔王討伐ののちの求婚を願うほどに。


 それがなぜ。



「アダン様。いったい何が」

「ふふっ」

「……」


 アダンは反応を示さず、代わりに彼の顎をとらえる女が愉しげに笑う。

 暗がりにひとつ、ふたつ青い鬼火が灯り、玉座の周りを浮かび上がらせる。その中央にあって妖しい流し目をくれる、かつての自分にぞっとした。


 魔王セレスティナ。

 その器が、いまは自分ではない者を宿し、動いているのは明らかだった。本来ならばあり得ないことなのに。


「――何を。何をした。何を喰らった!? !!」

「さあ……何かな? そうそう、この体は器として最高だな。女性としての完成度が素晴らしい。快楽を得るのも与えるのもお手のものだ。吸血女王ヴァンパイアクイーンだった母の能力が非常に発動しやすかった。かつての勇者の子孫など、こんなものさ。魔力が高いだけの人間の魔法使いもな」

「……操ったのね。吸血女王のスキル……まさか、血を!?」

「侮るな。一族の頂点たる母に直接の吸血行為なぞ必要ない。どうせ、いずれは餌とする。それまでは我の忠実な側近だと、暗示をかけてやっただけさ」

「卑怯者」

「どうとでも」


「………………」


 ギゼフの表情は相変わらず読めない。口元は不機嫌そうに引き結ばれ、ある意味いつも通りでもある。

 ぺろり、と艶めかしく唇を舐めたハルジザード=セレスティナは、今度はギゼフの腕へとしなだれかかった。


(!!)


 むき出しの白い腕を絡め、蠱惑的に首を傾げる姿に、まるで後頭部を殴られたような衝撃を受ける。情報の精査が追いつかない。

 怒りに。

 自分でも形容しがたい、悔しさと恥ずかしさに。頭のなかを真っ赤に染め上げる怒りに息が詰まる。言葉が出せなかった。


 加えて、認めたくない事実に気づいてしまった。

 ――飢えを凌ぐためなら共食いすら厭わないハルジザードが、城に連れてきた同族の血といのちを喰らわないわけがない。

 それは、前の肉体で? それとも……――?


 禍々しさに吐き気が込み上げ、冷や汗が流れる。虚脱感に手が震えた。頭は熱いままなのに、かちかちと歯が鳴りそうになる。

 それを、神竜の背にあって後ろからそっと腕を回し、支えてくれる少年がいた。ウィレトだ。


「貴様…………、即刻セレスティナ様のお体から出て行け、化物! 絶対に許さんぞ、このド腐れ外道が!!!」


 ウィレトはまっすぐに前を睨み、声を低めた。炙るような純粋な怒気はティナを上回るかもしれない。

 それを受け、神竜キュアラの首の付け根に跨っていたルークがストン、とバルコニーの床に降りる。迷いなく神剣ファルシオンを抜き、両手持ちの構えで玉座を見据えた。


「同感だな。おい、お前が『ハルジザード』だろ。わざわざ淫魔の迷宮まで造って、俺たちを嵌めようとして。いま、こうしてアダンたちを誑かしてんのも最低かよ。気持ちわりぃ」

「当代の勇者、か」


 む、と目を細めたハルジザードは、勇者を見ているようで見ていない。彼の持つ因縁めいた剣と、神気漂う獣に竜。――それにティナ。最後に私を竜から降ろすため、手を貸すウィレトに視線を向ける。そうして、にたりと口の端を上げた。


「迷宮で遊べなかったのは残念だが、我が贄に不足はないな。おい、お前。やれ」

「御意」

「えっ、ギゼフ……!? うわ! ああああちっ!!」


 間髪入れずに繰り出された魔法の炎に、ルークは焦げた前髪を叩いて慌てて飛び退く。その拍子に長身の魔法使いは間合いに飛び込み、なんと接近戦を仕掛けてきた。


「ルーク!」

「くそっ……、どうやったら正気に」


 ルークの神剣は、あくまで対魔王に特化した伝説の武具。人間相手では単なる丈夫な大剣でしかない。それを狙ってのパーティ分裂工作だったのだとしたら、あの魔王とんでもない性悪だわ、と、ほぞを噛んでいると、強烈な突きを食らったルークが吹っ飛ばされた。


 チッ、と舌打ちしたウィレトがそれを受け止め、その間にキュアラが立ち塞がる。

 が、そこまでだ。操られたギゼフのターゲットは勇者だけなのか、或いは光の障壁を生み出すカーバンクルを警戒してか、初手以降は派手な攻撃魔法を使って来ない。


 玉座では、優位を確信した魔王が慈悲深そうな微笑みすら浮かべ、再び美貌の王子にちょっかいを出し始めていた。深い接吻の合間にこちらに流し目を寄越し、ティナを面白そうに揶揄やゆする。


「娘。この王子に惚れているのか? 可哀想に。ほうら、さっさと仲間の魔法使いを殺さないと間に合わぬぞ。この体なら、人間の男はあっけなく我の虜となる……フフッ」

「〜〜! やめなさい! あぁっ、もう……ッ。ルーク、しっかり。怪我は」


 狼狽しつつ、ウィレトが膝をついて支えるルークの元へと駆け寄る。

 しかし、傷を癒そうと患部らしき腹部に手を伸ばしたとき。

 ふいに、脳裏に直接ルークの声が閃いた。




 ――――『ティナ。驚かずにこのまま聞くんだ』


(!!!!?!?)


 かろうじて息を呑み、苦悶の表情の勇者を凝視する。

 ルークもまた、口を開けてはいない。

 では、これは。

 (……幸運の指輪ラックリングなの?)と心で尋ね、そういえば指輪の効力は一方通行だと思い出す。

 唇の端から血を滲ませながら、ルークは目線だけで訴えた。

 


 ――――『聞いて。

 



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