【3】18歳とは思えない完璧で美しい土下座でしたよ
結局、私たちはどこでも決断できず最後の北上候補地岡山駅まで到達し、そこから鳥取に向けて北上することになった。
途中、岡山県と鳥取県の県境のバスが繋がっていない区間を歩きで峠越えしてなんとか3日目の夜にチェックポイントのW温泉旅館に辿り着くことができた。
「はあ、なんとか着いたわね。でも、これから開かずの間を取材しないといけないのよね」
体はもうくたくただけどしょうがない。
「いや、違いますよ、天野さん」
何か私の認識が違うのかスタッフが訂正する。
「えっ、どういうこと?」
「まずは部屋が空いてるかと取材オッケーかの許可を取らないと」
「は?」
「いや、バス旅はアポなしが基本なので」
「えっ、いや、バス旅はともかく今日私たちがドラマの取材に来ることは旅館に言ってるんでしょ?」
「いえ、近々取材するかもしれないので、一応泊まれるぐらいに部屋を掃除しておいてくださいとしかお願いしてません」
「えっ、じゃあここで取材許可が降りなかったり、部屋が開いてなかったりしたら挑戦失敗ってこと?」
「そうなりますね」
今度という今度は呆れを通り越して怒りが込み上げてきた。
「バカなの? ねえ、もう、ホントにガチすぎるでしょ!」
「天野さんの交渉力にかかってます。番組が成立するためにがんばってください」
もはやドッキリレベルの無茶ぶりだが、これが
「あの、すいません、夜遅くに」
「はい、どうされましたか?」
私が玄関に入ると番頭さんらしき中年の男性が出てくる。
「あの、実は今テレビ東西の地方バスふれあい旅のロケをやってるんですけど」
地方バスふれあい旅というフレーズを聞いて番頭さんの顔が驚きの表情に変わる。
「えっ、もしかしてあの有名なバス旅?」
「そ、そうです。そのバス旅です。それで今日部屋は空いてますでしょうか?」
部屋がいているかという私の問いかけに対して今度は一変して番頭さんは疑いの表情になる。
「いや、その前にバス旅ってことは芸能人さんがやってるんだと思うんだけど、アンタは誰?」
「ああ、ええと、私は今回のゲストのマネージャーをしております天野……」
私が自己紹介しようとしているそのときだった。
私の口からマネージャーをしていると説明した途端また番頭さんは怒りの感情を含んだ声をあげた。
「えっ、あんたマネージャーなのか!」
一応元アイドルだが、今のジャージと地味な髪型では芸能人オーラは消えているのだろう。
「は、はい、そうです」
マネージャーであることは間違っていないので、私は番頭さんの問いかけを肯定する。
「なんだよ、バス旅は芸能人がアポなしの仕込みなしでやってると思ってたのに!」
「えっ、いや、それは……」
「結局編集でごまかして裏ではスタッフが調整してたのかよ!」
「わ、わたしはスタッフというか……」
「もう、幻滅したよ。帰れよ、大好きなバス旅の裏側を見せられて最悪だよ」
それは困る。ここで宿泊と取材の許可が取れないと今回の挑戦が失敗してしまう。
「も、もうしわけありません。お願いです、ここで宿泊できないと番組がだめになってしまうんです」
「そんなの知るかよ!」
私は絶望感で膝が震えてたっているだけでやっとの状態だった。
なんとか許しを請うために追い込まれた私は玄関の石畳の上で
「そこをなんとか、お願いします」
しばらくの間、旅館の玄関に静寂が漂う。
「よ、よおし、そこまで言うんだったら条件がある」
条件という言葉が耳に入って私は顔をあげて番頭さんを仰ぎ見る。
「お前が入って来てからのやりとり、そこのカメラマンが撮ってるみたいだから、このやりとりを編集なしで放映するんだったら泊めてやるよ」
「えっ、本当ですか?」
「おお、今までスタッフが裏で動いてましたってのを包み隠さずバス旅で放送しろよ」
何か誤解があるようだが、私がここで余計なことを言って泊めてくれる流れが変わるのも嫌だったのですべて承知することにした。
「わ、わかりました。全部放送します」
「い、いや、まだ、だめだな」
「えっ?」
あっさり私が承諾してしまったからか、番頭さんは前言を翻してきた。
「絶対に今回のやりとりを放映しますっていう念書を書け。後でそんなこと言ってませんってなっても嫌だからな」
私は絶対にこの旅館に泊まらないといけないので、言われた通り元々用意していた放映承諾書に「絶対に今回のやりとりを放映します」とサインした。
「では、承諾書にもサインをお願いします」
一応決まりであるので、私の方も番頭さんにサインを求めた。
「もし、これで放映しなかったらSNSでこの書類を公開させてもらうからな」
不機嫌に吐き捨てながら番頭さんは承諾書にサインした。
「じゃあ、これで私たちを旅館に止めてもらえますか?」
「ああ、いいよ。いや、ちょっと待て、私たちってスタッフもうちに泊まるのかい?」
「いえ、私はマネージャーですが、私も今回のバス旅のメンバーですので」
意識はしてなかったが、たぶん私の中にも
私は眼鏡を取ると、番頭さんに見せつけるように髪を縛っていたゴムを外しながらアイドル時代の髪型に直して見せた。
「紹介が遅れました。女優赤音エマのマネージャをしております
私の素性を把握した番頭さんは目を見開いて震え出した。
「あ、あっ、エンジェルグラス、天野硝子、さん! マ、マネージャーって名乗ったのに!」
「だから、今は同じバス旅に参加している赤音エマのマネージャーをしています」
「だ、だったらちゃんとそう言ってくださいよお」
番頭さんの表情がお客様を出迎える際の営業スマイルに変わる。
「申し訳ありませんでした。こちらが自己紹介する前に怒鳴られてしまったもので」
「い、いや、それはこちらもちゃんと確認しませんで申し訳なかったです」
「じゃあ、最初から取り直しましょうか? この旅館の接客態度を誤解される方もいるかもしれませんし」
私の提案を聞いて番頭さんが返事する前に後ろで撮っていたカメラマンが声をあげた。
「天野さん、あなたまだそんなこと言ってるんですか?」
「えっ、えっ?」
「この番頭さんはバス旅の仕込みなしのリアルを評価してくれてたのに、あなた撮り直しなんて、何もわかってないじゃないですか!」
「そ、それは……」
「仕込みがないからこそ、このリアルな神ハプニングが撮れたんじゃないですか。バス旅ファンの番頭さんにも失礼ですよ!」
「た、たしかに……私、また間違いを犯すところでした。番頭さん本当に申し訳ありません」
私は番頭さんに向かって深々と頭を下げる。
「い、いや、わかってくれたらいいんですよ。も、もちろん撮り直しなんてしなくて大丈夫です」
「あ、ありがとうございます」
私が顔をあげて見ると番頭さんの笑みはどこかぎこちない。
「それと私たちは今回ドラマ『パンドラファイル』の取材もかねて訪問させていただきました。お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、その件もですか。それでしたら女将を呼んできます。お待ちくださいね」
番頭さんが旅館の奥に戻っていくのを見やりながら、私はカメラマンに声を掛けた。
「とっさにあんなアドリブできるなんて、テレビ東西スタッフの場慣れ感が恐いわよ」
「まあ、あれぐらいできないと低予算で良い番組はできませんよ。天野さんだってさっきの土下座、18歳と思えないほどの完璧で美しい土下座でしたよ」
「まあ、詐欺スキャンダルからエマのマネージャーになって謝り通しだったから」
「頭からお尻までのあの美しい曲線美を見せられたら誰でも許したくなりますよ」
お互いの健闘を称え合いながら、私たちは取材許可が取れたことを外のふたりに伝えに行った。
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