5 薄明かりの迷宮(4)
「キュイィ……?」
キュアラは首を傾げた。
さっき、みんなと一緒に細長い入り口をくぐったのに、あっという間にひとりぼっち。
ずいぶん“歪み”の大きな場所だと感じはしたが、別空間に放り出されるとは思いもしなかった。
きょろきょろと辺りを見回す。ふんふんと匂いを嗅ぐ。残念ながら判別はつかなかったが、勘で方向を探った。
「キュッ!」
意を決し、とたとたと歩き出す。翼はまだそんなに上手く使えない。大好きな――ニンゲン? の少女にも、聖なる獣のカーバンクルにも翼はない。
誰に教わらずとも飛ぶことはできたが、里から
――けれど。
「キュウ」
本能で、からだの奥深い部分で、自分は最強種に近い存在であり、ちょっとやそっとの敵に害されることはないと
だから。
……そう、『ティナ』というのだ。彼女は。
自分を孵らせ、唯一無二の名を授けてくれた。
それは、他の翼ある生き物のどれとも異なる自分を従えるに相応しい「彼女らしさ」で。おまけに、相当危なっかしかった。
押し込められた光と闇はちらちらと入れ替わり、たえず彼女の表情を彩った。
とても繊細な均衡のうえに成り立つ二重の『彼女』が壊れることがないよう、困ることがないように、自分は精一杯彼女を助けねばならない。
ふんっ! と頭をあげたキュアラは白い羽と蒼い鱗の混じり合う尾を振り振り、迷いなく迷宮を進んだ。
* * *
誰かに呼ばれた気がして、ティナは後ろを振り返った。「気のせい……?」
杖を握る指に力がこもる。カチリ、と音を鳴らした左手の人差し指に目が行った。扱いに気をつけて、と渡された。
じっと思案した。
俯瞰能力を使うか、指輪で誰かと交信を試みるか。このまま下手に動かず、様子を見るべきか。
おそらくはハルジザードの介入があったに違いない未知の大迷宮。順路や仲間の位置を探るのは骨が折れるだろう。
もっとも危惧されるのは、ひとつめの選択肢で魔力酔いを起こすこと。
「……幸い、発動したのは転移系のトラップだけ。がらんとして静かだし、魔物の巣ってわけじゃないみたいだけど」
独りごちて視線を落とす。
こんな事態でも淡々と対応できそうな人物、となると。(彼かな。動じているところは、あまり見たことがない)
――――コツッ
「!! だ、だれっ?」
「悪いな、驚かせたか。オレだ」
「……ギゼフ?」
暗がりに硬質なブーツの踵の音が響き、長身の魔法使いが現れた。
唐突すぎて驚くものの、見慣れた濃紺の外套や伸ばしっぱなしの黒髪、低い声は記憶のままだ。
でも、何か違和感が……?
「お前ひとりか。誰かと会ったか?」
「いいえ、あなたが最初」
「そりゃ良かった」
「…………え?」
ゆらりと、独特のスピード。急に近寄られて声を失う。杖を持っていた両手を剥がされ、錫杖の輪がカシャン!! と音を立てたときには手首を掴まれていた。
痛くはないが緩くもない。職人らしい長い指が器用に手首の内側を這う。おもむろに顔を寄せられ、混乱はさらに深まった。
――こんなことをしてる場合では、ないのでは?
かなり怪訝顔をしていたはずだが、どこかが根本的におかしいギゼフは惜しげもなく男らしい美貌を晒している。
違和感の正体に気づくも、さっぱり豹変の理由に思い当たらない。
そうこうする間にギゼフは身を屈め、視線を合わせてきた。真正面からの堂々の接近に大いに戸惑う。
無精髭もふてぶてしく、ギゼフは薄く笑った。
「他のやつに、お前を取られたくなかったからな」
「は?? やっ、ちょ……何……ッ!」
チクッ、と首筋に痛みが走る。
耳元で囁かれた不穏な台詞に対応する前に、やられた行為の大胆さにみるみる顔が火照った。不敵にもほどがある。
(待って。なぜ私が。こんな人間に…………ん? 人間? あれ??)
力が入らない。
かくり、と折れた膝に反応して今度は腰を抱かれ、ますます身の置き所がなくなる。
顎をとられ、上向かせられた。
そのとき。
「む」
「あなた……は、違う? うそっ、ルーク!?」
信じられない思いで目をみひらいた。
するすると身長まで低くなった目の前の存在は、いまやティナの幼なじみ・ルークそのものだ。
「いいよ。じゃあ、『ルーク』で」
「!?? だめよっ! どうなってるのこれ。夢じゃないわよね!? 痛かったわ、さっきの。あなた、一体何者……」
「すごいな。まだ反抗できるんだ? いいね、たっぷり味わえそう。代わりに、いっぱい良くしてあげる」
「やっ、あ!!」
乱暴に押し倒され、したたか背を打ちつけた。のしかかられる重みに、相変わらず吸い取られたように動かない体。法衣の上からあちこち触られる。すると。
「――ティナ!!! 目ぇ瞑ってろ!!!!」
(!??)
生身のひとの、しかも聞き慣れた声。
ぎゅっ、と可能な限り身を固くし、覆いかぶさる男から顔を逸らして瞑目する。間髪入れずに空気が唸り、瞼越しにも映る閃光。バチバチと
ギャアアア……と、断末魔が耳をつんざいて床に金属の落下音。
はぁ、はぁと息切れしつつ通路に駆け込む彼がいる。
さすがに目は開けていた。乱された衣服を無意識にかき寄せる。「ルーク」
「ああ、まったく……くそっ。よりによって。いや、俺以外の誰でも業腹なんだけどさ。ごめん。遅くなって」
汗を浮かべた額を手の甲で拭い、緑の瞳を痛ましそうに細める。同時に安堵の息ももらす、『本物のルーク』がそこにいた。
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