【3】聖女の幻想の中で永遠に苦しみなさい
私の集中力は研ぎ澄まされていた。もちろん恐怖じゃない。
激しい緊張と興奮にも似た高揚感に包まれていた。
気が付くと眩しい輝きが視界に映っている。その輝きは一か所に収束していき大きな塊となってエマの前に立ちふさがったように見えた。
意識があらためて覚醒すると、私の目の前でエマが緊迫した表情を浮かべている。
「硝子さん……」
エマの口から私の名前が漏れたその瞬間、私の視界にエマの右目がつぶれる映像が飛び込んでくる。
それが正しい対処である確信はなかったが、私がほとんど反射的に右手をエマの右目の前にかざした。
その途端私の右手の甲に杭を打たれたような鋭い衝撃と痛みが走った。
「あぐっ!」
エマへの呪いを予知して、私の手が代わりに呪いを受けとめることができたのだ。
呪いの夢に同調していたからもしかしてとは思ったけど。
「エマ、右目は大丈夫?」
「何をやったの、硝子さん。私には何も起こってないよ」
よかった。私の手からエマには呪いは貫通していない。
物理的に考えると外から飛んでくる衝撃波のような呪いなのかもしれない。
私がエマに覆いかぶさることも考えたが、それでは正確にエマへの攻撃を私が視ることができない。
次に私の視界に飛び込んできたのはエマの額が強く弾かれる映像だ。
私は再び右手をエマの額にかざす。
もう一度私の手の甲が強く打ち込まれ、さらに赤く腫れあがる。
同じところで受けたのもあるが、手の腫れ具合からすると骨にひびが入っているかもしれない。
「よし、これなら呪いが防げるわ」
それでも嬉しさの方が勝っているからか、ほとんど痛みは感じない。まるで夢の中にいるようだ。
「でも硝子さん、これじゃキリがないよ」
エマの言う通りこのままでは埒が開かない。一時しのぎにはなるかもしれないがいつまでも耐えられるものではない。
私以外の人間が交替でこの呪いを受けるわけにもいかない。
あくまでエマに同調している私だから受け止めることができるだけかもしれないのだ。
急所を狙っているこの呪いは一発でもエマに届かせてはいけないのだから。
「ねえ、エマはここの神様と話はできないの?」
「えっ、どういうこと、硝子さん?」
「あいつらが神様に呪いの代行をお願いできたんだったら、エマもこの神様に呪いをやめるようにお願いできるんじゃないの?」
神様に人間の善悪が通用しないなら、こちら側からも願いが通じるかもしれない。
「それはそうかも。考えてもみなかったけど、やってみる」
そう言うとエマはひざまづいた姿勢で両手を合わせてゆっくりと目をつむった。
「山の神、森の神、この地の大自然の神様、この神域に満たされた不浄の念をどうかうまくお裁きください」
神社の裏手、山に向かって祈り始めたエマに向かってそれでも呪いの予知は止まらない。
私は自分の未来視が視せる呪いの攻撃を両手で受け止める。
「あなたは長きにわたりこの山と森に根付いてきました。どうかこの森にやってきた穢れた人々の想いに関わらないでください」
両手の骨のひびが大きくなり、さすがに痛みが限界になったので、両手首、腕と徐々に呪いを受け止める位置をずらしていく。
激痛に声をあげて叫びたかったが、エマの集中を邪魔したくなかったので唇をかみしめて必死で我慢する。
(うそだ! なんで俺の呪いが防がれるんだ! 天使の予知はウソじゃなかったのかよ!)
エマを殺しあぐねるあいつは怒号した。
しかし、咆哮に返答は与えられた。声以外のもので。
エマは目を開けると大きく息を吐き出した。
「神様、ありがとうございます」
そう言って微笑むとエマは頭を石畳の上まで下げて
「うん、聞いてくれたよ」
エマが呟いた時にはエマの顔から死相の黒いもやが消えていた。
新しい呪いの釘が飛んでくる未来も視えない。
それはエマの神様へのお祈りが通じたことを意味していた。
「ふうぅ、やっぱりただお願いするだけじゃダメだったよ」
「えっ」
嫌な不安が背筋を走る。神様に代償として何を要求されたのだろうか。
「この神社のお祭りで私がお巫女さんをすることと呪いの神社の評判を何とかしろって言われちゃった」
「ああ……そういうこと」
「ここの神様はちゃっかりしてるよ」
まあ、それでも呪いを代行するよりはよっぽど健全だ。
一気に気が抜けてしまった私は石畳の上に崩れ落ちた。
◇
その後、私たちは警察を呼んだ。
事情を説明するのは難しく思えたが、警察の心霊案件にもコネのあるテンパランスを通じて事情を説明したようだった。
結局、森の奥からは私たちの夢の通り死体を森の木に吊るしている呪い代行業者数人が発見され、何台ものパトカーが神社に出動する事態となった。
どうして死体損壊が行われているかもしれないことが分かったのか普通なら警察から疑いをかけられるところだが、テンパランスの担当者がうまく説明してくれたようだ。
エマの呪いの夢のことと、表向きはストーカーが潜んでいる可能性が高かったから警察を呼んだことにしておいてほしいと言い含めたようだ。
「でも、やっぱりというか、木に吊るされていたのね」
あいつは自分の命と引き換えに起こす呪いエマに届けるように依頼していたのだろう。
死体損壊容疑で呪い代行業者「土と幸福の友人」は警察に追及されるだろうが、あくまで故人から依頼された弔いを行っただけと主張するかもしれない。
おそらく事前に意思確認書などもあいつからとっているのだろうから。
「命と引き換えに呪いをかける人間は想いっきり自分勝手な気持ちで呪いをかけるものだよ」
エマは悲しげな表情で続ける。
「呪いの願いは大概いかに残酷に殺すか、反対にどれだけ苦しんで生きさせるかだから。そんなふざけたことに命をかけて願われる神様が不憫でたまらないよ」
私たちに付き添ってくれていた神主さんも自分の神社の神様が呪いの行使に利用されていることに憤りを感じているようだった。
「そう、だから、呪いをかけるためにこの神社を利用したやつは人間のクズ、あくまでこの神社は被害者、もちろんエマも殺されかけた被害者ということでネット内調整お願い」
私はすぐに記者の
「こういう時のために有能な記者様と協力してるんだから」
私もいわば昔マスコミに殺された立場なので複雑な心境だが、冷静に事態は制御したかった。
間違っても呪いをかけたあいつの方に世の中の同情や好奇の想いが行かないように念入りにネットや週刊誌の誘導を行う必要があった。
神主さんには今回の事件に対して神様を呪いに利用した恥ずべき行為という宣伝を展開することを約束した。
その引き換えというわけではないがドラマの舞台としての神社の使用許可をもらうことができた。
これは今までこのドラマが心霊スポットを興味本位で探索すればどんな目に遭うかを法的な面と怪異のリアルな霊障を紹介してきた実績も考慮に入れられたようだった。
「ええ、ですから、撮影中だったということで、多くの警察官やパトカーが映り込んでしまいましたけど、こちらで見られたらいけないものは編集でカットしておきますので、使用に関してはどうかご容赦を」
警察の方にも映像は部分的に使うがあくまで現実の事件とは違う構成にすることを筧さんが約束し、セミドキュメントとしてドラマ使用にこぎつけたようだった。
◇
「あの、硝子さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
驚いたことにエマは森の中に入って死んだ呪いの犯人に会いたいと言ってきた。
当然、現場を封鎖している警察からはだめだと言われたが、エマが犯人の顔をストーカー本人かどうか確認するためと説明し、心霊関係の事情を分かっている警察関係者に連れられて森の中に入ることが許された。
首吊り死体は既に木から下ろされて、シートの上に横たわっていた。
「……覚えてるよ、間違いない」
あいつの死体を見て、そう言ったのかと思ったが、夏の森で吊り下がっていた死体は変色も激しくてとても判別がついたとは思えない。
しかし、次の瞬間、私はエマが何を視てそう言ったのかを理解する。
おそらく、私だけでなくその場にいた警察の人たちも目撃することになったそれは心霊現象に魅入られた特異体質をもつ彼女がいたからだと思う。
エマの来訪に応えるように、死体から湧き出てた影がやがて人型を造形していく。
霊感の強いエマはもっと鮮明にその姿が視えていたのだと思うが、自分レベルの霊感でも影のような黒く染まった人の形は視ることが出来た。
「覚えてるよ、私がまだアイドルとして全く目が出なかったときから、イベントにも来てくれてたよね」
語りかけるようにエマは呟く。
「硝子さん、ファンのくれる力ってすごいんだよ。自分の活躍を推してくれるとそれだけでもっともっと頑張れる。死にたいほど苦しい時でもいっぺんに有頂天になれるぐらい人を活かす力なんだ」
私のおそらくこわばっているであろう表情を、栗毛の聖女は楽しそうに眺める。
「だけど、そんな素晴らしい力を……」
そこまで言って、エマの言葉が震えて詰まった。
「あなたは……人を……殺すことに使ってしまった……」
彼女は涙を流していた。今にも崩れ落ちそうなほどに膝も震えている。
そんな彼女の細い肩をとらえて、私は振り向かせた。
「もう、いいよ、行きましょう。あなたを殺そうとしたこいつはここで浮かばれずに
私の気遣いは強い声でエマに反抗し、さらに続ける。
「それにあいつの罪はエマを殺そうとしたことだけじゃない。あいつは自分で自分自身を殺してしまったのよ」
エマは潤んだ目をあげて振り返り、けむるような瞳がファンだったストーカーの心を覗き込むように見つめていた。
「Suffer forever in the holy illusions and regrets.(聖女の幻想と後悔の中で永遠に苦しめ)」
それは聞かせたくなかったエマの本心なのだろう。
永遠にあいつを縛る
私にははっきりとは視えなかったが、エマのファンだったその黒い影も彼女と同様に涙を流しているように思えた。
けれども、あいつは自ら犯した罪によって、彼女からの感動と高揚を得ることはもうできない。
死者の前で行われた悲しみの祈りはまるであいつのために演じられた最後の『
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