【Episode7】天野硝子を引退に追い込んだその記者はもうすぐ死ぬ
【1】火のない所に煙を立たせるのがマスコミ
「やばい、ちょっと寝過ごしちゃった」
自宅マンションでスマホのアラームを確認した私はベッドから飛び起きた。
すぐにエマにモーニングコールをして2人分の朝食の用意を始める。
キッチンでベーコンエッグを作っていると、程なくしてエマが私の部屋に入ってきた。
「もう、硝子さんも激務で疲れてるんだし、コンビニのパンとかでいいよ」
私と同じく連日のドラマ撮影で疲れの抜けていない表情のエマが口を開く。
「そういうときこそ栄養はちゃんと取らないとダメでしょ」
私とエマは違う部屋だが、大学に通う都合上便利がいいので同じマンションに住んでいた。
防犯対策もかねて大学に行くときは私が車でエマを送り迎えする。
ちょうど先週エマの主演ドラマとコラボしたバス旅が放送され、ネットでも反応が上々だ。
最近は比較的落ち着いていたが大学内でもまたファンに囲まれてしまうかもしれない。
しかし、今は大学の前期テスト期間に入っているので、単位を取るために勉強も頑張らないといけない。
「はいこれ、1コマ目のテストのレジュメ。過去問から要点をまとめたから、開始ぎりぎりまで頭に入れてね」
勉強時間の取れないエマの代わりに私が出席した大学の講義と過去問で作った試験対策資料を渡す。
「ありがとう、硝子さん」
「それと大学や講義室では一応、
私は大学内では
「もう硝子さんってばれてもいいじゃない。別に犯罪者ってわけでもないんだから」
「私はあくまでエマのマネージャーなんだから、この方が動きやすいのよ」
「だけど、硝子さんこの前のバス旅だけじゃなくて、ドラマの方も出演しちゃったじゃない」
そう、前回のバス旅はあくまでマネージャーとしての先導役だった。
しかし、幽霊旅館を題材にしたドラマ『パンドラファイル』の取材では私が実際に呪われて霊障を受けてしまった。
そのため旅館の怪異シーンを使うために私自身もあらためて登場人物として出演するしかなかったのだ。
「不可抗力とはいえ、これで硝子さんも女優業ができるじゃない」
嬉しそうに喜ぶエマとは裏腹に私は反対の懸念を抱いていた。
まだアイドル女優として芸能界に復帰するとしてもいくらなんでも早すぎる。
私のテレビ復帰にネットの反応は賛否分かれているが、問題なのは悪意をもって記事にしかねない週刊誌やワイドショーだった。
もちろん、こちらが記事になるようなことをしなければあくまで天野硝子の復帰は早すぎる、反省していないのか程度の記事しか書けない。
しかし、火のない所に煙を立たせるのがマスコミだ。
しばらくはマスコミ対策も気を付けないといけないと私は無言で考えていた。
◇
一通りその日の試験が終わった後、大学近くにある学生向けの大衆食堂で今後の打ち合わせを始めた。
「どうだった、エマ?」
「うーん、ぎりぎり単位が取れたらいいなあって感じかなあ」
「残りの試験はあと……」
出席や課題レポートでもらえる単位もあるので、それはエマの代わりに私が頑張ればなんとかなるが、試験の場合はエマ本人が受けないとどうしようもない。
ドラマの撮影と大学の単位取得を両立させるのは本当にきつかった。
「硝子さん、顔色悪いよ。無理しすぎじゃない?」
「顔色の悪さはメイクだから大丈夫よ」
私は正体がばれないように髪型と服装だけでなく、顔色を悪くしてそばかすを付けるメイクも施していた。
もちろんメイクの下の顔色も本当に悪い自覚はあったが、エマに余計な心配をかけたくない意図もあった。
「それより、また私の名前呼んでる」
「大丈夫だよ、この食堂広いし。周りには誰もいないじゃん」
確かにこの食堂は広く、今は学生の数もまばらだ。
まあ大丈夫かなと思いかけたそのとき私の視界にこちらの様子をうかがっている集団が目に入ってきた。
落ち着きのないしぐさで5人の学生がゆっくりと私たちのテーブルに近づいて来ている。
これはおそらくエマのファンがエマに話しかけたり、サインなどをねだろうとしているのだろうと感じた。
こういうのは基本善良なアイドルファンだ。特に警戒しすぎることはない。
「あ、あの、赤音エマさんでしょうか。僕たち赤音さんのファンで。新作のドラマも見ました。とっても良かったです」
意を決したように5人の中の1人がエマに声を掛けてきた。
「わあ、私のドラマ観てくれたんですね。ありがとうございます」
さっそくエマは聖女の笑顔で5人に握手して愛想を振りまく。
危なかった。
エマが食堂で豚骨ラーメンを注文しようとしていたのをオムライスに変えさせてよかった。
ファンのイメージを崩さないのもアイドルの仕事の1つだ。
「あの実は赤音さんにお願いが……あるんです」
「なんですか。サインならここで書かせてもらいますよ」
「実は僕たち……映像研究会なんですが……」
もごもごと口ごもりながら出て来た映像研究会という言葉に私は嫌な予感がした。
「赤音さんにうちの自主制作映画に出てほしんです」
「自主制作映画……ですか?」
やっぱり……これは面倒なお願い事が来てしまった。
大学のサークルの中には動画などの映像を扱うグループも多くあるのだから、学内に現役の俳優がいるのなら注目しない訳はない。
当然今は多忙を極めているので、その申し出を受けるわけにはいかない。
エマはせっかくの申し出を断りづらいだろうから、私の方で対処しようと思った。
「あの、赤音さんは今ドラマの撮影とかで忙しいんじゃないですか?」
「おい、割り込んでくんなよ、
私の問いかけには苛立ちを込めた声で牽制してくる。
けれども、私の忠告をエマは察したようだった。
「えっ、ああ、確かに今はドラマの撮影とかで忙しい……かな」
「ああっ、それはもちろん承知しています。大学祭が11月ですからドラマの撮影が終わったころでお時間をいただければ」
ある程度はしょうがないけど、そこまで露骨に言葉遣いを変えられるとちょっとむかつく。
「でも、プロの芸能人に依頼するんだったらそれなりの報酬が必要なんじゃないんですか?」
「だから、うるさいんだよ、
どうも彼らにとって根暗で友達のいない憐れな女学生をエマが慈愛の精神で接しているように見えるらしい。
「そ、そう、確かに無償でやるってわけにはいかないし、同級生からお金貰うっていうのも」
「そこは今回の前期テストのサポートという形でどうでしょうか?」
「サポート?」
「過去問からのテスト予想、レポートの代筆、出席の代理などを僕たちがやらせてもらいます」
「それはもう私がやってますから、間に合ってますよ」
「
「ちょ、ちょっとそんな言い方良くないよ」
「いえ、赤音さん、ここは言わせてください。本来なら友達もできない陰気な女なんですから、忙しい赤音さんが気にかける必要はないんです」
ああもう面倒くさいなあ。あんまり私の悪口言うとエマが切れるかもしれないじゃない。
エマが切れちゃったら、イメージが壊れるから何とか抑えてほしい。
「エマ、私のことはいいから。忙しいんだからこんな依頼遠慮なく断っていいのよ」
「おまえ、名前で呼ぶなんて恐れ多いと思わないのか。おまえなんて聖女の光に吸い寄せられた憐れな虫に過ぎないんだぞ」
「もう、いい加減にしないと怒るよ」
私が虫と罵られてさすがにエマの声にも落ち着きがなくなってくる。
「赤音さん、そんなだから天野硝子なんてインチキ霊能者にだまされたりするんです。目を覚ましてくださいよ!」
「ちょ、あなたたち、言っていいことと悪いことが」
「おい、おまえ、いまなんて言った!」
エマの文句を遮るように響き渡ったのは私の怒声だった。
理性がどこかに飛んで行ってしまったのか、私は顔を隠していたマスクと眼鏡を取り去ってしまった。
「えっ、えっ、その顔、もしかして」
「硝子さん、だめだよ。抑えて!」
「硝子さん? もしかして、本物のエンジェルグラス、
「もう1回言ってみろ! 私のエマが誰にだまされたって!」
たぶん私は鬼の形相をしていたのだろう。
恐れおののくように映像研の連中は全員その場で膝をついて土下座してしまった。
「なにも、なにも知らないやつが好き勝手なこと言ってるんじゃないわよ!」
たぶんテスト対策や仕事で溜まっていたストレスが一気に噴出していたのだと思う。
エマの方が私を後ろから抱きついて何とか暴力沙汰にならないように抑えてくれていた。
「わかったよ。大学祭の作品には出演するから、みんな早くここから逃げて!」
エマに促されて、すいませんでしたと謝罪しながら映像研の連中はその場を離れて行った。
なおも追いかけようとする私をしばらくの間エマが取り押さえる引き合いが続いたのだった。
その日の夕方、事務所の社長から私に怒りを込めた電話がかかってきた。
それは食堂での騒ぎが隠し撮りされた記事の取材依頼についてだった。
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