7 ギゼフの宣誓、仔竜の洗礼
(――?)
控えめな靴音とともに振動が伝わる。
最初に目に入ったのは、普段は滅多に見ることのないギゼフの長い前髪の内側だった。やたらと整った鼻梁に無精髭が残念な口元。すっとした直線的な眉に、前を見据える切れ長の黒い瞳。
人相は、はっきり言って良くはない。
しかし、気配は包み込まれるようにふわふわと温かかった。これは。
「!?」
ぎょっとした。
どうやら、ずっと横抱きにされていたらしい。外套でぐるぐる巻きなため、物理で手が出せなかったようだ。慌てて覚醒の意を知らせる。
「あの。ギゼフさん?」
「ん。起きたか。思ったより早かったな」
「はい……あ、いえ。そうではなく。すみません、ここは?」
きょろりと視線を彷徨わせる。普段よりも位置が高い。ぴったり彼の体に添うように抱き込まれているからだ。それは意外にも安定感こそあれ、嫌な感じはしなかった。むしろ、ずいぶん大切に扱われている気がする。
窓の外を見る限り、荒野ではなかった。緑が濃い場所にある建物で、室内には自分たちだけ。ギゼフが向かう先には清潔そうな寝台がある。
外套のなか、もぞもぞと身じろぎするティナに、ギゼフは珍しく素直に微笑んだ。
「半竜人の里。長の館だそうだ。起きれるか? それとも呼ぶか? お前さんの知り合いが来てる。ゾアルドリアとかいう」
「!! ゾアルドリア……本当に? もちろん起きます」
「よし。降ろすぞ」
「はい」
丁寧に屈まれ、足の先からそっと床に降ろされる。それでも目眩がしたのを察せられ、たちまち肩と腰を支えられた。
やれやれと呟いたギゼフは落ちた外套を拾い、畳んでみずからの腕にかける。
「あいつらなら、まだ居間だろう。ここから少し戻る。立つのが辛いならオレに掴まればいい。歩幅は合わせる」
「……すみません」
謝りつつ記憶を探る。
今の状況は、
たしか、レーゼ荒野では、
ルークが戻ってからは総員戦闘態勢となったはずだが、そこからがうまく思い出せない。夢で見たティナの幼少時代のほうが、よほど鮮明だった。
ここが半竜人の里ということは、すなわち戦闘に勝利できたということ。なのに、なぜ気を失ってしまったのか。
(? 私、何かしたかしら)
歩きながら、おそるおそるギゼフに尋ねてみる。
すると、意外な答えが返ってきた。
「何を言ってる。あの亡者の群れを一掃したのはお前さんだぞ。白いほうの」
「白……?」
「魔力の色だ。お前さんは『黒』。ただし真っ黒じゃない。上等な夜光石みたいに、月のない星空を映した泉の色だ。
「じょ、浄化!?!? うそっ。覚えてないわ」
思わず素に戻って口走ると、ギゼフが人の悪い笑みを浮かべた。
「前代未聞だな。聖魔法を駆使して己の下僕どもを屠る魔王なんざ」
「それは……言わないでほしい。そもそも、これは『ティナ』の体なんだし。多少の不可抗力は…………ん? 何?」
「いや別に」
「???」
妙に楽しそうなギゼフに、懐疑の念がいっぱいになる。まなざしをそれ一色に染めて見ると、ふと、真面目な顔で立ち止まられた。
「杖作りにしてもそうなんだが」
「はぁ」
話が見えない。首を傾げる。
ほかに扉はなかったので、ここが居間なのだろう。ギゼフはふだんと調子を変えることなく、淀みなく話し始めた。
「オレは、一見してそいつがどんな魔法を得意とするか、すぐにわかる杖は作らないことにしている。実戦では不利だし、個人で違うもんだからな。魔力の『色』は」
「そういうものなんですか」
「ああ。で、お前さんの魔力の『色』は相当珍しい。店に来たときは驚いた。聖なる錫杖に闇属性を付与すんのも、なかなか燃えたしな。旅に出てみれば、そのちっせぇ魔力量にも意味があるとわかった。結果、今もめちゃくちゃ興味深い」
「ど、どうも……?」
燃える、という単語に凄まじい杖作りへの熱量を感じ、若干腰を引かせる。が、思ったよりしっかり支えられていたため、わずかばかりの距離もひらかなかった。
「あの」
「オレはな、セレスティナ。人間としての命題は未知への探求にあると思ってる。お前さんの都合もあるだろうが、オレは、オレの最大限の興味関心をもって、あんたを助けてやりたい。――もとの体に戻ったあんたを見たい。本心だ。覚えとけ」
「…………私、魔王なんですが」
言外に(※利用している手前、少々気は咎めるが)
『魔王を前にして、ただの人間風情が無事でいられると思っているのか』という意を端々まで込めたつもりだった。
ギゼフは怯まなかった。どころか、この男のわりには仰天するほどの甘さで顔を寄せてきた。
しかも、きちんと目を合わせるためだろうか。露わになった目元と長い前髪をかきあげる仕草に良からぬ危険を覚え、こちらの顔が赤らむ。
「ギゼフ」
「いいね。今度からそう呼べばいい。
「な」
なぜ、とか、何を、とか、反論しようとした途端に身を離され、呆気なくギゼフは扉に向かって行った。半ば放置された
「おーい。盛り上がってるか? 『黒いほう』が起きたぞ」
「! 何だと!!」
「キュイーーーーッ!!」
「えっ…………!??? きゃあぁ!」
魔法使いが躊躇いもなく開けた扉からは、この上なく
前に立つギゼフの脇をくぐり抜け、それは一直線に飛んで来る。
身構える隙もなく受け止めてしまったティナは、果てしなく先ほどの衝撃を持っていかれた。
生き物は、すりすりとティナの胸元に擦り寄って甘えている。思ったよりも柔らかな感触に、それなりの衝撃と重み。つぶらな瞳に透き通る蒼い鱗がうつくしく、まだ短い角が王冠のように頭部を飾っている。白い羽毛がふわふわと手の甲を撫でた。
――知らない、種ではあるが。
「竜の……幼体?」
「キュイ!」
仔竜は元気よく、こくっと頷いた。
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