10 衝撃

 盛大な炎。炎。魔王城の象徴でもある暗紫色の森は、いまやめらめらと燃え上がっていた。

 キュアラは指示通り、一直線にそこを目指して飛ぶものだから、熱波は神竜の乗り手たちに当然及ぶ。火の粉に気づいたカーバンクルは、慌てて同行者全員に防護の被膜を張った。

 体にぴったりと添う光は瞬く間に見えなくなり、絶大な効果でティナたちを守った。


「ありがと、カーバンクル」

「どういたしまして。どんどん頼ってね! こんなときのためのボクだもの」

「そうね。流石ね」


 ティナが控えめに微笑むと、吹き飛ばされないようルークとキュアラの間に挟まっていたカーバンクルは、えっへんと胸を逸らした。

 手持ちの布で作った即席の手綱で必死にキュアラにしがみつくルークは、前方を指差すことこそできなかったが、呻る風のなか、懸命に後ろに向かって声をかけた。


「なあ、めちゃくちゃ燃えてんだけど! ティナ、あれか? あの、黒っぽい城。どうする、どこに向かう?」

「待って、今…………探ってみる。ここまで近づけば負担は軽いはず」

「わかった」


 ――いったん目を瞑る。

 五感を研ぎ澄ませ、森の上空へと魔力を広げると、視えるのは膨大な数の魔物、城仕えの魔族たちの気配。

 魔物は城の外に放されている番犬のようなもので、注意が必要な大物は三十にも満たない。セレスティナの感覚で言えば、破格の不用心さだ。

 いっぽう、城は。


「……不自然に密集している部屋があるわ。玉座の間に近い。降りるなら、もう、直接玉座に行きましょう。一番高い塔の中腹。謁見のバルコニーがあるわ。わかる?」

「キュイィッ」

「いい子ね。気を付けて」


 成体になって格段に身体能力が向上したキュアラは、受け答えのみ幼体のころと変わらず愛らしい。張り切っているらしい彼女の鼻歌まで聞こえそうだ。

 やっていることは定期的なブレスによる大規模破壊活動だが、騎乗者への気配りか、じょじょにスピードを落としてくれている。一度、高度を上げてからのゆるやかな滑空に変わったとき、余裕が生じたルークはティナに問いかけた。


「いるかな。あいつら」

「――多分。魔王城には透過防止の魔法がかかってるから、姿は見つけられないけど。ハルジザードが選んでアダン様たちを連れて行ったなら、もったいぶった理由があるはずよ」

「理由?」


 後ろでウィレトが低く尋ねる。

 ティナは、こく、と頷いた。


「考えてもみて。わざわざ迷宮を作ってまで分離の罠を仕掛けたのよ。あわよくば、私たちが淫魔の餌食になるところを見たかったわけでしょう?」

「たしかに。あれは悪趣味でした」

「…………ちなみにお前、三体に襲われたんだっけ。やっぱ、全員ティナだった?」

「黙秘する」

「なんでだよ」


「! ま、まあまあ! そういう奴とわかった上で行動したほうがいいわ。だから、ふたりともに言っておきます。ハルジザードは、魔族から見ても外道の部類なの。

 いい? どんなものを見せつけられても動じないで。とくにルーク。お願いね、あなたの神剣でなければ“魔王”は倒せない」


「……わかった」


 ちらっと後ろ向きに流し見られ、ティナの心臓が勝手にどきん、とする。


 わかっている。

 これは本来の『彼女』。体の主である聖女ティナ・エレアランドの意思だ。


(『私』じゃない。私――魔王セレスティナは、違うのよ)





 だって、はっきりと心根を太古の魔物に見透かされた。自分がなぜか、関心を惹かれるのは勇者ではないこと。定められた王支オウシのウィレトでもないことを。もちろん、政治的な思惑とやらで求婚してきたアダン王子でもない。




(なぜ……『彼』なんだろう。いくら魔力が強くとも。ただの人間なのに)




 口が悪く、やたらと整った顔を無精ひげで誤魔化し、ぼうぼうの長髪で目元まで隠している。

 人間としてはかなり長身の部類だと、今ならわかる。

 特徴ある猫背に、たまに流される視線の鋭さ。黒い瞳に浮かぶ、呆れたような光。ちょっと猫背で、泰然とした空気も。


「も……やだ。どうして」


 きりきりと胸を苛むのが、今度は自分自身の葛藤だとわかるからこそ懊悩する。

 漏れた独り言は幸い、聞き取られることはなかったらしい。ちょうど目的地に到着したキュアラが羽を打ち、ふわりと広めの露台に降り立ったところだった。



 とうとう。



 キュアラに乗ったまま、瞳を凝らして玉座の間を見つめる。

 まるで、到着が予想されていたかのように大広間への扉は開け放たれていた。闇に沈む壇上に、いなくてはおかしいはずの諸悪の根源を探す。そして、見つけてしまった。



「なっ……!?」



 ルークが一言。後ろではぎりりと歯噛みの音が聞こえた。ティナ自身、胸底から湧き上がる嫌悪感を抑えようがない。

 その人物は、しどけなく大きすぎる玉座にあって寝そべり、ふたりの人間の男を侍らせていた。


 ボウッ、と、蒼白い魔法の明かりが灯る。両脇に。

 照らされたおもては。




「ようこそ我が城へ。勇者御一行どの」



 艷やかな美貌と美声でありながら怖気を誘う。

 薄布を申しわけ程度にまとう先代魔王セレスティナだった。


 しかも。

 あろうことかは、右側に控えていたアダンの顎をとらえると自らのほうへ向け、じつに淫らに―――口づけて見せた。



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