10  いにしえの聖獣

 王都ファルシオンには、古来、神々が魔を滅するために鍛えたという伝説の剣がある。

 正確には中央神殿の敷地内に柵で覆われた巨大な一枚岩があり、そこに――無造作に

 つまり、まさかの野ざらし。


 それでも錆びず、時の流れから切り離されたように形を保つ奇跡が、かえって剣を頻繁に取り替えた結果の模造品レプリカなのだろうと誤解を招く羽目になったのは、またひとつの逸話。



「……もちろん神官が日課として磨いたり、鍛冶師が定期的に点検はしている。でも、百年以上の周期でめざめる魔王に合わせて、我ら人間の勇者や聖女もめざめるからね。なかなか当世を生きる民には信じてもらえないんだ。あの剣が、本当の神剣ファルシオンだということを」




   *   *   *




 翌朝。

 朝霧の漂う時刻に王城を発った一行は、くだんの神殿の門前広場にいた。柵で囲まれた範囲は広く、中心にちょっとした林がある。そのなかにうっすらと岩肌が見えた。残念ながら幾重にもかさなる常磐ときわの緑に隠され、柄頭は片鱗も窺えないが。


 それでも、こんなに早くから周囲は群衆ギャラリーで埋め尽くされている。

 皆、今期の聖女候補や人気の第一王子をひとめ見ようと押しかけたようだ。

 その賑わいは高まる熱気を直裁的に伝え、当事者たちに独特の緊張を強いる。当事者――六名の候補はそれぞれ、神妙な顔つきをしていた。


 王子の説明は続く。


「で、ここに」


 示されたのは足元。

 すると、側仕えの騎士たちがやって来て、大きめの石畳を横にずらした。なかにはぽっかりと穴が開いている。空洞だ。狭いが階段がある。


「……ここが……入口」


 ごくりと誰か唾を飲み、こわごわと呟いた。

 王子は淡々と聞き流した。


「そう。ここが、魔王の時代に行われる真実の『聖女の試し』の場。いったん降りてしまえば内部は暗くないはず。記録によれば、初代聖女が従えたという“聖獣”が、都市の開闢以来ずっと棲んでいるというけど」


 高貴な面差しのアダンが、にこりと笑う。


「……必ずしも姿を現すとは限らない。そうそう、危険はないだそうだよ。君たちには地下の祭壇で祈りを捧げたあと、こちらに戻ってもらうだけで結構。

 では、始めようか。君たちに、神と聖獣の守護がありますように」







 ――――――――


(って、あの王子! とんでもない食わせ物ね。どう見たって『ご武運を』の流れじゃない。しかも)


 ティナは最後尾だった。他の巫女たちが我先に入口に殺到したので、仕方なくだ。

 そうして、しばらくは迷宮じみた地下の洞窟を黙々と進んだ。アダンの言う通り左右の壁には等間隔で魔法燭台が灯されている。暗くはない。

 が、横道や足元は薄暗いのでそれなりに注意を要するだろう。


「あっ」

「? どうしたの?」


 ちょうど、燭台と燭台の中間。もっとも明かりの届かない位置だった。すぐ前を歩いていた少女が何かにつまづいてしまう。

 いけ好かない連中ではあったが、同道する以上「人間ひととして」気遣わないわけにはいかない。


 ティナは、しゃがんだままの少女を怪訝に思いつつも近寄った。他の候補者はさっさと行ってしまった。そのことに憤慨しながら。


 ――傷でも負ったか。

 そう思って具合を診ようと隣で膝をついた、その時。


 少女がクスクスと笑った。「ばかね。こんな手に引っ掛かるなんて。“いでよ、守りの壁”!」

「!???」


 想像以上の力で突き飛ばされ、ティナの体はよろめいて横道にぐらつく。そこで、キンッ! と音が鳴り、目の前に薄青い魔法の壁が立ちはだかった。

 慌てて手を付くが不可思議な力で触れられない。弾かれる。


「騙したの!? これは……」

「やだ、知らないの? 本来は仲間をあらゆる攻撃から守るために張る強固な守備結界よ。めったなことじゃ割れない代わりに、守られた側は攻撃不可。ふふっ、ご愁傷さま」

「えっ」


 さらなる説明を求めても無駄だと言わんばかりに少女は軽やかに駆けて行ってしまう。

 通路の向こうからさざめく笑い声が聞こえ、彼女たちの連携だったのだと知った。

 やがて壁は視界すら遮り、真実ひとりぼっちになってしまう。


(!!! あああっ、もう!! またしても……、なのっ!?!?)


 『セレスティナ』のときも。『ティナ』になっても。

 なんでこう星廻りが悪いというか、騙されやすいというか。


「……そうね、愚かだったわ。ばかだった。もう、金輪際ひとなんか信じないんだから」


 ぶつぶつと呟き、横道から抜けられるところはないかと振り向いた。視線をさまよわせると、ふと、ほわりと何かが頬を撫でた。


 びっくりして頬を押さえても、もう何もいない。

 真っ暗ななか虚空に目を凝らすと、やがて極小の光の粒がどこからともなく集まり、ひとつのカタチを結ぶ。


「うそ」


 ――――人間が奇跡のわざと騒ぐような大魔法も、魔王がひとの体に封じられるような異常事態にも、もう慣れっこだと思っていた。それをたやすく裏切られる。


 『ティナ』としての体は安堵を覚え、『セレスティナ』としての自分はぞくぞくと危険を覚えた。そんな気配の持ち主だった。

 光は見たことのない小動物のカタチをとり、ふわふわと宙を浮いていた。

 うっすらと緑を帯びた銀の体毛。大きさは一般的な仔猫ほど。ただ、瞳は赤く額にも同じ色の角が生えている。

 ネズミにも兎にも見える幅広の長い耳をぴくぴくとさせ、その生き物(?)は、じつに愛らしい声で語りかけてきた。


「ひとを信じないとか、悲しいことをあんまり言わないでほしいな。ねえ。助けてほしい?」

「えっ。……………………はい、ぜひ」



 脊髄反射で縋りついてしまった自分を、たぶん、どの歴代魔王も責めはしないだろう。


(聖獣。これが)

 

 それは『カーバンクル』と名乗り、先ほど少女が張った結界をあっさりと無効化してみせた。



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