4 薄明かりの迷宮(3)

(雷よ……!)

 ルークは剣に薄く雷撃の魔法をまとわせた。考えるよりも先に体が動く。頭を低くして加速。深く踏み込み、いっきに距離を詰めて水平に薙ぎ切る。


「っりゃああ!!!」


 ――オォォォ……!


 昏倒していたティナを襲おうとしていたカゲはたちまち霧散した。

 実体のないタイプの雑魚か、と吐息して神剣を鞘に収める。ティナは騒ぎに気づいてか、ふと青い目をひらいた。ルークを認めて半身を起こし、頼りなげに上目遣いとなる。


(?)

 ひと言も喋らない幼なじみ兼聖女、兼中身が前魔王の少女の様子に首を傾げ、それでもルークは手を差し伸べた。


「大丈夫か、ティナ? どっか、ぶつけたのか……っとと、な、何?? 何が」

「怖かったわ……! お願い、しばらくこうしていて」

「は? え???」


 問答無用にしがみつかれ、あろうことか首に両腕を回される。胸当て越しに感じる柔らかさにクラクラとし、とっさに声をあげられなかった。

 腕のなかのティナは潤んだ瞳で、伏せた睫毛の影もつややかに顔を寄せてくる。口づけをせがむように。だが――



 ある意味一触即発のあやしい空気を、素っ頓狂な声が引き裂いた。


「ルーーーーク! だめっ! そいつ、ティナじゃない、淫魔! 何やってんのさ世話の焼ける!!」

「え」


 派手に光を撒き散らしながら闖入した聖獣の効果は絶大だった。

 チッ、と舌打ちした少女の口からは、みるみるうちに犬歯が伸び、眼光鋭くカーバンクルを睨む。暁色の髪はくすみ、瞬く間に腰まで伸びて闇色に。抜けるような白の柔肌はそのまま、胸元は豊かさを増し、黒の薄衣を申し訳程度にまとう淫らな肢体を露わにした。

 声も変わる。

 ねっとりと色気をはらむ、いわれのない執念を滲ませた声だ。


「おのれ……ケモノ風情が。せっかく一番乗りで極上の餌にありつけるはずだったのに」

「!! い、一番? って、待て! じゃあここは、お前らの棲みかってことか?」

「煩いねえ。答える義理はないよ。ばいばい、運のいい坊や」

「なっ……あ!」


 ティナとは似ても似つかない容貌を晒し、淫魔はニタリと笑んだ。背中に生えた蝙蝠の羽根をはためかせ、すばやく宙へ。そのまま消えてしまう。

 ルークの隣に追い付いたカーバンクルは、やれやれと嘆息した。


「あーあ。逃しちゃった。仕留めもしないんでやんの」

「カーバンクル……助かった。今のは?」


 不可抗力で吸われそうになった唇を覆い、無意識に、ぼうっと問う。緑色の聖獣は、ちょっとだけ気の毒そうな視線を寄越した。


「あれは、ボクが前、一緒にいた勇者の代で根絶やしにされたはずの“淫魔”って種族。魔物だよ。女のアレは見たまんま。人間の男の精気が大好物なんだ」

「へ? 俺、食われそうだった?」

「明らかだろ」

「うぇー……不覚。で? 男の、ああいうのもいる?」


 ルークは口の端を下げた。

 ――危なかった。キスされなくて本当に良かった。なまじティナに化けられては拒みきるのも難しい。


 カーバンクルは人間じみた仕草で腕を組み、うんうんと頷いた。


「男っていうか。上級淫魔になると厄介。性別がなくなる」

「ん? 両性具有ってやつ?」

「違う。相手の好みに合わせて姿も性別も変えられるんだ。その上で行為を」

「行為」

「……詳しく聞きたい?」

「いや、いいです。すみません」

「わかればよろしい」


 えっへん、と胸を張ったカーバンクルはすぐに居直り、燐光を振りまいてルークの周囲を一周した。


 ルークは、ハッとする。


「え。じゃあ……余計にやばくないか? 具体的に、その、ふたりとも」

「そうだよ〜今のも斬らずに逃しちゃったしね。急ぐ?」

「!! 当 た り 前 だ……!!」


(まずい。本当にまずい。指輪を使うべきか? せめて、危険の種類だけでもティナに)


 今度こそ前方を飛んで先導をつとめる聖獣の尾に、駆けながら声をかける。


「――あのさ、ティナとウィレトは、一緒にいると思うか? あと、あいつはどうなってる? チビ竜のキュアラ」


 んー、と、間延びした相槌が聞こえる。

 続いて、人間であればさぞ渋面だろうと思わせる声音が流れてきた。どこもかしこも似た通路に分岐点。仄暗い迷宮の景色は、結構な速さで過ぎてゆく。



「わからない。いにしえの神竜の血が、どこまで魔王の術に抗えたか……。ウィレトと同じ。運が良ければ、ティナとそう離れてはいないはずだよ」



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