3 まったき竜と、本当のティナ

 ほかの魔族からは“半竜人ハーフドラゴニュート”と呼ばれる民のひとり。アルガは焦っていた。

 竜族特有の鱗は現在、四肢の先端をわずかに覆うのみ。危機的状況ピンチではあるが竜型には変化できない。片手に大きな卵を抱えているからだ。


 卵は里の宝だった。万が一落としたら割れてしまう。大事をとって地に置いても、持ち去られては。


(〜〜っっ、たく。新魔王め、ふざけんなよ!? 次から次へと!)


 所詮、スケルトンやグールなど個体としては下の下。女であっても一端いっぱしの成体にして勇猛なる半竜人の敵ではない。じっさい、アルガはかなりの長い間、右手の槍だけで敵を凌いでいる。


 が、相手は多過ぎた。

 当方はひとりきり過ぎた。

 いかに剛健かつ偉大な地竜エンディーロの末裔とはいえ、属性ゆえの弱点はじわじわとアルガを追い詰めていた。つまり、


「くっ……!」


 身をひねり、躱した側でガチン! と歯が鳴る。

 突進して卵を直接喰らおうとしたのか、肌の爛れた亡者グールが骨の見える両腕の五指を突き出していた。

 鈍重にも空振りに終わったそいつの尻を蹴り飛ばし、ちょうど後ろで剣を振り上げていた白骨戦士スケルトンに真正面からぶつけさせる。二体はうまい具合に共倒れとなった。


 とはいえ、これではきりがない。退路はとっくに断たれている。

 忌まわしいことに、囲みの層は分厚く均等に見えた。

 諦めるわけには、絶対にいかないのに。






 ――――――――


 卵には、まったき竜にもっとも近い仔竜が眠っている。


 エンディーロの番いであった、風羽を持つ蒼鱗のヴァンノフは神族につらなる空の女王だった。

 ヴァンノフは生涯、ふたつだけ卵を遺した、原初の竜神りゅうがみのひとり娘だ。

 卵の片方は長らく孵らなかった。仮死状態なのだと一説に伝えられる。

 それでも里にとっては一族の大切な象徴。いつか孵るそのときまでは、何があっても守り抜くのが『混じりもの』たる半竜人われわれの使命と心得ていた。


 だからこそ、過去、どの魔王にも膝を折る代わりに里の自治を認めさせてきた。

 忠誠はさておき、人魔対戦が勃発すれば地上の一大戦力として戦士たちを。あるいは高位魔族が騎乗する知恵ある竜として。命を賭した同胞たちの骸の山に、それは支えられている。


 なのに。


 腕がだんだん重くなる。息が上がってきた。

 新魔王は同族にも容赦ないと、風の噂に聞いていた。

 なにしろ、簡単に滅ぼせる女魔王なのだ。縁のない半竜人などたちどころに攻められ、隷属の憂き目に合うだろう。


 今朝はやく、新魔王ゆかりの娘が先触れに訪れた。 

 娘は獰猛で名高い“赤きひとつヅノ”の民だった。

 長く波打つ赤黒い髪。紅玉の一本角。漆黒の瞳の娘は、がっちりとした体格そのままの気性の荒さで名乗りをあげ、門をむりやりこじ開けた。

 里長は、とっさに衛士えじである自分に卵を託すので精一杯だった。健脚らしい娘は、里長の館の手前すぐまで迫っていた。その言い分がいまいち、よくわからなかったのだが……。


「っ、あ! しまった!??」



 戦いのさなかに意識が乱れるなど言語道断。

 ひとかたまりのグールを薙ぎ払おうとして、逆に刃の上に乗り掛かられた。そいつが肉を切らせて身を呈する形となり、一気に周囲の輪が狭まる。

 瘴気が視覚的な濁りを与え、鼻もひん曲がりそうだった。

 ――それ以前に。


「こら! やめろ! 触れるな下衆どもっ!!!」


 卵だけは。

 託された宝だけは死守せねばと、渾身の手刀と脚技のみに徹するが、どうにも効率が悪い。

 ひやりと背を汗が伝う。

 まさかまさか。こんなところで……――ッ!??


 焦りが、あろうことか諦めに転じそうになった。そのときだった。



 ガシャリ。


(? 何だ? 動きが止まった。ひょっとして里から援軍が)


 目の前で固まり、ギギギ、と不自然な回転で首を明後日の方向へと向けるスケルトンに息を詰める。

 のそり、と、グールたちもそれに倣った。一斉に向こう側の一点へ。


「よ、よくわからんが……助かったのか? どけぇっ! いつまで乗っている!!」


 真っ二つの肉塊と化した巨大グールを跳ねのけ、取り戻した槍を頭上でぶんぶんと回転させた。薄くなった包囲網の隙間を駆けての脱出を試みる。すると、可憐だがどこかおそろしい、涼やかな声が聴こえた。



「――絶えよ! 傀儡と成り果てし命のぬけがら。まがい物よ! リューザ神の御手にて絶たれ、戻らん。輪廻のことわりに!!」



 声はなんの奇跡か、重く垂れ込めた鉛色の空にひとすじの切れ目を入れ、清浄なる光を注がせた。光を浴びた死霊たちは順にばたばたと倒れ、今度こそ動かなくなる。あまつさえ砂のように崩れ、形をなくした側から光の粒へと転じた。きらきらと消えてしまう。


(これは……浄化魔法。まさか、『聖女』か? こんなところに)


 囲みが消えて視界が晴れる。

 離れていてもわかる、神々しい光を内側から放つような人間の娘がいた。なびく白い聖布、赤金のサークレット。整った面差しに青い瞳。柔らかそうな薔薇色の髪。


 ――まさに聖女。


 そう認め、しかし、何と告げるべきか迷った。

 彼女の両脇で佇む男たちは全員、ぽかん、と口を開けている。

 うち、ひとりが呆然と小柄な少女に話しかけた。


「君は……、誰だ? さっき、君は浄化魔法を使えないと」

「『ティナ』ですよ。アダン王子」


「「「!!?」」」


 透明感のあるほほえみ。けれど、どことなく皮肉げ。自嘲を含む笑みだった。


「私が本来の『ティナ』。初めまして、ですね。皆さん。……………………ええと、ひとりを除いて」

「えっ。てことはお前、やっぱり」


 揺らぐ視線。なぜか、恥じらう素振りを見せる少女。

 神剣を携えた青年を、少女は直視できないようだった。


 少女は、ぽつぽつとこぼした。


「そう。『セレスティナ』は、私のなかにいます。いえ、感じる心も体も私自身ですが、意識というか……。私の“力”の大半を割いて彼女の魂を融合させているので。ごめんなさいね。こんなの、見ていられなく…………、て」

「! ティナっ」


 ぐらりと傾ぐ華奢な体。

 走り寄った勇者が受けとめ、何ごとかを囁かれていた。そのまま、彼女は意識を失ったようだった。


(……)

 アルガは意を決した。

 戦意がないことを示すために槍は構えず、卵を抱え直して歩み寄る。軽く咳払いをした。


「あのう……お取り込み中すまないが。貴殿らは、勇者の一行か? 私は」


「む。ああ、すまない。そうだよ。君は半竜人の里から?」

「ええ、まぁ」


 バツが悪いが、話さないわけにいかない。

 ましてや、礼を言わぬわけにも。

 なぜ、勇者一行に新魔王と同郷のオニ族がいるのかは不明だったが、ひとまず頭を下げた。


「礼を言う。おかげで助かった」

「いや、しかし……大丈夫か? それは。ヒビが入っているようだが」

「!!!!! なっ」




 ――――――パリッ、パリパリッ。




「キュイッ!」


 水色がかった宝石に似たなめらかな殻が音をたてて剥がれ落ちる。

 やんちゃな頭部でぐりぐりと内側から卵を突き崩した仔竜は、まだ湿り気のある翼を器用に震わせ、すぐに飛び立った。


「キュイイッ!」



「え」

「「「………………」」」

「くっそ。もう、オレは、何があっても驚かねえぞこんちくしょう」


 長身の魔法使いが目を細め、一息にふてぶてしくぼやく。

 生まれたての仔竜は眠る少女の肩に止まり、ずいぶんとうれしそうに頬ずりしていた。



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