【3】風水ミストレス日和凪沙
「硝子さん、これ見て」
エマがもってきたのはスマホに映った動画だった。
「
動画の題名は『呪いの人形燃やしたらヤバかった』となっている。
私もエマのスマホを借りて動画を再生してみる。
すると顔部分を修正で隠した阿笠記者らしき女性が差出人不明の布人形が送られてきたことを動画の中で説明を始める。
その布人形は外国人の金髪の女の子をかたどった布人形だが、中身の綿には何本のも針のような感触があるという。
阿笠記者はおそらく自分の記事で不都合な真実を暴かれた誰かが呪いを込めて送ってきたのだと思うと説明する。
「私はこんなのものにはビビらないと言うことを証明したいと思います」
動画の中でそう言うと阿笠記者は鍋の中に女の子の人形を入れて油のようなものをかけ、マッチで火をつけてしまった。
すると驚いたことに勢いよく燃え上がる鍋の中で布人形の女の子がまるで生きているように金切り声で絶叫をあげ始める。
「きゃああ、なにこれ、なにこれ!」
動画のコメント欄もお祭り状態だ。
やがて炎が人形の体を炭に変えるにつれて人形の叫びも弱々しくなりついにはただの黒い燃えカスと十数本もの細い金属製の針が鍋の中に残った。
「は、は、マジの呪いでしたね。びっくりしましたあ」
取り乱した自分を取り繕うように落ち着いた様子で実況を再開する阿笠記者は最後にこれからも真実を求めて脅しに屈せず叩くことを意気込んで動画は終わった。
動画のコメント欄ではさすがに合成でしょとか、人形に何か仕掛けがしてあったとかものすごい勢いて反応が上がっている。
「エマ、なんかすごいことしてたけど、これ大丈夫なの?」
「うーん、だいじょぶでしょ。あれは見た目が派手なだけの害悪としては素人レベルの呪いだよ」
「えっ、あれで素人レベルの呪いなの」
動画の異様さとは反対にエマは大したことはないといった反応だ。
確かに私も今の呪いの人形に関しては死に繋がるようなおぞましいものは感じなかった。
◇
出版社のオフィスで倒れて病院に搬送されたという。
私たちは事務所に事情を説明してすぐに病院に向かった。
病室に入ると青黒い顔色をした阿笠記者がベッドに横たわっていた。
よく見ると体も1瞬間しかたっていないとは思えないぐらい痩せている。
「検査を受けたけど、医者は何が悪いのかわからないって……」
阿笠記者はぽつりとつぶやいた。
「私の負けです。私はこのまま死ぬんですか?」
以前の強気で挑発的な態度から一転して弱々しく呟く。
阿笠記者は触れてはならない存在の逆鱗に触れてしまったのだと私は感じた。
私もアイドル時代に身につけた知識として呪いと言ってもすぐに影響が出て死ぬものもあるが、苦しんで苦しんでそれでもなかなか殺さない呪いもある。
阿笠記者はこの1週間死んだほうがましという苦しみを受け続けてきたのかもしれない。
「うん、死ぬね」
「赤音さんには原因はわかるんですか?」
「大体の目星はついてるんだけど、詳細は分からない」
「それについて私に心当たりがあるので、その人に直接聞いて来てもいいですか」
私はすっかり憔悴してしまった阿笠記者に尋ねてみる。
「天野さんに心当たり……ですか?」
私はスマホに残っている元センター
「突然すいません、
「いいけど、どうしたの急に?」
繋がったことを確認すると私はエマにスマホを渡す。エマはスマホをスピーカーにして話し始めた。
「
「エマちゃんなの? あなたまでどうしたの?」
「凪沙さん、阿笠記者に呪いのブレスレットを送りましたね。ご丁寧に素人を装ったダミー人形まで送って」
大先輩相手なのでもう少し遠回しに聞いてほしかったが、エマらしくド直球で問いかける。
「えっ、たしかに阿笠記者にはブレスレットを送ったけど、呪いって何?」
「これは本人の発した悪意と記事によって生まれた悪意をそのまま自分に返す呪式を組み込んでいますね」
「悪意って、記事を作るときに発する悪意と記事を見た人に生まれる悪意ってこと?」
凪沙さんの穏やかな口調の受け答えに私自身もエマから事前に聞いた呪いの説明の真偽が不安に思えてしまう。
「そうそう、それです。本来暴力やいじめで周りに放出したイライラや悪意は回りまわって自分や自分の家族に帰ってくるものですけど、これは直接本人の体を
「言ってる意味が本当にわからないんだけど、仮にそんなものがあるとしてどうして私がそんなことができるの。私はただのママさんタレントだよ」
「またまたあ、知ってるんですよ。元テンパランス所属の風水ミストレス日和凪沙のことは。私はアイドルだけでなくてテンパランスの後輩でもあるんですよ」
テンパランス所属、芸能界の心霊案件対策組織。私もエマから凪沙さんが所属していたことを聞いた時は思い当たる節があった。
「風水? 私が?」
「アイドル時代にもコンサートやグループ活動で風水を使ってましたよね。たぶん旦那さんの
「戸部に風水? どういうことかしら?」
「仕事がたくさんこなせるよう風水で精力が溢れるように自宅やコーディネートを作ってるんでしょう。けどその副作用として元々強かった性欲の制御ができなくなった」
「ちょっと本当に何を言ってるのかわからないわよ」
「だから戸部さんの不倫も実は凪沙さんの把握しているところでの黙認状態だったんじゃないかなあ」
エマがそこまで言うと凪沙さんの言葉が止まる。
まるでエマの主張を肯定するかのように。
「いら立ちましたよね。余計なことをした阿笠記者に。だって不倫は凪沙さんも織り込み済みだったわけですから」
「……それで私が呪いのブレスレットを送ったって? それなら今から外してしまえば良いじゃない」
ふたりの話を聞いていた阿笠記者はすぐさま右手のブレスレットを外す。
「これは呪式を体に刻み付けるための呪具ですよね。もちろんずっと付けてるよりはましでしょうけど」
ブレスレットを外した阿笠記者の手首には黒ずんだあざが付いている。
「何を言ってるのかわからないけど、もしそんな効果があるなら数年は消えないんじゃないかな。もちろん想像だけど」
「やりすぎじゃないんですかあ? 私たちが指摘しないと死んじゃうところでしたよお」
「仮に死んだとしてもエマちゃんの説明ならいずれゆっくり帰ってきていた悪意がすぐに帰ってくるだけだから自業自得じゃないかな」
「まあ、そういえばそうですね」
「せっかく忙しいアイドル時代から抜け出して、悠々自適の生活を楽しんでたのに旦那が職を失ったからまた私が稼がないといけないのよ。私が恨んだとしても仕方がないことでしょう」
「ああ、そういえば刑事ドラマの女性刑事役が決まったんですよね。おめでとうございます」
「ありがとう。私もエマちゃんのドラマが成功するのを願ってるよ」
アイドルの同士の白々しい社交辞令を最後に通話は切れてしまった。
「そ、それじゃあ、私はこのあざが消えるまで記事が書けないってことですか。ど、どうやって生活していけば……」
「大丈夫だよ。悪意のない記事を書けばいいんだよ。称賛する記事とか、弱者のために不正を追及する記事とか」
「そ、そんな記事……」
「とりあえず、命を助けてあげたんだから、私たちを持ち上げる記事を書いてよ。悪意はだめだよ。感謝と称賛の記事だよ」
「何で私がそんな事……」
「ちょっとちょっと、あなたの命を助けてあげたのは誰ですか?」
「そんなの関係ないですよ。あなたたちが勝手にやったことでしょう」
「うーん、そうかあ。残念だなあ。私ならその呪いの効力を弱めることもできるかもしれないんだけどなあ」
「えっ、本当ですか?」
「まあ、あなたの頑張り次第かなあ。書けるよね、何せ私たちの頑張りを身近で見てきてくれたんだから」
聖女の微笑みから紡がれた声に応えるように阿笠記者の体が細かく震えていた。
「う、うう、ち、ちくしょう。この悪魔がよお」
「あれあれ人の知られたくない弱みを暴いて社会にいられなくするほうがよっぽど悪魔的なんじゃないのかなあ」
なにこれ、この子怖い。
よく考えてみれば、指摘しようと思えば先日のカフェの時にも指摘できたはずなのに。
エマが阿笠記者のことをどこまで恨んでいたのかは分からない。
たぶん死ぬ直前まで呪いが進行するの待って泳がせていたのだ。
「ほら、言いなさいよ。天野硝子さんと赤音エマさんの頑張っている姿を記事に書かせてくださいって」
「ちょっと、エマ!」
たまらず私はエマの頭をぱしんとはたく。
「あうう、だって硝子さんはこいつのせいでアイドルを辞めることになったのに」
「あれは私のせい。阿笠記者が書かなくてもいずれ誰かが書いてたわよ」
私は目に涙を溜めたまま固まっている阿笠記者の手の上に自分の手を置いて、冷静に
「ねえ、芸能界の中には触れるのに特別な力が必要なこともあるんです。私たちはあなたの記事を書くときの力になります。だから阿笠さんも私たちに力を貸してください」
何か言葉を口にしようとしているようだが、いっこうに声が出ない阿笠記者はただ私の申し出にゆっくりと頷いたのだった。
「ふう、力を貸す……」
しばらくして少し落ち着いたのか
「じゃあ、さっそく情報がありますよ」
私の方を見つめると
「あいつがまた何かやってるみたいですよ」
未知果があいつと言った人物。
名前は出さないが私と未知果の今までの関係からか、あいつという言葉だけで私には通じてしまった。
「……殺人未遂で服役中じゃない」
「刑務作業中に釘を大量に飲み込んだらしですよ」
「……意味が分からない。どこから仕入れたのそんな情報?」
「私は事件後もお手紙なんかで接触してましたからね。あいつの周りで怪しい動きがあったから調べたんですよ」
なんだろう。何の興味も感情も湧かない。不思議だ。
「知ってます? 実はあいつ、エマちゃんの大ファンだったんです。そのせいで天野硝子が狙われたんですよ」
「ちょっと、ふたりとも何言ってるの。私のファンが釘を飲むなんて話されたら気持ち悪くなっちゃ……」
エマの戸惑った声が不意に途切れる。
げぇっ、がほっ!!
突然エマが自分の喉を両手で押さえて目を見開いた。
まるで喉に大量の釘が刺さったかのように大きく開いたエマの口から見える喉は血の色で真っ赤に腫れあがっていた。
「エマ、うそでしょ」
苦悶の表情のエマの顔に私が視たもの……それは黒く濁り始めたエマの死相だった。
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