【3】それでも私にはあの呪いが幻とは思えない

 翌日、私は講義中に目を閉じて頭を上下にゆっくりと振り始めていたようだ。

 明らかに目立っていたのだろう。隣の席の学生に体をつついて起こされてしまった。

 その感触にはっと覚醒した私はあの黒マントがすぐそこにいるかもしれない恐怖で飛び上がるように席から転げ落ちた。

「ああっ、あいつは?」

 尻もちをついたまま辺りを激しく確認して首を振る。

 私の慌てた様子に皆は寝ぼけていると感じたようだった。

 しかし、様子があまりに切羽詰まったようだったので、エマが私の体を起こし大学の保健センターに行くか、早退するかを尋ねてきた。


「……保健センター行く」

 私はゆっくりと立ち上がってとりあえず教室を離れることにした。

 追い込まれている。

 今までは漠然と感じていた思いが一層鮮明になっていた。

 あの黒マントに付き纏われている限り、私はうっかり眠ることもできないのだ。

 これが呪いだとするのならば、最初から私をじわじわと圧力をかけて追い詰めることを意図しているのは明白だった。

 もう、楽になりたい。

 テンパランスの霊能者が言ったように黒マントに触っても何もないかもしれない。

 そう思いたい気持ちはどんどんと強くなっていく。

 それでも、私の中の防衛本能ともいうべき感覚はやはりあれが私の命にかかわる禍々しいものだと訴えていた。


 あれに触ると私は死ぬ。


 どうしてもそういう感覚がせり上げってくるのだ。

 保健センターに入ると職員に案内されて、私はベッドに座った。

 一緒に来てくれたエマがちょっと横になったらいいよというのでベッドに横たわったが、私は眠気が限界で自分の意志とは関係なく眠りの中に落ちてしまった。

 次に目を覚ました時はエマに肩をちょっとゆすられて起こされた時だった。


「えっ、きゃああああ!」

 目を開けた私の視界に入ってきたのはあの黒マントが保健センターの部屋の入口から中に入り込んでいる姿だった。

 ベッドとの距離は3メートルほどしか離れていない。

 目覚めるや否や絶叫した私にエマはどうしたのかと尋ねてきた。

 やはり彼女は入口近くに佇む黒マントは視えないらしいが、とにかく事情を話してほしいとお願いされた。

「信じてくれるの、私の言うことを。何も視えないのに?」

 エマの言葉に嘘はないように思える。

 そうだとするならばそんなエマでも視えないあの黒マントはやはり私の創り出した幻なのだろうか。

 私は藁にもすがる思いでエマにどうしたらあの黒マントから逃げられるのか訴えた。

 エマは小さく呟いて考えるそぶりを見せる。

 そして、エマは一つの疑問を口にした。


「何でその黒マントは天野さんの居場所が分かるのかしら?」

 漠然とあの黒マントは私の居るところが分かって、そこに向かっているぐらいの感覚だったが、言われてみればそれは少々不可思議な点に思える。

「もしかすると天野さんに目印となるものが付けられているのかも」

 彼女の憶測に対して特に変な持ち物はないと答えたが、エマは私の身体に直接霊的な印のようなものが付けられているのかもしれないと言う。

 エマはもし構わなければ私の体を調べたいと言い出した。

「調べるって、どうやって?」

「ええと、ふ、服を脱いで裸になってくれれば、女の子同士だからかまわないかな?」

 そう言ってエマは私に顔を近づけてもう一言耳打ちしてきた。

 エマの提案に最初は驚いたが、確かに私の身体にあるかもしれない目印を見つけるというのであれば服を脱ぐのは当然だった。

 エマは他の誰かが入ってこないように保健室のカギは閉めるからと言った。

 エマが保健室の鍵を閉めたのを確認すると私は服を脱ぎ始めた。

 生きている人間はエマしかいない。あの黒マントも部屋の中にいるが、脱いでも大丈夫なのだろうか。


「見ないでよね!」

 目の前にいる黒マントに聞こえているのかどうかは分からなかったが、私は声に力を込めて短く言い捨てた。

 私は手を震わせながら服のボタンに手をかた。

 何度も何度もためらいながら手を動かす。

 ブラウスを脱いでシンプルなデザインのブラジャーが晒されると、自分の胸元がほんのりピンクに染まっているのが分かった。

 おそらく顔や首筋も同じだと思う。

 私は続けてスカートに手をかける。

 震える指でホックを外し、ファスナーを下ろして身をかがめ、片足ずつゆっくりとスカートから足を抜き取った。

 私が服を脱いで下着姿になったぐらいからうめき声のようなかすかな声が響いてきた。

 それは目の前にいる黒マントが発しているようだった。

「ひっ!」

 私はその興奮と抑圧の声に驚き小さく悲鳴を上げ、身を固くした。

 うめき声はあげていても顔には仮面が付けられていて、その黒マントに動き自体は見られない。

 けれどもはっきりとわかった。この黒マントは私の裸に興奮している。

 私は気持ち悪くなり反射的に両手でブラジャーの上から胸を隠した。

 私の恥じらう様子に刺激されたのか、黒マントの仮面の奥から一層強い獣のような声が発せられた。

 その猛ったうなり声が聞こえた次の瞬間だった。

 保健室の扉の鍵を閉めに行ってちょうど黒マントの後ろの位置にいたエマが声を張り上げた。


「視えてるわよ、この変態野郎!」


 突然の怒鳴り声に私はびっくりしてベッドの上で跳ね上がりそうになった。

 しかし、私以上に驚いたのだろうか。黒マントが迫力ある彼女の啖呵たんかに反応して、反射的に彼女の方に振り返った。

 その光景の意味するところが私は最初理解できなかったが、数秒後自然に状況を把握し始めた。


「う、うごいた、いま動いたよね」


 私の慌てた様子の指摘に反応して黒マントは動転したように私の方に向き直った。

 そして、今まで動かなかったのが嘘のように頭を抱えて苦しみ始めた。

 やがてその苦しみの悶えに従って身を包んでいた黒いマントと仮面がほどけるように渦を巻いて消えていく。

 仮面とマントの中から現れた人物、それは驚いたことにエマのマネージャーだった。

「えっ、どういうこと?」

 その姿を視られたマネージャーは苦しむ表情から徐々に魂が抜けたような無表情になるとそのまま宙に浮いたような動きで保健室を出ていこうとする。

 エマはその動きを予測していたかのようにすっと鍵を開けて扉を開いた。

 そしてマネージャーは私にもエマにも一瞥もしないで保健室から出ていった。

「えっ、えっ、今の、マネージャーが、なんだったの?」

 あまりの状況に私は混乱したまま立ち尽くした。

「見ての通り、マネージャーが今回の呪いの送り主だよ」

 エマは申し訳なさそうに呟く。

 強い呪いというのはある意味生霊という魂の分身みたいなものだから、姿が同じになることが多いというのは知っていた。

 マントの中身がエマのマネージャーだったということは彼が呪いの送り主というのは間違いないのだろう。

「ごめんなさい、天野さんをギリギリまで危険な目に遭わせちゃって」

「ど、どういうこと?」

「あの黒マントの呪いを天野さんからひきはがすにはゲームのルールに従うのが一番スムーズだったから」

 エマによると、あの黒マントが定めた呪いのルールの通り、動いたところを私に視られたあの呪いは送り主本人のところに帰っていたようだった。

「で、でもエマはあいつのことが視えなかったんじゃ」

「うん、はっきりとは視えなかったよ、あいつのマントと仮面の姿が象徴していたように周りから視られないような作用は呪いの効果として施されていたんじゃないかな」

 エマは最初からぼんやりと嫌な空間のゆがみは視えていたようだった。

「最初の朝の時には何も視えないようなこと言っていたじゃない」

「あっ、うん、ごめんね、だまして。視えないふりをした方がどう対処するにしても都合が良かったから」

「対処?」

「あの呪いがどういう性質のものか調べたり、具体的にはあいつが意思をもっていたりするのかどうかとか」

 確かに黒マントはエマが視えていると気付けば警戒してしまうだろう。今回彼女が眼鏡をかけていたのも黒マントに視線を読まれないためだったという。

「……でも、何で呪いの分析みたいな事、エマができたの?」

 エマ曰くあの黒マントは私が教室で寝ているときも慎重に近づいていたようなのだが、近くづけば近づくほど興奮したからか姿が視えるようになったらしい。

 エマは私の服を脱がせようとしたときに耳打ちをした。


 できるだけ興奮させるお芝居をお願い、と。


 そこで黒マントをさらに興奮させれば、意識外に驚かせることが出来るかもしれないと考えたようだった。

 私のような占いと一緒に得たにわか知識で対処したというレベルではない。

「依頼されていたの。天野さんに憑いた呪いから守るように」

「……依頼? 誰から?」

「あらためて自己紹介するね」

 エマは謎めいた微笑みを私に向けると、悪戯っぽく付け足した。


「テンパランス所属の赤音あかねエマです。今回は身内の不手際に巻き込んでしまい申しわけありませんでした」


 そう言ったエマの眼差しは妖しい赤色の輝きを秘めていた。

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