【4】それは初めて遭遇する未知の怪異

 奥の応接間に通された私たちは旅館の女将から開かずの間について話を聞くことになった。

大黒だいこく先生も聞かれるんですか?」

「ああ、僕も一応創作家だからね。こういう話には興味があるよ」

 メンバーもそろったので、私は女将さんに取材を始める。


「まずはその開かずの間の曰くについて教えてもらえますか?」

「はい、あの部屋の奇怪な噂が始まったのは戦中の疎開の際だそうです」

「戦中の疎開……ですか?」

「その中である劇団がうちの旅館にしばらく滞在していたんです」

 当時は空襲から避難して田舎には大勢の人たちが疎開していたというのは知っている。

「やがてその劇団はある子役の団員を残して別の疎開地に移っていきました」

「子役?」

「病を患っていたのか、いくばくかのお金を預けられて開かずの間となる前の部屋に泊まったようです」


「でも、その劇団の人たちはその子を迎えに来なかった……のかな?」

 エマが女将の話に反応する。

「そう……です」

「体のいい厄介払い……かな。口減らしかもしれないけど、その子を連れて行けない事情がなにかあったんだろうねえ。戦時のどさくさではそういうことがよく起こるんだよ」

 今度は大黒先生が口を挟む。

 先生自身も漫画アクトレスエイジの舞台となった大戦中の事情は詳しいのだろう。


「それでその子はどうなったんですか?」

「それがよく分からないんです。その後どうなったのか。私の両親や昔を知る宿の従業員は教えてくれなくて」

「ふうん、それは妙だねえ。宿賃が尽きたとしても従業員として働かせれば事足りるだろうに」

 大黒先生もかなりこの話に乗ってきている。


「病気の状態が良くなかったからか? もしくは従業員として働かせることができない事情が何かあったか?」

「何か?」

「はは、言ってはみたけどこれだけの情報じゃ見当もつかないよ」

「その劇団の子がいなくなってからしばらくしてからでした。その部屋に泊まったお客様が部屋の鏡の中に人がいるって言いだしたんです」


「鏡の中に人? 鏡に人が映り込んだわけではないんですか?」

「いえ、どうも部屋に自分以外はいないのに鏡の中には別の人間がいたということらしいんです」

「うーん、でもそれってホテルや旅館ではよくある怪談だよね」

 また、エマは空気を読まない意見を言う。


「それが……鏡の中に人を見た宿泊客がその後変死したらしいんです」

「うん? その後変死っていうのは、どういう意味ですか? 宿で亡くなったわけではないんですか?」

「それが……宿泊から数日後、道で突然倒れて亡くなったり、バスの中で急死したりしたそうです」

 その死んだ宿泊に共通していたのが、その部屋に泊まったことと鏡の中に人がいると言ったことらしい。


「それで気味が悪くなってか、部屋は空かずの間として封印されることになったんです」

 私とエマは今夜その部屋に泊まるのだ。

「ドラマ『パンドラファイル』のホームページで曰く付きな物件なんかを募集してたので、私も応募してみようかと思って……でも、本当に危険そうならすぐに逃げてくださいね」

「はい、とりあえず今からその部屋に入って調べてみます」


 私とエマは大黒先生と一緒にその部屋について行った。

「何十年も使っていませんでしたが、撮影用に中は一通り掃除しています」

「掃除する従業員の人は入って大丈夫だったんですか?」

「一応、くだんの鏡には封印がされています」

 そう言って女将が指さした方を見ると鏡台らしきものに大きな布がかぶせられている。

 さらに布には古くて黄ばんだお札が何枚か貼られている。

 この鏡台の中に人がいるのを見た人が呪われるということだろうか。


「それでは調べてみます」

 私は女将さんに断りを入れて部屋を調べることにする。

 元々曰く付きの部屋ということもあり、私たちが調べる際に何かあってはいけないので私とエマ以外は部屋から退出してもらった。


「どう、エマ何か感じる?」

 私が尋ねるとエマは部屋の中をぐるぐると歩きながらあちこちを見て回る。

「うーん、どういうことかな。ちょっと言いづらいけど何にも感じないよ」

「えっ、何にも?」

「もちろん、老舗の旅館に染み付いた程度の霊的なものは感じるけど、いわゆる心霊スポットや忌み地みたいな強いものは感じないし、霊も視えないよ」

「ど、どうして」

「これ番組成り立つのかなあ。もともとただの噂話だったとか」

「でも事前にテンパランスが調べて、実際に死んだ人はいたって」

「たぶんその事実を確認しただけで、部屋自体はもちろん調べていないよね」

 それはそうだろう。いくらなんでも私たちより先に部屋まで調べてしまえば、旅館の女将はその行為を番組の仕込みに感じてしまうかもしれないからだ。


「だとすると、何かいたのかもしれないけど、何十年も封印していたことで自然に浄霊しちゃったのかなあ」

 これは非常にまずい。私たちが死ぬのもまずいがここまできて霊的なことが何も起こらないのも番組的に終了してしまう。


「その鏡からも何も感じないけど、一応覆ってる布を取ってみようか?」

「この布に張り付けてるお札で霊的なものが押さえつけられてるとかはない?」

「こんなぼろぼろのお札に効力なんて残ってないよ」

 とどめのセリフを言ってしまったエマは鏡を覆っている布を取ろうと掴んだ。


 その時だった。


 私の視界が突然黒く染まった。

 内臓の奥からせりあがってくる悪寒に思わず吐きそうになる。


「ま、まって、エマ!」


 このどす黒い絶望感が体を支配するような感覚……。

 忘れようにも忘れられない。

 今私が襲われたのは死の予感だった。


 私の未来視がこの布を取ると私が死ぬと警告を発しているのだ。


「エマ、本当にこの鏡から何も感じないの?」

「硝子さん、何がやばいものが視えた?」

「ええ、この布を取ったら少なくとも私は死ぬかもしれない」

「えっ、じゃあ、取ったらダメじゃん!」

「いやでも、このまま何もなかったら番組が成り立たないし」

「死んだら意味ないでしょ」

「番組が成り立たなくてもダメでしょ! それにあなたも今まで命を賭けて来たじゃない」

「私はいいの。でも硝子さんはダメ!」

 無茶苦茶だ。でもその分ストレートにエマの想いは伝わった。


 でも、私ももう逃げるわけにはいかない。

 命を賭けないなら結局そこまでのことしかできないのだ。

 だから、筧プロデューサーをはじめとしてテレビ東西のスタッフは必死にやる。

 それは命を軽く扱うということではないのだ。


「死の予知はあくまでそうなる可能性が高いということなの。どのみち私は番組を成り立たせるためにこの怪異を乗り越えないといけないわ」

 私の決意を感じ取ってくれたようだが、エマの表情はまだ硬い。

「硝子さんがそういうならわかった。硝子さんのことは私が絶対に守るから」

 エマの言葉に私がありがとうと頷くと、私たちはふたりで鏡台にかかった布をつかむ。


 お互いに顔を見合わせながら、ゆっくりと鏡台の布を取り払った。

 鏡台は私たちしかその中に映していない。

 映し出された部屋の中に霊や違和感のあるものは映り込んでいない。

「ど、どう、エマ、何か感じる?」

「んーん、やっぱり何も感じない。でも硝子さんが死の予感を視てとっているのに何も感じない方がわけわかんなくて不気味だよ」

 それはその通りだ。今までエマが何でも解説してくれてたから感覚が麻痺していたが、何が起こっているのかわからないこと、つまり未知の領域こそが怪異という恐怖の根源なのだ。

 そういう意味では私たちは今初めて心霊探究ドラマの深層に触れているのかもしれない。


 その後、私たちは予約なしの来訪だったため簡単な食事を宿に出してもらい、大黒だいこく先生は別の部屋に泊まることになった。

「ひとつだけいい?」

 私たちの調査結果を聞いた大黒先生が食事中不意に口を開いた。

「天野さんの未来視は嘘じゃなかったの? ワイドショーであれだけ騒がれたのに?」

 そういえば世間的にはそういうことになっているのを失念していた。

 しかし、ここで変にはぐらかしても話が前に進まないので大黒先生には正直に話すことにした。


「ああ、その、内緒にしてほしいんですけど、本当は視えるんです未来……少しだけ」

「……なるほどね。それで色々と腑に落ちたよ」

 私の物言いだけで大黒先生はだいたいの事情を察したように話を終わらせてくれた。

 さすが自分の中で世界を構築する漫画家だけあってひとつのピースですべての私の周りの事情も把握したらしい。


 私とエマは温泉に入って布団が二組敷かれた開かずの間に戻ってきた。

「ちょっとエマ撮影するんだから、浴衣だけじゃだめよ。ちゃんと下着付けないと」

「だって暑いんだもん。夏は私下着なしで寝てるの硝子さん知ってるじゃん」

「見えたらいけないところが映ってお蔵入りとか勘弁してよ」

「編集で何とかなるよ」

「バカ! 映像が残ってたらどこからネットに流出するかわからないのよ!」

「わかったよ、もう」

 ぶつぶつ言いながらエマはゆるいブラ付きのキャミソールを浴衣の下に着た。


「じゃあ、硝子さんは先に休んで。私は寝ずの番で見張るから」

 エマは布団の上にでんと座ってくだんの鏡台をにらむ。

「いやでも、明日もバス旅があるのよ」

「朝起きて硝子さんが死んでたりしたら嫌だから私は寝なくても大丈夫」

 張り切って声をあげるエマの迫力に押されて私は先に布団に入った。

 そうして部屋の灯りを薄明かりにしながら固定カメラを設置して私たちは夜を明かすことにした。



  ◇



 30分ほど経っただろうか。布団の中で体を休ませていたが緊張で私は眠ることができなかった。

 うっすらと目を開けると隣の布団から寝息が聞こえてくる。

 ゆっくり首をひねって隣の布団の方を向くと布団の上にあぐらをかいたままエマが眠りに落ちていた。

 無理もない。この3日間バス旅の過酷ロケの中で山道を歩いたりしたので体力的には限界のはずだ。

 私の方はと言えば体は疲れているはずなのに、眠るとそれが最後で二度と目を覚ますことができないかもしれないからか目が冴えてしまっている。


 私は再び鏡台の方に視線を戻す。


「あれっ?」


 それはわずかな違和感だった。鏡の中に金色の髪が映り込んでいる。


 エマの髪の毛が映り込んでいると思ったが、肩までのセミロングのエマと違ってショートヘアの髪と茶色に近いエマの髪に比べて髪の色がより明るく金色に近い。

 それがエマとは別人の後頭部だとわかったとき、私は混乱してしまう。

 エマは鏡台の方を向いて座っているので鏡には顔側が映るはずだ。

 つまり今鏡に後頭部が映っている誰かが私の目の前に立っていないといけない。


 けれども、私の目の前には誰もいない。


「えっ、どういうこと」


 鏡に後ろ姿が映っているにもかかわらず、私の前に立っている人物を私は見ることができない。

 部屋の中には私とエマしかいない。


 ……え、えま


 声を出そうとしたその時、鏡の中の人影がいきなり私の寝ている布団の上にまたがり、私の首を絞め始めた。

 やはり私の目の前に人の姿はない。

 しかし、私の首は鏡に映し出されたのと同じように絞まり、体は布団の上にまたがられているので重さで起き上がることもできない。


「え、え、まぁ」


 私の口からわずかに漏れ出た呻き声。そして手足を必死にバタバタさせた音と振動で眠りについていたエマがハッと目を覚ましてくれた。

「うん、硝子さん?」

 まだ覚醒していない意識の中で苦しそうにもがいている私の姿を見てエマは叫んだ。


「硝子さん!」


 すぐに私の顔に自分の顔を近づけて聞いてくるが、なぜ私が苦しんでいるのかは当然わからないようだ。

 私はエマに今起こっている怪現象を示すために右手で鏡の中を指さした。

 エマは私の指先に導かれるように鏡台の方を振り返った。

「えっ、何あれ、鏡の中に誰かいる。それにかすかに霊気が」

 エマは鏡の中で私の首を絞めている人がいるであろう空間に両腕を振り回すが、何の手掛かりもなく空を切るばかりだ。

 鏡の中の人影にもエマの打撃が加わっている様子は映っていない。


「だめ、どうなってるの!」

 怪異に対処する方法が何もなく、エマはパニックにおちいっている。

「い、いやあ、どうしたらいいの。硝子さんが死んじゃう!」

 エマから発せられる死という悲鳴。

 やはり私の未来視は当たっていた。

 せっかく警告が出ていたのに、私は無視してしまったのだ。


 でも、何かおかしい。

 私の未来視が死のトリガーとして指し示していたのは鏡だけじゃない。

 少なくとも鏡は私たちがこの部屋に入ったときから置いてあったのだ。


 私の死のトリガーとなったのは……


 途切れそうな意識の中、私は先ほどの死の警告が鏡台の布を取ったときだったことを思い出した。

 私の未来視が見て撮った死のビジョンにはあの布も関係しているのかもしれない。


「ぬの……かがみのぬの」


 私はわずかな可能性に賭けてエマに布をかぶせるように指をそろえてひっくり返すジェスチャーを送る。


「……わかったよ、硝子さん!」


 勘のいいエマはそれだけで私の意図を感じ取ってくれたのか床の上に畳んでいた布を拡げて鏡台の上にかぶせた。

 鏡が布によって遮られた途端、私の首を絞めていた圧力がすっと消える。

 私は咳き込みながらもなんとか起き上がって布団から這い出す。

「硝子さん!」

「えま、すぐ、にげ……」

 私がエマの方に体をひねると、エマはすぐに私の体を抱きかかえるように引きずりながら部屋を抜け出した。


 私たちは廊下まで脱出したがまだ不安だったので、エマに肩を借りながら走ってテーブルとソファのある休憩スペースまでやってきた。

 後ろから何も追ってこないのを確認すると、私とエマはとりあえずソファに腰かけて状況を整理することにした。


「何だったの、あれ? 目の前には何も視えなかったのに、確かに布団の上に乗られて首を絞められる感触があった」

「私も……あんなのは初めてだよ。かすかに霊気みたいなのは感じたけど、鏡の中にしか人の姿は見えなかった」


 心霊案件に詳しいエマでも経験どころか聞いたこともない霊障のようだ。

 いや、そもそもあれは悪霊や妖怪の類なのかどうかも怪しい。


「……これからどうしようか?」

「あの部屋に戻るのは無理だよ、硝子さん。危なすぎる!」

「……でも撮影が」

「固定カメラで硝子さんが襲われる場面が撮れてるはずだから十分だよ。死ぬところだったんだよ!」


 エマの言うことに間違いはない。


 私が逃げ出すことができたのも単なる偶然だと思う。

 未来視であの鏡を覆う布が私の生死を分けるものだと視ていなければ、私はあのまま何もできずに殺されていただろう。


 他の撮影スタッフを起こそうとも考えたが、特に今できることは何もないので私とエマはエアコンのない蒸し暑い休憩スペースでそのまま夜を明かすことにした。

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