8 厄介ごとは降るように

「名前」

「そう。そいつな、お前の浄化魔法がきっかけになって孵化したらしい。だから……ええと、神竜? ヴァンノフにちなんだ名前をつけてくれって。こいつが」

「キュイッ」

「…………『こいつ』?」

「もー。ボクだよ! 失敬だなぁ、当代の勇者は」

「まぁまぁ」


 ぷりぷりと頬を膨らませるカーバンクルに、アダンはよしよしと慰めの視線を送る。王子の頭によじ登った聖獣は正面のルークと向かい合い、いわゆる変顔の応酬をしているようだった。こちら側からはルークの顔しか見えないため、複雑な心地だ。


 ――と、ティナは、さっそく火急の件に横水をさされる形で仔竜の嘆願を受けている。



 膝の上にむっちりとしたお尻を乗せる竜は、まだ幼体で、この辺りの山脈に生息する竜の眷属や半竜人の竜体とは明らかに異なった。

 澄んだ水色を帯びる金の瞳に銀の角。蒼く透ける繊細な鱗に白い翼の取り合わせは珍しく、どことなく神気を感じる。

 仔竜は首を傾げ、愛らしくティナを見つめた。

 一度はウィレトによって引き剥がされたものの、あっという間に戻ってきたのだ。


 聞けば、この仔は卵のまま、長く仮死状態だったという。母は半竜人の祖たる風竜・ヴァンノフ。

 ヴァンノフは蒼く優美な竜体に白い羽をそなえていたと伝えられる。リューザ神とは別系統にあたる、“神竜の娘”だ。

 ゆえに、性質はどう見ても聖獣寄り。魔族領に近いこの地では瘴気の気配が濃いため、おちおち孵化できなかったのだろう。


(……それが、偶然とはいえ『ティナ』の聖魔法を浴びることで、必要な神気を得られたと。なるほどねぇ)


 そっと頭を撫でてやると、うれしそうに額を擦りつけてくる。相当人懐っこい。

 リューザニアの王都地下で見出したカーバンクルと同じく、仔竜もまた聖女のには頓着しない性質たちのようだった。


 ――――……いいのか、それで。


 苦笑をこぼしたあと、ティナは周囲を見渡した。



 連れられた居間はそこそこの広さがあり、床に毛織りの敷物と円座を敷いて直接座る様式。じつはセレスティナの里も同じなので、これには馴染みがある。

 植物を編んだ衝立を背にした奥座ではゾアルドリアがでかでかと腰を下ろし、隣に小柄な老人を座らせている。

 老人の額やこめかみに鱗があるということは、おそらく、彼が半竜人の長なのだろう。

 そのやや後ろで、同じく鱗持ちの女性が伏し目がちに控えている。

 彼女のことは覚えていた。荒野で助けた、半竜人の戦士だ。

 一段低い位置には奥からルーク、アダン、ギゼフ。入口側の席にはティナとウィレト。真上から見れば半月の形のような塩梅だ。


 ティナは、いちどきに押し寄せた事態に喜ぶべきか、憂えるべきか。どちらとも言えない思いで、もう一度ため息をついた。


「じゃあ、『キュアラ』」

「キュ!」


「えっ」

「嘘だろ。ちなんでねぇ」

「おい、『ヴァンノフ』に掠りもしてねぇぞ」


 突拍子もない名付けに居並ぶ男性陣が色めきだつ。

 どうやら伝説の竜の遺児とあって、それなりのロマンを抱いていたらしい。

 ティナは、あっさりそれらを一蹴した。


「いいんです。名前にルーツを入れるのは、わかりやすくていいですけど。鳴き声が可愛いし、女の子ですし」


「……い、いいのですか? 里長殿」

「いいですよ」


 小柄なせいか、ほっ、ほっ、と長い白ひげの奥からくぐもる笑い声を漏らす里長は、好好爺に見える。

 老爺はティナに向き直り、丁寧に一礼した。


「此度は、これなるゾアルドリア殿の急な来訪で早合点いたしましたが、幸いにも貴女様によって里の大事な卵が孵りました。御礼申し上げます。聖女殿」

「ああ……、いえ、どういたしまして。キュアラ、あなたもそれでいい?」

「キュイイ♪」


 仔竜は、とにかくティナに呼んでもらえたことが嬉しかったらしい。ぶんぶんと激しく尾を振っている。


 雌だったのか……と、こっそりウィレトが呟くなか、「では」と壇上から切り出す者がいた。いかめしい顔つきをしたゾアルドリアだ。


「本題だ。目覚めて吉祥だったな、娘。それで、お前は――そこの人間たちが言うように、本当に『セレスティナ』なのか? 偽りは許さんぞ」


 筋骨隆々の体躯に鋭い眼光。滲み出る覇気が声音の圧となって押し寄せる。

 並の人間の少女ならば、すでに失神しているだろう。

 こんな女の側で、しゃあしゃあと仕えていたのか……と、ティナは呆れた。


 夢で、彼女ティナの過去を視た。

 早送りでもあったそれらの最後に、セレスティナの魂が抜き取られる瞬間までもが流れ込んだ。あのときの顛末を、いまなら語ることができる。

 深呼吸。

 深く息を吐いた。


「そもそも、騙し討ちをしたのはそちらでしょう、ゾアルドリア? 許すも許さないもないわ。けれど、あなたには何としても協力してもらう。言いなさい。私の体は、いま、何処? ハルジザードは何をしようとしているの」


「!! その高慢ちきな物言い……。間違いないな、セレスだ」

「質問に答えなさい」


 ぎょっとした一同が見守るなか、ゾアルドリアは辟易と顔を歪めた。


「質問のひとつめ。お前の体は魔王城にある。私の知る限りはな。そして、質問のふたつめ。あいつの正体に感づいてるなら、薄々わかるだろう。“喰らう”つもりだよ、何もかも」

「何?」


 聞き捨てならない、と眉をひそめたアダンが、思わず口を挟む。

 ゾアルドリアはさらなる事実を投下した。


「セレスの体を、奴は自分の新しい器にしようとしていた。――が、みごとに拒絶されていた。

 魔力が足りないからだと判断した奴は、闇夜月の里をゴーレムに襲わせて一族を喰い始めた。

 里の婆さん……あたしとセレスの祖母が喰われたときには、気配ががらっと変わってな。あいつの部屋がしずかになって。………………すまん。とにかく嫌な予感がして、あたしはその隙に逃げ出した。

 ここに来たのは、半竜人に勇者を探させるためだ。ハルジザードあいつは不死の魔王だからな。忌々しい勇者の神剣で魂ごとぶった切ったほうが、手っ取り早いと思ったんだ」



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