7 風雲を運ぶ鬼

「正気ですか? ティナ」

「正気です。アダン様」


 男性ながら天使のごとく麗しい顔を歪めたアダンがおだやかに問う。

 ティナは、至極当然とばかりに首肯した。




   *   *   *




 一行は城の敷地内に建つ、とある一棟の一室に集まっている。

 ここは貴賓客用というより、身分の高い政治犯や素行の悪い王族を軟禁するために建てられたそうで、設備は整っているものの通気口以外に開閉可能な窓はない。出入り口は一つだけ。周囲には何もなく、いちばん近いのが騎士の宿直所。離れのような孤立感は、突然の訪問者を匿うにはうってつけだった。


 癒しの力で傷を治したとはいえ、ウィレトの衣服は血で汚れていたし、顔色は悪かった。ましてや、どんなに美形でも角の生えた異形いぎょうである。

 よって、随伴の騎士が機転を利かせて貸してくれたマントで全身をくるみ、負傷者のように抱えて馬に乗ることにした。


 ちなみに、アダンとルークのどちらがティナを乗せるかでも一悶着あったが、これにはルークが勝利した。(※聖獣カーバンクルの残り香のするアダンに近寄りたくなかったティナの隠れた意向。無論、「何となく」という立派な理由が付与されている)


 この時点で渋い顔になったアダンは、街中を通るのは良くないと判断を下し、主に軍の遠征や演習に用いられる西門からの帰城を選んだ。


 ……『王都の近くで怪我を負った旅人を聖女が癒し、保護した』という名目で。




 館に着いてからは、身なりがひどかったウィレトを湯殿に向かわせた。

 そのかん、人間たちは重要な作戦会議をしていたことになる。すなわち、ウィレトを勇者一行パーティーに受け入れるか否か。


 言い出しであるティナは、ここぞとばかりに自身の考えの正統性を主張した。


「いま現在、魔族領あちらで何が起きているのか。斥候も有効でしょうけれど、多方面からの情報は必要です。過去の逸話もございます。古き時代、リューザ神に打ち負かされた原初の怪物たちは、その多くが『聖獣』『守護獣』と呼ばれる尊い存在となりました。こちらのカーバンクルもそうです。ね?」

「そうらしいねー。ヴィヴィも言ってた」

「いや、しかし」


 いつになく積極的。

 カーバンクルの背中側から脇下に両手の指を差し入れ、彼越しにずずいと迫るように見上げてくる青い瞳の美少女に、アダンはたじたじとなる。ふだんの彼女からは考えられない距離の近さと剣幕だった。自然と手は前方へ。「待て」の姿勢となる。


 ルークは、それを興味深そうな面持ちで眺めていた。


「変われば変わるもんだな……。お前、神学とか故事とか、あんなに嫌いだったのに」

「っ、そ、それは。昔のことであって、全部忘れたし。聖女候補になってから勉強し直したのよ」

「そっか」


 うりうり、と、ルークは、ティナではなくカーバンクルの頬をつついた。

 そうすると銀の髭が生えた口元が不規則にめくれ、可愛らしい牙がちらちらと覗く。


 不躾な勇者の悪戯に、銀緑色の獣は「やーめーてーー!」と、世にも哀れな声を上げた。

 たちまち品行方正なアダンが「やめないか」と割って入り、現場はいっそうカオスの様相を辿る。



「……賑やかですね」


「「「あっ」」」



 湯上がりのウィレトが部屋に戻ったのは、三名プラス一匹がもみくちゃになった、そんなときだった。








 ――――――――


 急遽呼ばれた古参の侍女により、簡素な応接スペースで紅茶と菓子、軽食が振る舞われる。仕切り直しとなった会議は、ひとまずはウィレトによる身上しんじょうから始まった。



「僕は……『闇夜月』という、オニの里の者です。本当ならば今ごろ、新たな魔王様にお仕えしているはずでした。が、実力不足を理由に先代魔王の側近がたから遠ざけられまして。セレ――、失礼。あるじとは離れ離れに」


 ぴく、と、隣に座るティナの指が震えたのを悟ってか、ウィレトが話を端折はしょる。

 対面のアダンは片眉を上げたが、「それで?」と、続きを促した。


「闇夜月の里に戻ってしばらく。急に今上きんじょう魔王を名乗る軍勢が里に押し寄せて…………里は、滅びました。生き残りは全員連れて行かれて」

「!!」

「君は? どうして助かった」


 はっと青ざめて表情を凍らせたティナを、惨事への耐性が無いものと捉えたアダンは、すみやかに矛先をウィレトに向けた。

 ウィレトは悔しげに視線を落とす。


「里長様と……僕の両親が。おそらくは逃がしてくれたのだと思います。総攻撃の前でした。事の次第を人間たちに伝えよ、と。いまは偽の魔王が立っている、と」

「偽の魔王? なぜわかる」

「そいつは、。正当なる次期魔王を輩出した里を壊滅させ、主の姿は見えないのです。証拠としては充分でしょう」

「状況証拠だな」

「状況……?」


 訝しげなウィレトに対し、アダンはどこまでも冷静に吟味しているようだった。

 いっぽう、紙のように真っ白な顔色になったティナを、斜め向かいのルークが気遣う。


「ティナ、大丈夫か。お前……、ひょっとして記憶が?」

「! ううん。その、想像したら……つらくて」

「ああ――だよな。無理すんな」

「うん」


「………………失礼、ティナ様。こちらは?」

「あ、ごめんなさい。紹介がまだだったわね」


 心なし温度の下がったウィレトの声に、ハッとした。じわじわと平常心が戻る。


 ――いまは、ティナ。

 いまの自分は人間なのだと懸命に言い聞かせ、できるだけ穏便に伝えるよう心がけた。


「こちらはリューザニア王国の第一王子、アダン様。そっちが私の幼馴染らしい、ルークよ。勇者なの」

「は?」

「いえ、だから、勇者」

「そうではなく。その前」

「ええと、おさななじみ……?」

「ふうん。なるほど」


 きょとん、と瞬くティナに、ウィレトは『これからお説教しますね』モードのような、いかめしい顔つきとなった。反射でたじろぐ。


 が、しかし怜悧な赤いまなざしは、するりとアダンに流された。


「失礼。どうやら、現時点における決定権は貴方にあるようだ。アダン殿。僕をパーティーに加えてはもらえませんか。僕は、役に立ちます」

「……いいのか? 同族殺しをさせるぞ」

「構いません。里はもうないのだし」

「裏切りは? 君が嘘をついていないという保証は?」

「見くびらないでいただきたい」

「ふむ」


 一転、ぎらりと光った険しい双眸に、ウィレトの気性を垣間見たアダンは、ふっと警戒心を解いた。


「わかった。認めよう」


「え」

「本当っ……? いいのですか??」


 内心小躍りしたいほど喜びたいティナは、精一杯感情を制御して、こわごわと尋ねる。

 アダンは鷹揚に頷き、いつの間にかカーバンクルを頭に乗せたルークは、「魔族が仲間……。ありなのか」と呟いた。



 泰然と口角を上げたウィレトは、アダンには社交的な笑みを。ティナには満面の極上の笑みを。ルークには、ひやりとする笑みを向けた。


「どうぞ、宜しくお願いしますね。勇者一行の皆様。必ずや貴方がたを偽の魔王の元までお連れします。――失われたあるじと、ティナ様への誓いにかけて」




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