【2】チーズ・イン・ザ・ゴースト
マクドナルドの店内は比較的すいていたが、それでも注文カウンターには3人並んでいたので、後ろについて自分達の順番を待つ。
「ねえ、エマ、幽霊がよく視えてしまうことはどう意識しているの?」
最初私はエマが呪いの対処などに詳しかったのはテンパランスの指導があったのかと思っていた。
しかし、よく事情を聞くとどうやら彼女の幼少期からの経験から彼女が独自に身につけたものも多いようだった。
私は彼女のように幽霊を視ることができない。その意味でエマとは視える世界が異なっている。
テンパランスの仕事を受ける上でマネージャーとしてそんな溝を少しでも埋めるためにエマに尋ねてみたいと思ったのだ。
「う~ん、普段視える分には特には気にしないことにしてる」
特に強い感情もなくエマは答えた。
「特に関係ない霊に対しては特別な思いを抱かないことが一番だと言われてるし」
「そうなの? でも自分が周りとは違う感覚をもってるっていうのは大変なこともあるんじゃないの?」
ともすればお節介にも聞こえる私の問いかけにエマは少し考えてから答えた。
「私にとって幽霊はチーズのようなものだと認識してる」
「……チ、チーズ?」
以前から先輩としてその天然な性格から突飛な発言をすることは分かっていたつもりだった。
けれども今回の発言はその中でも群を抜いて意味不明なものだ。
「えっと、私はフィレオフィッシュのセットを、硝子さんは?」
言葉の意味が分かっていない私をそのままにしてエマはカウンターで注文を始めてしまった。
「わ、わたしはてりやきバーガーのセット……」
「あっ、そうだ。フィレオフィッシュはチーズ抜きでお願いしますね」
彼女のチーズ抜きという注文に店員のお姉さんは怪訝そうな顔をする。
「あのお客様、フィレオフィッシュにチーズは入っておりませんが」
私もフィレオフィッシュにチーズは入ってないよねと思った。
そのときカウンターの後ろに表示されている大きなフィレオフィッシュの画像が私の目に飛び込んでくる。
エマもじっとそのフィレオフィッシュの画像を見ている。
そして、くるりと身をひるがえすと大袈裟とも思える動きで口を開いた。
「おわかりいただけただろうか? ハンバーガーショップのメニューに掲げられたその映像。フィレオフィッシュの画像には挟み込まれたチーズがぼんやりと映り込んでいます」
突然エマはカウンターの前でナレーションを始めた。
「しかし、店員の彼女はこのチーズはそこには存在していなかったと証言しているのです」
この大学で元アイドルの赤音エマを知らない人はいない。
もちろん帽子と白のポンチョコートで外見の特徴を隠してはいる。
しかし、私が意識しているだけかもしれないが、エマからは芸能人特有とでもいうようなオーラが発せられている。
エマの即興劇で騒ぎが起きてしまわないかとハラハラしたが、私と同じく困惑している店員のお姉さんに店長と思しき男性がそっと脇から指摘し始めた。
「……フィレオフィッシュ、チーズ入ってる」
店長にそう言われてカウンターのお姉さんははっと気が付いたように驚き、失礼しましたとお断りを入れてきた。
「……つまり、チーズが苦手で意識している私のような人間からすると、映像の中のチーズを鮮明に認識できるわけだけど、そうでない人はチーズを意識することができないわけよ」
心霊特番の怪奇映像の解説のように彼女は熱弁する。
これが彼女の言う幽霊がチーズのようなものということの説明なのだろうか。
「う~ん、わかるような気もするけど……」
彼女はさらに続ける。
「前に肉々しいハンバーガーが食べたかったからダブルチーズバーガーのチーズ抜きを頼んだんだけど、2枚あるチーズの1枚だけが抜かれた状態で出てきたのよ」
何だろう、もうすでにどうでもいいレベルのエピソードに感じるが、すぐに反論せず落ち着いて聞くことにした。
「私はチーズ抜きで注文したことを店員さんに確認したんだけど、その店員は私が何を言っているのかわからないようだったの」
私も何を言っているのか分からない。
「その店員さんはまるでチーズが苦手という人間がこの世にいることを認識することすらできないといった表情だった」
目の前のこの愛らしい後輩はいったい何に対して怒っているのか、よく考えないとまずそうな雰囲気だった。
「チーズを苦手にしている人からすれば、料理の味を左右するぐらい強い風味を持っているのに意識していない人からすれば、そのことを主張されても理解されないわけよ」
確かに説明だけ聞いていると幽霊が視える人の主張が周りの人に理解されない状況と重なっているような気もする。
「いや、意識しないどころか、むしろ強調しているのかも」
瞳の奥に疑惑の黒い炎を宿して、エマは呟いた。
「強調?」
「チーズ・イン・ハンバーグってどういう料理?」
「えっと、『中にチーズの入ったハンバーグ』でしょ?」
「うん、多分伝えたい意味としてはそれで正解なんだろうけど……」
凶悪とすら形容できる表情を見せながらエマは頷いた。
「でも、この和製英語の意味をそのまま読むと意味は『ハンバーグの中のチーズ』になるわけよ!」
そう苦々しく吐き捨てたのはさきほどまでおっとりとハンバーガーを注文していた可愛い後輩ではなかった。
「そう、チーズが、チーズこそが一番重要とばかりに強調されているのよ。チーズが苦手な私からすると全く理解できないほどに!」
「全然関係なくなっちゃった!」
やっぱり単にチーズが嫌いというわがままだった。
「途中まではちょっと納得できるかもって感心しかけたのに、全然関係なくなっちゃったよ!」
危うくこんな子供騙しのような論理で納得してしまうところだった。
しかし、頭ではわかっているのに気が付くとエマワールドに引き込まれて、思わず突っ込んでいる。
他愛もないやりとりだが、エマの世界には取り込まれる何かがある。
「関係ないなんてことないよ、こうやってスマホで写真を撮ってみれば」
エマがスマホのカメラで店内の誰もいないところを撮ろうとする。
何やってるのかと思っていると、エマのスマホに大小さまざまな四角が出現する。
「ハイ、チーズ!」
明らかにその四角は顔検知機能だった。
「ね、チーズと幽霊関係あるでしょう」
視えない存在を彼女が確かにとらえているとしか思えない光景だった。
「な、なんでこんなに?」
「この大学ね、ちょっと曰く付きの土地に建てられてるせいで多いんだよね」
いきなり怖い話題になり、混乱するなかそんな私の意識を読み取ったのか彼女はゆっくりと口を開く。
「15人だよ」
不意にエマがカウンターから出て来たハンバーガーのセットを受け取りながら、私の顔を見返した。
「えっ?」
「このお店の中に15人いる」
今になって彼女がお店に入って口にしたいっぱいいるという言葉は生きている人間のことではないのかもしれなかった。
エマから自分のハンバーガーのトレイを受け取ると私は感情を落ち着かせて口を開いた。
「……バカ、4人しかいないわよ」
私はエマの想いを感じ取ってしまったからか、深くは追及せずに苦笑した。
「うん、それでいいの。わかったでしょ、視えたって違いはそんなもんなんだから、硝子さんにとっての真実はそれでいいじゃない」
その声がふわりと私を包むように発せられると、エマは再び私の顔を真剣に見つめてきた。
「もちろん他人を完全にわかることなんてできないよ。でも硝子さんは私のことを理解しようとしてくれてる。その優しさが私は好きなの」
軽く目配せする彼女の姿にこの話題はそれが言いたかったのかなと察した。
そしてゆっくりと視線を下げて、エマはチーズ抜きのフィレオフィッシュをおいしそうに頬張ったのだった。
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