3 薄明かりの迷宮(2)

「起きて、おーきーてっ!」

「う、ん……?」


 ぺちぺち、と、ちいさな手が頬を打つ。

 ルークはひとしきり唸ったあと、ぼんやりと目をひらいた。


 ――ひらいた? まさか、寝てた??


 な ん で(※心の滝汗)



「ちょっ、おい!!」

「へ? うぎゃあ!」


 電光石火の勢いで半身を起こし、頭にへばり付いていた、緑銀色の体毛をさらさらと靡かせる生き物をむしり取る。

 首根っこを掴まれ、四肢を垂らさざるを得なくなったカーバンクルは、ぐるる、と喉を鳴らした。


「良かったねぇ。君だけだよ? 

「どういうことだ?」

「アダンもギセフも、入った瞬間にみーんな転移させられちゃった。あの、でっかい鬼族のひとも」

「でっかい鬼……ゾアルドリア?」

「うん」


 ほうけたついでに手を離すと、カーバンクルは雨に降られた子犬のように空中で身震いをした。

 せわしなく宙返りまで始めるカーバンクルに、ルークは眉をひそめる。


「ここは……迷宮だよな。入り口、そこ?」

「そう。感謝しなよね。神剣ファルシオンの守護のおかげで、君だけは仕掛けを弾けたんだから」

「! 待て、じゃあティナは!?」


 立ち上がり、きょろきょろと辺りを見渡す。

 正面には、さっきくぐったばかりの細く長い入り口。黒っぽい切り出し岩を敷き詰めた床と壁はほのかな光を帯び、月を映す湖の水底のような明かりが揺らめいていた。

 背後は壁。通路は左右に伸びている。


 ――ティナは、どっちに。


 焦る勇者に、カーバンクルは宙返りをやめ、ぴたりとその肩に乗った。


「あっちだよ。多分ね」

「まじか……? 信じるぞ? わかんの?」

「何となくね。ボクって聖獣だから、聖女ティナと神剣の気配はわかるんだ。それより、よっぽどのときはソレ使えばいいんじゃない? 『どこだー?』って」

「ああ、これ」


 カーバンクルが視線を落とした先を目で追う。

 一拍おき、難しさをいっさい隠さない声音で答えた。


「んん……でもな、一回しか使えねぇから」


 指輪は剣を扱うのに邪魔なので、紐を通して胸当ての内側に入れてある。お守りのペンダントトップよろしく、服のポケットに落とし込んでいた。

 使うことを躊躇する理由――まぼろしの品である幸運の指輪ラックリングには、どうやら細かな決まりごとがあるらしい。


 ひとつ、伝えられるのはひとつの指輪の主まで。同時に複数は無理。

 ひとつ、送る側は相手を正確に思い浮かべること。間違っても国王やユガリア領主を思い出してはならない。


「――指輪こいつはさ、『受け取る』だけなら壊れないにしても、迂闊に数を減らせない。無事かどうかの確認はできるにしても……。温存できるなら、それに越したことないだろ。急ごう」

「ええ〜、そう? あ、そこ左ね」

「はいはい」


 迷宮は奥も同様の薄暗さだった。歩くには問題ないし、意外なほど魔物と遭遇しない。さらには聖獣を松明代わりにできるとあって、魔除けの魔導具や灯りの魔法消費もないまま、ずんずんと進む。


 そういえば、と口をひらいた。


「ウィレトは? あいつも吹っ飛んだ?」

「うん。でも、アダンたちと違って、この迷宮のどこかにはいると思う」

「迷子かよ……………えっ?」

「え?」

「いま、なんて」


 思わず立ち止まり、肩にとまった聖獣の瞳を覗き込む。

 カーバンクルはルビー色の目をきらりと輝かせ、不思議そうに首を傾げた。


「アダンたちを包んだ霧と、ウィレトやティナを転移させた仕組みは違う。霧は、いけすかない魔王の色をしてた」

「それって」


 やばい。

 非常事態中の非常事態なのでは……?


 ルークは、しばらく一本道なのを念頭に、思いっきり駆け出した。落下したカーバンクルが不満げな声をあげるのも省みず、スラリと背の神剣を抜く。


 ――罠や不意討ちがあったとしても、ぜんぶ薙ぎ払ってみせる。全速力だ。


「〜〜くっそ、来い! ちゃっちゃと案内しろ! どいつもこいつも危ないだろ!!!」

「待ってーーぇ! ルーク、速い! 勇者のくせにボクを置いてくなあぁ!」

「うっせえ! 第一、飛べるだろうがよ、お前!!」


 ぎゃあぎゃあと応酬しながら進む一対はやがて、予想外の場面に遭遇する。

 何回目かの曲がり角を折れ、分岐路を選んだ。その先の仄暗い一隅に。



「? ティナ、か? それに……――ッ!?」



 探し求めた暁色の髪を見つけた。

 倒れているその少女に、おぞましく蠢くカゲが覆い被さっていた。




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