2 薄明かりの迷宮(1)

「あれは?」

「む。まずいな。でかくなっている」

「……でかいどころじゃないでしょう。これじゃ、まるで城郭都市……」


 ぽかん、と口をひらく。言葉をなくした。




   *   *   *




 一行は野営地での夜をやり過ごし、徒歩で瘴気の森をめざしている。とたんに深まる濃霧に、ティナは口を覆い、目を細めた。

 厳密には、阻まれているのは視界だけ。人体には悪影響しか及ばさない厄介な霧も、継続性の高い解毒魔法を駆使できるアダンによって完全に無毒化されている。聖騎士様々だ。


 ティナは、前方にうず高く積まれた魔岩壁まがんへきの高さに辟易とした。厚さもそれなりにあるだろう。

 薄闇色の濃淡を持つそれらはえんえんと左右に広がり、魔王城をうちに隠す森全体を取り囲んでいる。


 ――ように、見える。


 ただひとつ、ひと一人しか通れなさそうな、狭い門扉もんぴを除いては。


 ティナは何気ない所作で扉に手をかざした。


「! おいっ、危な……」

「平気よ、ルーク」


 目を瞑り、配されているかもしれない“罠”を探る。

 この体は聖女であると同時に、シーフとしても活動をしていた。ならばと試したわけだが、案の定、するするとスキルが発動した。


 細い意識の糸は満遍なく扉を探査する。

 結果、突然吸い込まれたり、切り刻まれるといった理不尽な仕掛けはないことがわかった。

 ホッと息を吐いて振り返ると、半目のルークと視線がかち合う。


「ティナ〜」

「こめんごめん、大丈夫よ。罠はなさそう。どのみち、ここから入るしかないわよね。壁を壊す意味はなさそう」

「そうだけど……。これ、なんだ? 魔王城の壁か?」

「ううん。昨日も話したけど――」


「迷宮だな」


「ゾアルドリア」

「迷宮?」


「ああ」


 一歩進み出た巨体の彼女の向こうに扉がそそり立つ。

 壁材と異なり、赤みがかった月を思わせる光は扉じたいが放つもの。それらは否応なくセレスティナの里の民を連想させた。

 黒い髪。黒い角。赤い瞳は闇夜月の民の特徴だ。ぞわりと嫌な予感が背を這う。両肘を抱き、気丈さを意識して声を発した。


「……そうね。新たに民を徴収して造らせたってわけでもなさそうだし」

「ふだんは地底に籠もったままのドワーフ一族でも、たった数日でここまでの築城は無理だろうな。こいつ自体が生きている証だ」

「迷宮核が、こんな急に?」

「そうとしか考えられんが」


 感情を省いたゾアルドリアの言いように、ティナは眉根を寄せた。きり、と唇を噛む。


 見慣れた夜の色と月の色が、かたちを変えて目の当たりにするとこんなにも苦しい。離れている間に、いったいどれほどの同胞が殺されたというのか。


(ハルジザード……あいつ、里のものを連れて行ったのは…………喰らうため。やっぱり、私の体セレスティナに近しい魔力を取り込むためだったんだわ。何てこと)


 ――最初から、黒幕がゾアルドリアでないとわかっていれば?


 たとえ、そう仮定したとしても、魂を剥ぎ取られ、この体ティナに移された時点でできることは少なかった。むしろ最短でここまで辿り着けたのだ。

 半ば言い聞かせるように己を鼓舞すると、おもむろに背から声がかかった。


「行くか。ここでまごついても、しょうがねえだろ」

「ギゼフ」


 すっと濃紺のローブが動き、長身の彼が隣へ。

 ぼさっとした黒髪の隙間から切れ長の瞳が覗き、こちらに向けられた。「ところで。、持ってるか?」


「あれ?」

「指輪だよ指輪。ユガリアで手に入れたんだろう? 胡散臭いおっさんから押し付けられたっていう」

「おっさんというか……、胡散臭さはお前と張ると思うがな。交渉に使った残りは、私が持っている。どうした?」

「出せ」

「…………あぁ、なるほど」


 流れるように何かを察したアダンが、背の荷袋から指輪を三つ取り出す。ちら、と面々を一瞥し、一つはティナ。二つめをルーク。三つめをゾアルドリアに手渡した。

 ゾアルドリアは、きょとん、と目を瞬かせた。


「何だこれは」

「我々の間では“幸運の指輪ラックリング”と呼ばれる、大変稀少な魔導具です。一度だけ、離れた場所からでも同じ指輪を持つ相手に言葉を伝えられます」


「ふうん……?」


「念のために持っとけよ、大女。出来たての迷宮なんざ、中に入れば大抵厄介なもんだ」

「ふん。知った口を。言っておくが、人選は妥当なのか? あたしは、れっきとした魔族だぞ」


 にやりと片頬を歪めたゾアルドリアが、悪役よろしくギゼフを見下ろす。

 ギゼフは、ふう、と溜め息をついた。


「優先順位だな。万が一、はぐれたり、正気を失っちゃしんどい相手にアダンは渡してる。妥当だ」

「ほう」


「ねえねえ! ボクたちはーっ!?」

「キュッ」


 淡々と進む会話に見かねてか、ティナのおろしたフードのなかから声がした。緑銀に輝く聖獣カーバンクルと、幼い仔竜のキュアラだ。

 ふむ、と、顎に指を添えたアダンが呟く。

 ちょっとした会議ののち、聖獣と神竜は聖女の護衛になるべきだろうと残留そのままを言い渡された。すなわち、ティナと一緒。


「僕もティナ様から離れませんよ」

「だろうな」


 ずっと無言を守っていたウィレトが、さも当然といったていでティナの右隣に立つ。

 総指揮者のアダンは、それを苦笑で見守った。


「決まりだな。行こう。入り口が狭いから、……最初は私からか」

「気を付けて」

「ええ、ティナ」


 にこりと紳士的な笑みを向け、アダンが扉を押す。

 扉の先は妙にまぶしく、アダンに続いて足を踏み入れたティナは、つかの間目を瞑った。そこで――



「えっ、何? これ……!?」



 ぐるりと天地が歪む。反転する平衡感覚。よろめき、圧縮された魔素にぐぅ、と喉が鳴る。

 かろうじて堪えたティナが額を押さえ、目をひらくと。



「うそ。アダン……、ルーク? ウィレト! ギゼフ! ゾアルドリアっ!」



 どきどきと胸が早鐘を打ち始める。

 血の気が下がり、薄明かりの迷宮を見渡して確信した。誰もいない。


 ――――ひとり、だった。




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