【2】成功者を貶めて飲む酒がとにかく美味しい

「やられたわね」


 社長に突き付けられた写真と先方記者からの取材申し込み、もちろん昨日の食堂でのファンに対する激怒事件のことだ。

 記事は善良なファンを土下座させる暴力マネージャー天野硝子とある。


「それで記事の内容は本当なのかしら?」

「……おおむね本当です」

「まあ、エマ本人じゃなくてあなたの記事ってことが不幸中の幸いだけど、せっかく決まったドラマに影響があるようならマネージャーはやめてもらわないといけないわよねえ」

「……はい、当然の対応だと思います」

 私はうなだれて社長の提案に同意する。


 今回の件は完全に私の失態だった。

 いくら多忙でストレスが溜まっていたとはいえ、エマが私にだまされていたと言われただけで理性が飛んでしまうとは我ながら情けない限りだ。


「ちょっと、何で硝子さんがやめないといけないの。これからその記者に会うんだったらちゃんと説明しようよ」

「そうそう、その説明だけど取材はどうするの?」

「ちゃんと受けようと思います。取材拒否なんて書かれないように」

「じゃあ、最後の仕事になるかもしれないけど、エマが暴走しないようにだけ気を付けてね」

「はい、肝に銘じます」


 ちゃんと説明したらわかってくれるよと慰めてくれるエマの言葉とは反対に記事を止めるのは不可能だろうなと感じていた。



   ◇



 私たちは記事に関しての取材を受けるために指定されたカフェに赴いた。

 エマはちゃんと説明すると言っていたが、記事が撤回される可能性はほぼゼロだろう。


 カフェの奥のテーブル席にその記者はいた。

 黒のパンツスーツのいでたち、何も知らない人が見れば大学出たてのフレッシュなキャリアウーマンと思っただろう。


「久しぶりですね。阿笠あがささん」

「うふふ、久しぶりじゃないですよ。私はずっと天野さんのことを見てましたから」

 彼女の言葉の意味通り、眼鏡の奥の瞳がいやらしい輝きを放つ。


 阿笠未知果あがさみちか、私を含めてアイドルグループ、ブルーファンタジア47の天敵ともいうべき記者だ。

 私にとっては阿笠記者の報じた記事が私の握手会暴行事件に火をつけたのだ。


 阿笠記者は私の未来視がインチキであることを報じるために私が事前に番組スタッフや専門の業者に依頼して、占いの相手を調査していたことを細かく取材して暴き出した。

 他社の報道がその記事の後追いになって広がっていったことを考えると私とエマのグループ脱退の引き金となったのは彼女の記事のせいでもあった。


 天野硝子の詐欺に関する記事の実績が認められて、契約社員だった阿笠記者は正社員になったとも後で耳に入ってきた。

 最近でも彼女が取材した人気司会者の不倫を暴いた記事はブルーファンタジアがらみだ。


 人気司会者の戸部猛とべたけしは元芸人だったが、ブルファンを卒業したての元初代センター日和凪沙ひわなぎさと結婚して世間の注目が増したことをきっかけに様々な番組に出演し始めた。

 元々の2枚目のルックスと軽快なトークが人気になり、今ではバラエティから情報番組の司会進行までやる売れっ子になっていた。


 妻の凪沙なぎさとの間にも3人の子宝に恵まれ、まさに公私とも順風万端だったところに阿笠あがさ記者の書いた不倫スキャンダル記事が突き刺さったのだ。


 戸部とべ迂闊うかつで脇が甘かったということではなかった。


 何と戸部とべは不倫を巧妙に隠すために行きつけの個人レストランの女性シェフ、英会話スクールの講師、かかりつけ整体院の女性セラピストと自分の生活のルーティーンの中に不倫相手を配置していたのだった。

 その一見何の怪しさもない戸部の行動から、戸部の異常とも言うべき性欲に対する執念を調べ上げたのだから阿笠記者の記者としての取材力は本物だ。


 異常なほどに巧妙な不倫システムは一旦暴かれればワイドショーと週刊誌の好奇へと反転する。

 連日、戸部の不倫はテレビで報道され、妻の凪沙への突撃レポートも横行し、遂に戸部はレギュラー番組を軒並み降板させられ、芸能界追放とも言うべきところまで追い込まれた。


 そんな阿笠記者に対してどんな手段を使えば記事を取り下げてくれるというのだろう。

 阿笠記者が単に仕事の実績を稼ぎたいためにスキャンダルを追っているのであればまだ交渉の余地がある。

 しかし、私のスキャンダルを書いた時にも彼女のことは私の方でも色々と知る機会があった。

 彼女は世の中で華がある成功者を追い落とすことに快感を求めているタイプの記者だった。


 私が調べさせたところでは元々学生時代にいじめを受けていたところを相手グループの非道行為を詳細にSNSで世間に知らしめたことでいじめをしていた生徒がネット内で攻撃されたようだ。

 自分の書いたいじめの実態レポートが警察や教育委員会を動かしたことが記者になった最初のきっかけらしい。


 このタイプの記者は交渉がほとんど通用しない。

 あるとすればもっと阿笠記者の嗜虐心しぎゃくしんを刺激できるようなネタを交換材料として提供することだが、それは自分が助かるために他の芸能人を売る行為だ。私の良心的にも到底容認できない。

 つまりなんとかして今回の記事の掲載を見逃してほしいのだが、現状としては何の手立てもない。


「それじゃあ、端的にお聞きしますね。今回のファンに対する恫喝はどういう経緯で起こったんですか?」

 それでも私はお願いしないわけにはいかない。可能性がゼロでなければ何か奇跡が起こるかもしれないのだから。

「阿笠さん、今はエマがドラマの出演で大事な時期なんです。何とか今回の記事の掲載を見逃してもらうわけにはいきませんか?」

「あれあれ、真摯に取材を受けてくれたと思ったのに、そんなことを言うためにここに来たんですか。不誠実ですね。はい、印象最悪でーす」


 予想通りの反応だ。

 私は半ばあきらめて下げた頭をゆっくり持ち上げて阿笠記者の表情を覗き込んだ。


「えっ」


 私は最初何を見ているのかわからなかった。

 阿笠記者の顔が墨を塗ったように真っ黒に染まっているのだ。

 そう言えばこのカフェに入ってきたときも顔は見えなかった。

 店内の照明が薄暗いためかと思い、元々顔を知っているの記者なので気にしなかったのだ。


「どうしたんですか、私の顔をまじまじと見て、何か私の顔についていますか?」

「い、いや、その」

 この視え方は覚えがあるというか、直感で理解できるところがあった。

 しかし、この阿笠記者の前でそれを言ってもいいものかどうか、私は迷った。

 変に伝えてしまうとそれが新たな記事に繋がってしまうかもしれないからだ。


 そのとき、私の横に座っていたエマが私の戸惑っている様子に何かを察したのか口を開いた。


「硝子さん、言っちゃっていいと思うよ。私でもこれは感じるもん」


 エマにそう促されて、霊感があるエマでも感じるほどの異常事態であることは再認識できた。

 私は意を決して阿笠記者に告げてみる。


「あの、阿笠さん、あなた死相が出てますよ」


 それは我ながらにばかげているとしか思えないセリフだ。

「は、死相?」

「それもかなりやばいやつです。すぐに死んでもおかしくないほどの」

「ふふっ、あはははっ、ちょっと何を言い出すのかと思えば」

 阿笠記者はこらえ切れなくなったのか口を押えて笑い出す。


「いったいどんな言い訳を言って記事を止めるようにするのかと楽しみにしてたけれど、これは私の想像を超えてました。私の負けですね」

 まだ溢れだす笑いを止められないのか涙をぬぐいながら息を荒げる。

「あの、あまりに唐突なので私も言うかどうか迷ったんですけど、本当にやばいんですよ」


「まだ言うんですか。これは記事が面白くなりそうだわ。偽予言者天野硝子、本紙記者を死相が出ていると脅す、なんて見出しで」

 押し殺された阿笠記者の言葉には物騒な響きがあったのだが、対面で彼女の言葉を聞いていたエマが不安げに口を開いた。


「ええっ、それは困るよ。だって阿笠さんもうすぐ死んじゃうから、硝子さんの未来視がホンモノってことが世間に知れ渡っちゃうじゃない」

 エマは今私の未来視が世間に知れるのは私にとってまずいという意味で言ってくれたのだと思うが、阿笠記者は自分にとってまずいでしょという意味で取ったようだ。


「そ、そこまで言うのだったら、今回の記事の掲載はしばらく待ってあげます。どうやらうまく乗せられたみたいですけど、楽しみですよ、何も起きなかったあとの記事掲載が」

 自分が死ななかったときにあらためて今回のファン恫喝と死相のスキャンダルを記事にしてやるということだが、阿笠記者を包み込む負のエネルギーが強すぎてそちらの方が気になってしまう。


「あの、何か心当たりありませんか。例えば誰かに呪われているとか」

 こういう負のエネルギーが突然まとわりつくということは誰かに恨まれての呪詛じゅその力というのが一番しっくりくる。

 私の問いかけに対して阿笠記者は視線をそらして何かを考えこむような表情になる。


「そ、そんなことあなたたちには関係ないことでしょ」

 どうやら思い当たるふしがあるようだ。

「あの、心当たりがあるんだったら、私たちでよかったら相談に乗りますけど、エマはその道の専門家ですし」

「うるさいな。恩に着せようとしたって無駄なんだから!」

 怒鳴りながら席を立って帰ろうとする阿笠記者にエマは一言だけ声を掛ける。


「阿笠さん、そのブレスレット綺麗ですね」

 憤慨ふんがいしていた阿笠記者はエマのその言葉に立ち止まり、少し表情が緩んだ。

「あら、わかるの。これはあなたたちの元センター日和凪沙ひわなぎささんから夫の浮気を突き止めたお礼にいただいたものですよ」

 確かにシルバーに金と宝石の細かい細工が入ってとても高価な物に思えた。


「ふふ、私の記者としての勲章ですよ」

 そう言って阿笠記者はカフェから足早に出て行った。


「どうする、エマ。何もしないとあの人死んじゃうかも」

「どうもしないでいいんじゃない。もう私たちには関係ないよ。人を攻撃する場合は自分も攻撃される覚悟でやらないと」


 阿笠記者は彼女の書いた記事で痛い目にあわされた人物から呪われているかもしれない。

 それならばエマの言う通り、私たちできることは何もないのだ。


 それでも、阿笠記者が死ぬことによって今回のスキャンダルがうやむやになることにどこか安堵している自分の気持ちは少し複雑だった。

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