6 幼い日の秘密

 遠い、記憶がある。


 ――何をしているの?


 そう、声をかけられた。わたしは七つ。たぶん、生まれて初めて堪忍袋の緒が切れた三日後。意を決しての家出の折だった。




   *   *   *




「え? わたし?」

「うん。ほかには誰もいないけど?」

「ああ……そうね」


 うまくはぐらかせなくて、わたしは口の端を思いっ切り下げた。

 相手はくすくす、楽しそうに笑ってた。「君は『える』んだね」


「え?」

「私のことだよ。ねえ、どんなふうに見える? 君には。可哀想に。せっかくの探検でイバラに引っ掛かっちゃった、いとけないお嬢さん」

「〜〜探検じゃないわ、家出よ! って、うそ。みてたの? いじわるなね……! サラサラの金の髪で、とぉってもきれいな、お空の色の瞳! まるで絵本のお姫様みたいよっ。どう? これで満足!??」

「お、おおっと。元気だ。怒ったの? ごめんね」


 地面に両手をついて丸まったままのわたしの剣幕に、そのひとは若干引きつった顔で後退あとずさりした。

 わたしは、つん、と、そっぽを向いてやる。


「わかればいいのよ。で? 外してくれるの。くれないの? うしろの髪だから、どうなってるかわからないの。手伝って」

「フフッ。もちろんだよ、未来の『――』さん」

「? みら……え、何?」

「ううん。何でもない」


 お兄さんは、にこりと笑った。

 それから、棘々とげとげの枝に絡まったわたしの髪を丁寧にほどいてくれた。

 

 ほうっと息をついて見つめた地面の上。手の甲に落ちたオレンジ色の日がどんどん翳る。もうすぐ夜。

 うずくまっていても伝わる。村の方向がざわついている。さっきは、わりと近くまでわたしの名を呼ぶひと達が来ていた。

 今日は、苦労して抜け出せたのはいいものの、お作法のお稽古の時間だったせいだろうか。すぐにバレてしまった。残念、潮時かしら……。


(くやしい。今度は、もっときちんと計画しなきゃ)


 そもそもここはヴィヘナ村のすぐ近く。薪用の木を採るための林で、めったに魔物は現れない。通いの行商人さんが言うには、朝早くに入れば昼には抜けられるくらいの広さで、抜けた先には宿場町。都への乗合馬車もあるはずだった。子どもだって、頑張れば日暮れまでに辿り着けると思ったのに。


 ――思うに、意気揚々と林に入った途端につまずいたのが運の尽きだった。

 仕方ないか、と腹をくくって立ち上がり、泥で汚れた前掛けをパタパタとはたく。いじわるなのか優しいのかわからない、恩人のお兄さんに向き直って姿勢を正した。


「ん?」


 きれいなお兄さんは面白そうに首を傾げた。

 “真珠色”というのだろうか。暗くなり始めた木立ちのなかで、肌もきぬもうっすらと輝いて見える。

 わたしは、お兄さんにお辞儀をした。ちゃんと、習ったとおりにスカートの裾をつまんだ。


「このたびは助けてくださり、ありがとうございました。つきましては旅のかた。あの……」

「?? うん?」

「よかったら、その、お家まで来てくださいませんか? 家出は大失敗だもの。きっと、たくさん叱られてしまう。けど、お客様が一緒なら」

「そんなに怒られないってこと? 正直だねえ」

「嘘ついても仕方ないわ」


 すん、と黙って俯いてしまったのは、わからず屋の両親のことを思い出してしまったからだ。すると、お兄さんは屈み込んで目線を合わせてくれた。



「どうして、家出を?」

「だって……。お父様もお母様もひどいのよ。わたしのこと、何にも考えてない。毎日毎日『巫女になれ』『家を継げる、いいお婿さんをとれるように』って。ばかみたい。わたし、本当は冒険者になりたいのに」

「お嬢さん」

「むだよ。告げ口しても。もう知ってるわ。あのひとたち、今日は二つ向こうの村から、お兄さんくらいの神官様を連れてきてたの。お見合いさせて、『こんやく』させたかったんですって。いやよ、絶対に嫌!」

「ティナ」

「そ………………、え? あれ? どうしてわたしの名前」

「しっ」

「!!!」


 ふいに、また、村から探索の人手がこっちへ来る気配がした。お兄さんは素早くわたしの口を手で塞ぎ、しゃがみ込む。わたしは、どぎまぎした。


「聞いてティナ。私の名は『リューザ』。君たちが神と呼ぶもの。神族だ」

「……は?」

「聞いて。君に頼みがある。どうか――」




   *   *   *




 それから。

 わたしは彼とたびたび『話す』ようになった。

 村に戻ったわたしは、できるだけ大人しく過ごした。もちろん、両親を油断させるために。


 だって、約束してしまった。

 自由を手に入れるため、彼の望みを聞く。彼のために、ちょっとばかり危ない橋も渡らなければならない。

 「それって、死ぬのでは?」という問いにも、彼は「大丈夫。をあげる」と、ほほえむばかり。まったく食えやしない。


 ――彼は、わたしたちの国で崇められる光と戦いの象徴。リューザ神なのだと信じざるを得なかった。


 しぶしぶ習い覚えた神学や、やたらと簡単に身につけられた聖属性魔法の色々から鑑みるに。

 どうやら、あの林での一件は、表沙汰にしては『聖女』コース一直線。彼からの頼みごとは『神託』に分類される。


 …………と。







 こぽこぽ、と夢の奥底の波が揺らいだ。

 ぼんやりと意識が戻る。



(嗚呼……。だからなのね)


「そうよ。だから、わたしは人間ヒトの身で魔王城に入れた」


(ゾアルドリアに、それは?)


「貴女から伝えて」


(……わかったわ。面倒だけど)


「ふふふっ」



 いたずらに、ほんのり笑う娘のイメージが近づき、入れ替わる。

 くるりと上下逆になり、今度はセレスティナが水面側へと浮かんだ。やがて遠ざかる。


 ――――がんばって。取り戻して。


 そんな声が耳元を掠めた気がした。

 何が、とは言わずもがな。


(当たり前よ)


 満ちる魔力の泉を通り抜け、ふわりと覚醒する。



 目覚めたティナであり、セレスティナは、意志を込めて瞳をひらいた。




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