【2】あれは座敷童なんてものじゃない
山の
「ご注文は何にされますか?」
店主でもある初老の女将さんがエマに微笑みながら声を掛ける。
「それじゃあ、まずは鶏天と夏野菜のてんぷらを」
「えっ、うどんは」
「あっ、えっと先に揚げたてのてんぷらを食べてから、そのあとに冷たいぶっかけうどんをいただこうかなと」
おいおい、酒飲みのおっさんみたいな注文をするんじゃない。
あなたファンから聖女と呼ばれてるでしょうと私は頭の中で叫びながら、番宣が逆効果にならないことも願う。
「うちのうどんは機械ではなく、手打ちの包丁切りにこだわってまして」
そう言いながら女将さんがうどんを切る大きな包丁を見せてくれる。
「このお店はうどんの美味しさだけでなく、座敷童が出るということで有名なんですよね」
「はい、お店の従業員やお客様の中に着物の子供が店内を走っていたとか、お店の写真にそういう子供らしき影が写りこんでいたりとかで話題になっていますね」
「このお店は古民家を改装したんですよね」
「そうですね。ここに元々あった古民家をお店用に改装したので建物自体はとても古いものです」
そう、せっかくホラードラマの番宣企画なのでカメラマンには座敷童が映り込んだら後日編集して使えるかもしれないからカメラで色々と撮っておいてほしいとお願いしている。
私も撮影の下調べもかねて個人的にカメラを持ってお店をまわってみたけれどわずかに違和感があった。
お店の女将さんは古民家を改装と言っていたが、この建物はむしろ……
もういーかーい
外からだろうか、どこか遠いところで女の子の声が聞こえたような気がした。
もういいかいという掛け声から近所の子供がかくれんぼでもしているのだろうか。
子どもの遊ぶ声、これが映像の中に紛れ込んでいても座敷童のものと印象付けることができるだろうか。
そんな事を考えていると、ポケットに入れたエマのスマホが震えている。
私はエマのスマホを取り出して、マジゴーのゲーム画面をチェックしてみた。
すると現れたマップ画面に宙に浮かんだサイコロに乗った女の子悪魔のシルエットが現われている。
それはエマから教えてもらったラプラスの悪魔そのものだった。
(えっ、うそ、お店の中にいるじゃない)
思わぬ事態に私はうろたえてラプラスの悪魔を捕まえようかと迷っていたとき、うどん屋の店内が急に暗くなった。
天井の照明が消えるトラブルが起きたのかと思ったが、店内の灯りはついたままだ。
消えたのは窓から入る外の光だった。
突然夜になったかのように店の窓や戸が闇に染まっている。
店内の空気が震えるように揺れた気がした。
「えっ、なに?」
このとき私に突然沸き上がったのはまるで罪人として地下牢に入れられたような絶望感だった。
私の目の前にあるスマホから後ろに見えるエマの席に奇妙なものが出現している。
それは着物姿の女の子だった。
普通であれば、事前に話を聞いていたので、座敷童と思うかもしれない。
しかしその女の子はヤモリのように店の壁に四つん這いで張り付き、首を伸ばしてエマを上から覗き込んでいた。
少なくとも私には座敷童とは思えない。
「み・い・つ・け・た」
そう呟くと、女の子の体が壁から離れ、エマめがけて落ちてきた。
「ぐえっ!」
子供の身体ながら、エマは体の中身が口から飛び出るような声をあげた。
エマの上に乗っかった女の子を見ると、エマの小さな胸の間にうずめられた顔がゆっくりとエマの顔と向き合うように起き上がってきた。
「きゃああ、なに、なに!」
エマの口から聞いたことのないような恐怖の絶叫が響き、苦悶の表情に顔が歪む。
大きすぎる黒目に灰色の尻尾と毛の生えた耳、その姿は着物を身につけているが本当にケモノのようだった。
「今度はあなたが鬼よ、私が隠れるから三百数えるうちに見つけてみなさい。見つけられなかったら、今度はあなたも隠れるのよ」
着物の少女はエマの身体からずるりと落ちて席の下に潜り込んだように見えた。
しかし、ここから見ても席の下の足を入れるスペースには女の子の姿はない。
この異常事態にエマ以外店内の誰も声をあげようとはしない。
元々貸し切りにしていたので、店内の人間は少ないのだがそういうことではない。
私の身体は金縛りにあったかのように動かなかったのだ。
他の人間も同様だろうか。
しばらくすると、部屋全体に少女の声が響き渡った。
もーいーよー
続いて三百からのカウントダウンが始まる。
エマはすぐに渾身の力を込めた様子で起き上がった。
突然のことに私の思考力はほとんど働かなくなっていたが、どうやらエマだけはこの店内で動けるようだった。
しかし、あの少女、それは今までも何度か経験したことがある並の悪霊など比にならない狂気と私の中の本能が告げている。
寂しいから一緒に遊ぼうとかそんなかわいげのあるものでは全くなく、確実に私たちを殺しに来ている。それだけははっきりと感じ取ることができた。
あの少女に間近に触れたエマはさらにそのことを感じているようだった。
「まずいよ。このまままだと殺されちゃう。うどん屋になんであんなのがいるのよ!」
恐怖でエマの呼吸が荒くなるのが分かった。
エマはすぐに部屋から逃げようとしてみたが、当然入口の引き戸は開かない。
先ほどまで明るかったのに窓の外は漆黒の闇だった。照明だけが店内を照らしている。
「窓を壊して……いや、そもそも逃げてもだめかも、あの子を見つけないと」
そう呟くと、エマは私の方に近づいてきた。
「硝子さん、動ける? 話せる?」
小声で問いかけてきたが、私が動けないうえにしゃべることもできないと察したようだ。
エマはともかく店の中を探し始めた。
座席の下、戸棚や冷蔵庫の中、トイレ、予想はしていたけれど、そんなところに少女はいない。
エマは店に備え付けの電話をかけてみたが、不通のようだった。
私が手元のスマホに視線を落としてみるとGPS信号を探していますと表示が出ていた。
どうやらこの空間は完全に外界と遮断されているらしい。
妖怪と呼ばれる存在の中には自分の領域とも呼べる空間を作り出す者もいるようだがまさにこれがそうなのだろう。
店内に響く少女の秒読みは二百を切っていた。
店全体に反響するように聞こえるので声の出どころから位置を探ることもできない。
本当に死ぬ。殺される。ああ、やっぱり私の予知夢はあたってたんだ。
こんなことならもっとちゃんと考えておけばよかった。
自分の早計に対する後悔が半分、そしてちゃんとラプラスの悪魔は探したのにという裏切られた想いが半分の複雑な気分だった。
そのとき私の中にある違和感が生まれる。
ちょっと待て、そうだ、私はラプラスをちゃんと探したのに、なんでここにいる人たちは死にそうになっているのか?
それはどうにも不可解なことだった。
夢の内容からすると、ラプラスの悪魔を探索しないと死ぬという風に感じ取れたのだけれど、そうではないということだろうか。
あくまで私の予知夢が当たっているという前提で考えると、あの夢にはまだ隠された意味があるような気がした。
そもそも生き埋めになるというのはどういうことなのだろう。
エマと私が少女に埋められて殺されるということなのか。
ラプラスのいるところ……まてよ。
私はラプラスのいるところを探すというフレーズを先入観からゲームでラプラスの悪魔を探索する行為のことだと思っていた。
しかし、ラプラスとは今この場でスマホに現れているゲームの中のラプラスそのものではないか。
このスマホの実際の地図とリンクしているマップに現れているラプラスの位置は……マップが小さいので分かりづらかったが、その位置は店の壁の中のようだった。
私はその壁の方を確認したが、何の変哲もない白壁だ。
あの獣耳の少女は言った。
私を見つけなければ今度はあなたも隠れてもらうと……
そして、その言葉が生き埋めで死ぬということを意味しているのだとしたら……
少女の秒読みは百を切っていた。
声は出せない。体はわずかに指や手首の関節を動かすことしかできない。
唯一動かせる視線で店内を探すエマをじっと見つめる。
私の強い視線を感じたのか、エマが私の方に向き直ってくれる。
その時点で私は視線をエマと手元のスマホ画面とを交互に移し続けた。気づいてくれることを願って。
エマはすぐに来てくれた。
私の手元のスマホ画面をじっくり見て何かに気づいたようにゆっくりと私に向かって頷いてくれた。
さすが勘の良いエマだ。ゲームのラプラスの意味を察してくれたようだった。
けれど、どうするのだろう。
エマが探さないといけないラプラスの位置はお店の土壁の中だ。
エマは調理場に入って置いてあったうどんの大きな麵切り包丁を持ってくると両手で振り上げてラプラスが位置していた壁に打ち付けた。
大きな刃物の鋭い一撃に少女の声が動揺する。
「何、何してるの、どうして、うそ、うそよ、なんでわかったの!」
エマは渾身の力で何度も何度も壁に強い打撃を与え続けると、古い土壁は徐々に崩れてきた。
もはや少女の秒読みの声は止んでいた。
「やめてー!!」
少女の金切り声が店内に響くと、土壁の一部が大きく
はがれる壁をエマが避けると崩れた土壁の中からミイラのように皮と骨だけになった人間の死体が現われた。
その死体はその様子からかなり古いものようだった。
「……みいつけた。you are there exactly. the game is over(そんなところにいたんだ。ゲームは終わりだよ)」
エマは現れたミイラ死体に特に驚きもせず、囁きかけるように呟いた。
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