承前

闇の城

 歴代の魔族の王が慣例的に住まう奥津城がある。

 通称『魔王城』。または『闇の城』。


 魔岩を切り出して積まれた巨城は外観からして真っ黒だが、呼称の本質は城の立地にあった。


 見渡す限りの広域を“瘴気の森”で埋めつくされている。歪にくねった木々は鈍色にびいろの幹に紫の葉を盛大に繁らせ、城から離れれば離れるほど丈高い。

 外縁部ではそれらが内側に向けて伸び、枝同士がドーム状に重なっている。

 ゆえに、城の真上はもっとも枝葉の層が分厚く、恒常的に漂う霧のせいもあって陽の光は届きにくい。真昼でも薄闇のなかにあった。



 その、中心。



(まずいな……)


 成り行き上、新王即位を手助けしたゾアルドリアは、これまた成り行きで新王の派閥に組み込まれ、辟易としていた。これなら高慢ちきだった従姉妹のセレスティナのほうが数倍だ。


 人間たちからは『霧の魔王』と呼ばれる――そのじつ、吸血鬼の変異種であるハルジザードは昔、老いさらばえた実体を当時の勇者に滅ぼされた。しかし、直前に禁術の“魂縛転移陣”を用いて近くに転がっていた魔鼠デビルラットの死骸に宿っていた。

 以来、かの王は草むらの影に身を潜め、通りがかった魔物や人間の冒険者を選んでは生気と魔力を吸い尽くし、命を長らえていたのだという。


 そのことを、『あの瞬間』よりも前に知っていれば……と、悔やんでも過ぎたこと。セレスティナの魂は移されてしまった。あの、風変わりなむすめに。


 娘はある日、うざったい聖魔法の気配をぷんぷん匂わせながらゾアルドリアの元へやって来た。

 人間のくせに気配を絶つ技に優れ、瘴気も障りはないという。そうして酔狂にも願い出たのだ。予言を添えて。


 ――いちどだけ、貴女の身代わりに私はなれる。

 ――貴女はこれから魔王候補に選出されるだろう。

 ――けれど、魔王になるのは別の者。貴女はその者に利用され、騙される。結果として殺されてしまうから、と。


 ゾアルドリアは苦々しく唇を噛む。


(予言は合っていた。あたしは、あれから魔王城に招かれた。“瘴気の森”で正々堂々、他の候補者と覇を競うはずだった。……常識外れな従姉妹セレスティナのせいで、拳ひとつ振るえなかったが。

 おまけにあの日。あいつが魔王の名乗りを挙げるはずだったときに…………くそっ!)


 ずっと、先王の側近なのだと思っていた。魔王城の重鎮の証である灰鼠色のローブをまとい、ひとりだけフードを目深に被る魔族がいた。奴は幽霊のように式典前のゾアルドリアに近づき、取り引きを持ちかけた。


 ――そなたこそ次代の魔王にふさわしい。

 ――従姉妹を、祝いと称して呼び出すがいい。何、殺したりはせぬ。退だけだ。






 こうして、不審そうながらも呼び出しに応じたセレスティナはローブの男の術に嵌り、魂縛を抜き取られた。


 そのとき、ゾアルドリアは初めて恐怖した。なぜなら従姉妹の魂の依代が――つまり、彼女の魂が都合よく宿れる空っぽのからだなど、この場にはなかったから。

 案の定、男は嬉しそうに倒れたセレスティナに近づいた。振り向き、「ご苦労」と笑う口元がニタリと弧を描いた。

 男の計算では、セレスの魂を近親者のゾアルドリアに飛び込ませ、やがて相容れない魂の相克から自分たちを共倒れさせるつもりだったのだろう。

 ふつう、ひとつの体にふたつの魂が宿ることはない。


 が、男にとって、ひとつだけ予想外の出来事が起きた。

 ドサリ、と音がして、ゾアルドリアの後ろで娘が倒れた。ずっと人間の気配を消し、側付きのフリをして過ごしていた、あの娘だった。


 男は目論見が外れたことに意外そうに首を傾げたが、たかだか影の薄い侍女のひとりやふたり、とばっちりを食っても大して気にはならなかったのだろう。最終的には興味をなくしたように視線を外した。

 そうして、魂の相克で死んでしまった娘の処理を、息をするようにゾアルドリアに命じた。


 かつての魔王ハルジザードである、と、そのときようやく名乗って。


 魔族史上最悪の王の名に、ゾアルドリアも他の候補者も従わざるを得なかった。もちろん、本当の重鎮たちでさえ。


 ゾアルドリアは、娘がみずからの予言の通りに身代わりになったことを今更ながら不思議に思いつつ、せめて元いた人間の領域で土に還らせてやろうと、めぼしい草地に連れて行って横たえた。

 有り体にいえば放置した。

 そのあとはきっと、彼らのいうところの『神のみぞ知る』だろう。





 いま。

 魔王城は、――――なかなか自身を宿らせないセレスティナの身体に業を煮やしたハルジザードによって、あらゆる実験場と化している。


 まずは、奴は、術によって作り出した大量のゴーレム兵を用いて彼女の里を蹂躙。闇夜月の民を大量に引き連れてきた。


 彼女の身体に移れないのが、魔力の質や優劣によるものと考えたらしい。

 実際、類を見ない魔力の保持者だったセレスティナの身体はうつくしく保たれ、石の台に寝かせられたまま。まだ何者も受け付けてはいなかった。――魂を失ってなお。


 ハルジザードは、腹いせに歴代魔王即位の慣例でもあるリューザニアへの侵攻をおざなりに行った。

 将もつけず、軍を編成することもなく、ただ恐慌状態にせしめた下っ端の群れを王都ファルシオンに向けて走らせただけ。

 その間、飽きもせずにセレスティナの縁者を選んでは喰らっていたようだが。



(まずいだろ、流石に……!!?)


 王の居室から漏れる気配が如実に変わってゆく。

 誰も、ハルジザードに心からの忠誠を誓っているわけではない。誰も、セレスティナの縁者について申告はしていなかった。なのに、奴は探し当ててしまったらしい。彼女ともっとも近い、古びてはいても濃い魔力を。


 闇夜月の里の長。

 おそらくは、彼女の魔力をハルジザードが取り込んだのを、ゾアルドリアは肌で感じた。

 よって、危険を知らせる本能のままに行動した。





 翌日、魔王城の壁と“瘴気の森”には人ひとり分ほどの風穴が空いた。

 ゾアルドリアが、文字通り己の拳ひとつでこじ開けた、決死の逃げ道だった。



「冗談じゃない。供物になんぞされてたまるか! 勇者だ勇者! 人間の勇者を探してやる……!!」




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