8 求婚どころではありません!(前)

「そうですか。ヴィヘナには寄らず、そのまま討伐へ……。では、どのルートを使われますか? 領内は我が騎士たちに先導させましょう」

「ありがとう。でも、気持ちだけで充分ですよ、辺境伯」

「はぁ、しかし」


 茶色の口髭を蓄えた壮年男性は、王子を前にしぶとく食い下がった。精鋭ユガリア騎士団を擁する国境付近の大領主・グラードン辺境伯だ。



 ――いまは、ユガリア滞在二日目の夜。

 会食の席には勇者や聖女、異形の美少年従魔まで揃うものの、辺境伯自身の関心は第一王子アダンにのみ向けられている。

 なお、ヴィヘナ村を領地に持つマッシム子爵も招かれているが、こちらは辺境伯の甥ということだった。おとなしい性質たちなのか、発言はあまりない。

 両者ともにがっかりした色を隠せずにいるのは、それだけ勇者一行がヴィヘナに滞在するのを、アダンを通して王族と繋がるチャンスと捉えていたからだ。


 政治的な駆け引きには慣れっこのアダンは、にこっと笑った。胸ポケットから小さな指輪をふたつ取り出し、そっとテーブルに置く。それは、ルークが露天商から貰った幻の名品“幸運の指輪ラックリング”だった。

 小粒の石が放つ魔法具特有の輝きに、グラードン辺境伯とマッシム子爵は揃って首をひねった。


「これは? 殿下」

「砦の建設に立ち会えない代わりに……とは、ならないかもしれませんが。ふたつとも卿に預けます。いざというときのために」

「いざ、とは。どんな」


 神妙な面持ちの辺境伯に、アダンはすらすらと指輪が持つ魔法具としての効力を教えた。傍受には複数回使えても、発信には一度しか使えないこと。大変希少価値の高いものであることを十全に前置いて。


「――で、ひとつは卿に。もうひとつは……できれば、王都ファルシオンの我が父に届けていただきたいのですが」

「!! も、もちろん! 私めが責任を持って国王陛下にお届けしましょうぞ、殿下!」

「助かります」


(((うわあ)))


 鼻息荒く目を輝かせた辺境伯に、勇者陣営はちょっとだけ引いた。

 会食後、客間に戻った一同にアダンは優美な笑みを向けた。


「辺境伯は悪い人物ではないが、俗物だからね。すまない、ルーク。せっかくの掘り出しものを、こんな形で使ってしまって」

「いや? べつに。考えてみたら、俺たちが一個ずつ持つよりずっと…………でもさ、なんで領主様たちはあんなに目の色変えたんだ? 王様にはいつでも目通りできるだろ? 貴族なんだから」


 残りの指輪を手渡され、あっけらかんとルークが問う。

 王子は、困ったようにやや眉尻を下げた。


「貴族だからだよ。国王の決定権は、この国において何にも勝る。グラードン辺境伯は大物ではあるけど、王家と懇意にしているほうが、うまみは吸いやすい。彼らにすれば、王子のひとりでしかない私より、一足飛びに現国王と近づくほうが、ずっと理に適ってるんだ」

「ふーん……?」


 わかったような、わからないような。

 生返事の勇者に苦笑し、アダンは壁掛けから上着をとった。


「ティナ。一緒にギゼフを迎えに行かないか? いくらなんでも帰ってこなさすぎだ。君が言えば、すぐに戻るだろう」

「居場所は? ご存知なのですか」


 秋の宵の口。探しに出るとすれば、外はそこそこ冷える。ティナは急いでフード付きのマントを身に着けた。

 「じゃあ俺も」と言いかけたルークを、今度は主側に回り込んだウィレトが毅然と阻む。


「お前はここにいろ。話がある」

「えっ」

「ですので、どうぞ行ってらしてください、ティナ様。アダン王子、よろしくお願いします」

「うん。わかった」

「え〜〜っ!? ちょ、お前、態度違いすぎ」

「うるさい黙れバカ勇者」


(?)

 そういえば、ユガリアに着く前からウィレトは言葉少なになっていた。種族は違えど、何かしらの相談だろうかと思い至る。

 ティナは、「仲良くね、ウィレト」とだけ言いおいてアダンに続いた。




   *   *   *




「ティナ。ルークにはああ言ったけど」

「はい?」


 領主館を出て表通りの向かいには幾つもの公舎が建ち並ぶ。そのどれもが官舎だという。ギゼフの話していた『伝手』は、現在こちら勤めらしい。

 アダンは、ぽつぽつと点る明かりのひとつを目指し、迷いなく進んだ。

 経路は事前に把握していたのだろう。軒下や足元をほのかに魔法灯マジックライトが照らしている。そんななか、アダンの存在は光属性そのものに映る。淡く夜闇に浮かぶようだった。


「――私は、貴族たちにとってさほど重要な王族じゃない。立太子するかわからないからね」

「え? でも、長子ですよね? 弟君はまだお小さくて」

「うん。だから、後見としての立ち回りは求められても、私自身の即位を積極的に求められていない。私は、前王妃の息子だから。恥ずかしい話、宮廷の力関係パワーバランスと言えばいいかな」

「ああ……、なるほど。そういう」


 説明されて、ティナは、すとんと腑に落ちた。

 選定祭のために詰め込んだ知識を総動員する限り、リューザニアの王統は確かに第一子相続と決まっていない。王子の功績や国王の指名が先に立つような気がする。

 いっぽう、数度しか会っていないが、国王夫妻はアダンを疎んじているようには見えなかった。微妙な隔たりはあったようにも感じるが……。


 ふんふんと頷くティナを振り返り、アダンは、ふと足を止めた。

 視線に気づき、ティナも足を止める。


「アダン様?」

「すまない。本音を言えば、選定祭では君を選ぶ前から下心があった。弟のためを思うなら、最年少の候補にもきちんと声をかけるべきだったんだ。『聖女』は、高い確率で王妃になる。私は最悪戻れなかったとしても、純粋な戦力として勇者たちに同行するよう決められていた。でも、もし、そのなかでと。…………夢を見て」


 紫の瞳にじわりと苦さが滲む。

 そのさまを、ティナは、じっと見つめた。


「正直なんですね。なぜ?」

「君は大事な秘密を打ち明けてくれた。魔王討伐にだって、我々人間並みか、それ以上に必死だ。それに」

「……それに?」


 しずかに尋ねると、一歩近寄られた。

 恭しく手をとられて指に口付けを落とされ、あまりの動作の滑らかさにぎょっとする。


「おおおお王子っ!??」

「ティナ。私は、『ひととして』君に興味を持った、と言えば信じてもらえる? 魔族の君をうちに抱えようと、元の君に戻ろうと」

「え? あ、あの」


 引き寄せられ、ごく紳士的な触れ方で後頭部に手を添えられて声がくぐもる。アダンの胸元が目の前だった。暗闇が温かい。

 長身のアダンはやや屈み、ティナに囁いた。


「いまの魔王は必ず討つとして。私は、いずれ君に結婚を申し込みたい。急にごめんね。考えに入れておいて」

「……っ」


 離れ際に長い指が耳元を掠め、左の耳飾りに触れた。

 アダンは、おや、と目をすがめる。


「――……行こうか。ギゼフは、こういうとき見境なく話し込む奴だから」

「アダン様」

「今、こんなことを言ったのは、言わないと眼中に入れてもらえなさそうだったからだよ。ルークもいるし」

「!」


 透明感があるのに意地悪な笑みを向けられ、ティナは、もぞもぞと居心地が悪い気がした。そのままふたり、夜路を歩く。沈黙そのものは痛くはなかったけれど。


(よく……わからない。『私』は、あなたがたのどんな言葉にも答えてはならないのに)


 ほとほと困り果て、むりやり気持ちを切り替える。


 ――そう。

 討伐に必死になるべき理由が自分にはあるのだと、あらためて言い聞かせた。



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