10 酔いしれる、魔王を騙るモノ

 払暁。未明の空を一羽のカラスが飛ぶ。

 カラスは何の変哲もない、ふつうのカラスだった。


 が、空であっても瘴気の立ち籠める魔族領の奥地にあって、悠々と飛翔する姿は異様の一言に尽きた。それを知らしめるように、灰と炎に似た色あいの空には、ほかに鳥のたぐいはいない。……一部、早起きの女妖鳥ハーピィや怪鳥といった、中〜大型の魔物を除けば。


 カラスはねぐらへと戻っていった。闇の濃いドーム型のこんもりとした森の中央。密にかさなる墨色の枝や紫の葉をするすると避けて降り立つ。切り抜いた魔岩を積んだそれは、通称『闇の城』と呼ばれた。長年、代々の魔王とその側近らが住まう場所であり――いまも。


「お帰りなさいませ、あるじ様」

「ああ」


 無骨な作りの石人形ゴーレムが片膝をつき、恭しくカラスを出迎える。カラスはとたとたと歩み、やがて暗がりの玉座へ。血色の絨毯の向こうにもたれ、眠るように目を瞑る『それ』へと近づいた。

 カラスの足は停止。絨毯の上にくずおれる。


「…………あぁ、いいな。この『器』は。やはり、瑞々しい」


 満足げに息を吐くのは美女だった。

 長い睫毛に縁どられた怜悧なまなざしは柘榴色。額から生えた二本の角はしっとりとした黒で、腕利きの職人が命を削って仕上げたような繊細さと光沢がある。

 美麗な顔周りから太ももまでを飾るのはぬばたまの絹糸の髪。白い月光を思わせるきめ細やかな肌に、ほっそりとした四肢。にも拘らず、万人の目を奪うに違いない、張りのある豊かな乳房や優雅な曲線を描く腰はえも言われぬ魅力に満ちていた。


 カラスから美女へと――男は、愛おしそうにみずからの左腕を右手で撫で上げる。


「容姿。魔力。生命力。どの点においても、遠い昔に我を産み落とした母君に匹敵する。すばらしく理想的だ……。そうは思わぬか、下僕しもべよ」

「はい。まことに」


 はいとしか答えぬように作られた土塊つちくれの命は、とことん創造主に従順にできている。

 もし、ここに本来の『彼女』を知る縁者がひとりでもいれば、怒り狂わんばかりに男を罵り、怖気おぞけを抑えられなかっただろう。それほどの禍々しい美を振りまき、申し訳程度の透ける布しかまとわない当代魔王、セレスティナ=ハルジザードが婉然とほほ笑んだ。


「逃げたニエを空から追いかけたら、面白いものを見たぞ。人間の都を発った勇者どもだ。半竜人の里に来ていた」

「なんと。勇者とは……! 主様が、恐れ多くも小鳥の身にやつしてご覧になっていた、あの者たちですね。して、半竜人はどのように」


 無骨な石の顔に表情は浮かべられない。

 ゴーレムはあくまで模範的な側近であるかのように振る舞う。感情はない。ただ、そのように作られているからだ。

 ハルジザードは問いには答えず、音もなく滑るように歩み、隣室へと向かった。


 誰も、信用できない。

 誰に対しても心を分けることはない。ゆえに、斥候も自分自身。そのため、魔力の消費量をあがなうために多量の贄を必要とした。


 ゾアルドリアは逃げてしまったが、隣室には生き残りの闇夜月の民がまだ大勢いる。彼らの瞳に映る最期の絶望の色彩いろは、極上の酒のようにハルジザードを酔わせた。

 産まれてこのかた、ただひたすら生き延びるために。

 むしろ“死なない”ためだけにあらゆる生き物を喰らい、血を啜り続けてきたハルジザードにとって、闇夜月の民は殊のほか旨かった。しかも、一体一体が見目よく、量の差はあれど上質な魔力に満ちている。血肉や骨、臓物を喰らうことで摂取する魔力にはどうしても『こぼれ』が生ずるが、仕方のないことだった。酔えるほどに美味なのだから、あるだけ貪れば良い。ぺろり、と舌舐めずりをする。





(そう言えば)




 ――――悲鳴。罵詈雑言。流れ落ちる涙に多少の反撃。

 そのすべてを愉悦とともに味わい、遊んでやってから成人の鬼を二名平らげた。この容姿になってからの、彼らの闇はいっそう濃い。


 返り血をまた洗い流さねばならないが、それは、城の水場に行けば係の者が黙々とこなすこと。気に入りの『器』なのだから、長く大切に扱うのは当然だった。


 その道すがらに考える。ぼんやりと。


「たしか、…………小賢しくも逃げ延びた贄は、もうひとりいたな。人間どもの都に落ち延びて、勇者と行動をともにしていた……――ふむ。『ウィレト』というのか」


 記憶を探る。

 喰った者の知識や力は、不完全な断片ではあるが己がものとできる。そのなかに贄の少年の名を効率よく見つけ、ハルジザードは、フフッと笑った。


「来るがいい。贄ども」


 白竜山脈の裾から、この瘴気の森まで。

 人間の勇者一行と食べそびれた贄が飛び込んで来るのは、疑いようもなかった。目を瞑り、俯瞰で近辺を探ろうとするが……。


「だめか。やはり、器本人の固有能力は。痛し痒しだな。さて、どう料理するか」


 うまく働かない、器本人セレスティナの力をむりに制御すると、森の近くに渦巻く魔力の吹き溜まりが見えた。新たな迷宮のコアだ。

 しばらく考えに耽り、唐突に思いつく。

 迷宮。

 これを、森の周囲すべてに張り巡らせて彼らを狩るのに特化した、歪んだ遊び場にしてしまえば…………?


「いいな。よし。そうと決まれば、さっそく手を加えることにしよう。属性は……奴らの魔法は…………。うん、……うん。うまくやれば面白いことになるな。見ものだ」



 血濡れた裸足のままで、再び歩む。

 頭に描いた遊戯盤を、持てる知識と力を用いて顕現させる。

 ハルジザードは、ぞくぞくとする高揚とともに、ある意味、ひどく魔王らしいわざを成そうとしていた。




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