6 聖女発動

(同族……。この感じ、たぶん)


 厩舎で手頃な馬を借り受け、気配を頼りに街区を駆ける。乗り方は何となくわかった。この体ティナが覚えていたのかも知れない。


 思えばここ数日、予感のようなものはあった。

 はやく里に行かねば、と焦る気持ちが感じさせる錯覚かとも思ったが、ここまで近付けばわかる。闇夜月の民――馴染んだ同郷の氏族が放つ、純黒に似た魔力に。

 ティナにとってのルークがそうであるように、セレスティナにとっての『彼』も生まれたときから側にあった。


 違うことと言えば、彼がセレスティナの系譜“鬼王キオウ”に連なる“王支オウシ”であること。いわば筆頭従者だ。

 口うるさいながらも高い忠誠心で、けれど、あと一歩の魔力の低さを前魔王の側近らに指摘されて遠ざけられた。セレスティナが即位のために魔王城に留まった際は里に戻っていたはずだ。


 もし彼が本当にぼろぼろの姿で人間たちの都ここに現れたのなら、それは、なぜなのか。

 単身、魔族領から逃れなければならない状況?

 ――……ひょっとして、『私』がここにいるとわかって……?


(まさか)


 反射で浮かぶ希望的観測を、素早く首を横に振って追い払う。


 いまは、ただの人間でしかないティナは、逸る気持ちを抑えて王都の大門をめざした。



 やがて辿り着いた門の手前で、ひらりと下馬する。

 見上げるほど高く、強固な門の脇には石造りの詰め所があった。

 そこから出てきた兵士だろうか。大の男が何名も集まり、うじゃうじゃと困惑顔でうろついている。肝心の魔族少年は彼らが壁となっているせいで見えなかった。


 ティナは内心舌打ちしつつ、自身の小柄さを盛大に嘆いた。つかつかと歩み寄ると、兵士たちはすぐに気付いた。



「聖女様!? なぜこちらへ。危険です!」

「いいからどいて。話は聞いたわ。殿下に早馬が届くには、もう少しかかります。くだんの使者は怪我をしているのでしょう? 私が出ます」

「し、しかし。貴女にもしものことがあれば」

「平気よ。あなたがたはここに居て」


「「「そ う い う わ け に は!!!」」」


 途端にキリッとした顔、半泣きの顔、怒ったような顔の面々に囲まれ、やや気圧される。ティナは若干勢いを和らげ、小首を傾げて全員を順に見つめた。


「…………わかりました。では、あなたがたに護衛をお願いします。このまま、延々と睨み合ってもしょうがないでしょう? 事は迅速に当たらねば」

「は、はい」


 不承不承ではあったが、隊長格らしき中年の兵が頷く。

 視界を遮っていた革鎧の壁は、ようやくひらかれた。




   *   *   *




 ティナは息を呑んだ。目の前にはたしかに、満身創痍の魔族の少年がいる。


 額には汗で張り付いた前髪。短い二本の黒角。後ろで束ねた青みがかった黒髪は濡れたように艷やかで、けれど、いまは幾筋もほつれている。

 切れ長の紅い瞳。伏せた睫毛は頬に長く影を落とし、大きすぎず通った鼻筋。きりっと結ばれた口元。


 ――闇夜月の民は怜悧な美貌の者が多い。

 『彼』もまた、そうだった。覚えている。


「……っ、あなたは」


 うっかり名前を呼びそうになり、慌てて踏みとどまる。

 彼も、ひと目見て驚きはしたものの、あらゆる事情を察してくれたらしい。膝をついて恭順の姿勢をとり、ちらりとこちらを見上げる。「ウィレト、と申します。人間の姫」


 ティナは、安堵で息を吐いた。これなら何とかなりそうだ。


「そう。ウィレト。仰るとおり私は、姫ではないわ。ここでは聖女と呼ばれています」

「貴女が?」

「ええ」


 頷き、じっと答えを待つ。ウィレトはティナのなかのセレスティナを探すように目を細めた。そこで。



「――――ティナ! 嘘だろ、なんで??」



(! ルーク。王子も? 〜〜何なのもう。来るの、早すぎっ)


 固唾を飲んで一言も発しない周囲の兵士らと違い、遠くからでもよく通る、真っ直ぐで張りのある声。土埃をあげる西からの騎影は、凄まじいスピードで迫りつつあった。


 ウィレトは、意を決したように顔を上げた。


「……わかりました。貴女は『ティナ』というんですね。古来、勇者とは対になる存在。本来、我々とは敵対関係にある――聖女よ。。どうか、僕の言うことを信じてもらえませんか」

「信じます。ウィレト。では」



「!! せ、聖女様……!?? いいんですか」

「そんなの受けて!」


「いいのよ」


 さらりと告げてウィレトに手をかざす。

 ユガリアの近郊でスフィネを癒したときと違い、不本意ではあるが、自分の“力”の特性はある程度把握している。

 瞳を閉じ、意識を集中して消耗の激しいウィレトの体に治癒を念ずる。すると、周りから歓声。

 薄く開けた視界にはきらきらと白い光が舞い、ウィレトの傷を瞬く間に塞いでいった。自分でも驚いた。


 跪いたまま呆然とする角つきの少年を前に、ティナは、できるだけ『それらしく』振る舞う。

 ふわりと笑み、手を差し伸べた。


「立ってください、魔族……闇夜月のウィレト。誓いを捧げたあなたを無下むげにはしません」



 そこで、ルークと王子らが到着した。

 馬上の彼らに、ティナは、曲げない意志を乗せて宣言した。


「彼の名はウィレト。先ほど、簡易ではありますが契約を結びました。彼を、この旅における私の従者に。――道案内人として推挙します」



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