6 見えてきた、見えない敵

 翌朝、ぶじに野営地を発った一行は街道を南下していった。予定通りに進めば明日の夕刻にはユガリアに到着する。そこで領主館に二泊し、旅の物資を補給してからヴィヘナに向かう手筈となっている。


 アダンいわく、ヴィヘナは当代勇者と聖女の故郷であることから、国王陛下の餞別や気遣いの気持ちを込めて砦の建設が決まったらしい。


 国営砦には騎士が常駐し、小規模でも兵団が組織される。有事の際は村人たちの避難先ともなるため、しばらくは関連業者が引きも切らないだろう。自然、辺鄙な村にひとつの経済圏が出来上がる寸法だった。

 よって、着任予定の騎士の面通しやもろもろの説明、里帰りを兼ねた数日の逗留を予定していたのだが。


「どうだろう、ティナ。昨夜の話から察するに、我々はヴィヘナには寄らず、すぐに魔族領に向けて発つこともできる。ユガリアでの物資の調達は必須だが」

「! え……っ。よろしいのですか? てっきり、アダン様は砦の着工も指揮なさるのだと思っていました」


 びっくりしたティナが目を丸くする。あかがね色のふわふわとした髪が繊細な輪郭を華やかに彩り、聖女のサークレットと白い聖布の佇まいは清らかそのもの。どこにも『魔王』の片鱗は見られない。

 外見、資質、振る舞いやここぞというときの胆力。そのどれもが若き聖女――ひいては未来の王妃にふさわしい存在感。可能性に満ち溢れている。

 彼女であれば、あの地下祭壇からカーバンクルを連れ出さずとも。それは確かなのに。


 本人から告げられた事実に、いまだに戸惑いを覚えてしまう。

 アダンは困ったように微笑した。



「うん。最初はそのつもりだったんだけどね」




   *   *   *




 ガタゴトと大きめの箱馬車が揺れる。

 初日は都の人々への披露目を兼ねて馬車に乗らなかった男性陣も、今朝は連戦の疲労をおもんぱかってか、そろって屈強な騎士たちに押し込まれていた。

 ……そんなにな面々でもないと思うのだが。


 進行方向を向くティナの右隣がアダン。その向かいがギゼフ。ルークはその隣。

 注意深くふたりの会話に耳を傾けていたルークは、ようやく口をひらいた。


「ひょっとして、ティナの既知への配慮ってやつ?」

「そうだ」


 アダンは重々しく頷く。

 なるほど、とルークも倣った。


「ああ……、ティナの両親は健在だから。ひょっとしても何も、今ごろかなり喜んで期待してるだろうな。目に浮かぶ」

「そんなに?」

「そんなものだよ。ええと、『ティナ』? 『セレスティナ』? どっちで呼べばいいかな」

「……では、『ティナ』と。そのほうが齟齬そごは少ないと思います。ウィレトも気をつけてね」


「はい」


 ちゃっかり主の左側に着席していたウィレトは従者のお手本のように目礼し、ところで、と、ふと全員に視線を流した。


「皆さんにお伺いしたいのですが。きのうは戦ってみていかがでした? 手応えは」

「手応え? 戦闘のか」


 うたた寝しているようにしか見えなかったギゼフが、ぼそっと呟く。

 ウィレトは彼を見つめた。


「――ええ。僕は遠隔攻撃ですし、そもそも同胞をあれだけ屠ったのは初めてなので。あの程度でふつうなのか、それとも強かったのか。その辺が知りたいです」

「なぜ」

「貴方がたは、魔王が生まれれば魔物も活気づくと言っていたそうですね。それを討伐理由にしている。――いや、それはいいんです。人間のことわりなので。

 僕は、現在の魔王は偽物だといまも思っています。なら、今回のような使い捨てであっても端下の実力から偽玉のレベルは測れるでしょう。いかがです?」


 すらすらと答えるウィレトに、ほう、とアダンが感心した。


「そうだな……。群れて暴走していたぶん、厄介ではあった。あれら全部が同時に王都を直撃しては危なかっただろう」

「戦略面での強さだと?」

「ああ」


「――ちょっといいか? どっちかってえと、個々の能力は高くなかった。だからこそ、こっちの手勢で迎え討てたんだ。もちろん、カーバンクルの結界あってのことだが」


「ティナ様。以前お話しした、里を襲った奴らですが」

「聞けよこら」


 小さく挙手までしたのに発言を流され、ルークは少年に噛み付いた。(※比喩)

 ウィレトは気にした様子もなく、ティナひとりに視線を定める。


「これは……推測なのですが。貴女を害した者と里を滅ぼした者、今回の大暴走スタンピードを引き起こした者には共通点があります。それは」

「姿を見せない?」

「はい」


 先んじて答えると、ウィレトが物騒な笑みを浮かべた。瞳も口元も笑っているのに柔らかさはどこにもない。研磨された青白い刃のような風情が漂う。

 ティナは、いよいよ腹を括った。


「親玉は、やっぱりゾアルドリアではないということね。まったくべつの第三者」

「御意」


 主従の遣り取りに、ルークは、きょとん、と目を瞬く。


「ゾア……? 誰、それ」

「“赤きひとつづの”の民、ゾアルドリア。同じ魔王候補で、私の従姉妹だったわ。母親どうしが姉妹なの」

「ふむ。では、なぜその従姉妹ではないと? 口ぶりからして大本命だったろうに」


 疑問顔の王子に、ティナはさらりと説明する。

 筋骨隆々な“赤きひとつ角”が、いかにパワータイプで直情径行か。また、彼女がその代表格たり得たか。


「……ということで、いまの魔王のやりかたは薄汚く、姑息で、端下を手駒にする。美しくありません。“闇夜月”の里を襲ったのがよほど私を嫌っていたからにせよ、それなら堂々と拳に訴えるはずなんです。彼女なら」

「う、うん……。すごいね、魔族のものの考えは」

「ご理解いただいて光栄です。アダンさま」


「おい、黒いほう」

「……『ティナ』と呼んでくださいと言いませんでしたっけ、ギゼフさん?」

「いーんだよ。お前、ころころ変わるから」

「はぁ」


 がしがしと頭を搔きながら欠伸あくびをひとつ。緊張感の欠片もなく魔法使いの男は言ってのけた。


「オレの記憶だと、過去、ひとりだけスタンピードで戦端をひらいた魔王がいる。そいつは律儀に周辺村落からねちねち、落として回ったが」

「!! それは」


 ティナは、ハッとする。

 確かに、いる。

 歴代魔王は形はどうあれ、自分の“力”を誇示するのを好む。その魔王は。


「名前は『ハルジザード』。先代勇者に討伐され、その場で霧散したって言い伝えがあるな。別名“霧の魔王”。百年ちょっと前だ」

「霧……」


 なにか思い当たる節があるようにウィレトが反芻する。

 ギゼフは、すっと脚を組み替え、座り直した。


「おい。ユガリアに着いたら、オレは昔の伝手でそっちを調べる。物資は任せるぞ、アダン」

「わかった」


 一を聞いて十を悟る年長組のかたわら、ティナは、もやもやとその魔王について考えていた。


 人間たちには“霧”などと呼ばれているようだが、彼には違う名がある。ある意味、魔族側では非常に忌み嫌われていた。その特異な“力”ゆえに。



(まちがいない。“魔を啜る王”、ハルジザードだわ……!)



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