【1】仮面と黒マントをつけた影に付きまとわれる
あれが醜悪なものだということは直感でわかった。
大きな黒い影が大学のキャンパスを背に向けて通学路の坂道の真ん中で直立している。
黒い仮面をつけた人の影のように見えるそれは黒い布をかぶった人間にも見えたし、ともすればうごめく巨大なヒルのようにも見えた。
通学路の真ん中にあんな異形の者がいるのに周りの学生たちは気に留めるそぶりもない。
どうやら私以外の学生たちはそれが視えないらしく、その影を気にするどころか文字通り何もないようにすり抜けていった。
私は幽霊の類を視ることはあまりない。
それでも芸能界で占いをしていた経験から、心霊に関する知識はそれなりにもっていた。
今あそこに立っている影は私以外の人には視えていないようなので、余計な反応はせず自分も視えないふりをしてやり過ごそうと考えた。
自分が視えていることを霊に悟られない方が悪い状況にならないことが多いらしい。
立ち止まって凝視したりしない。ただ通学中の学生たちの波の一部となって違和感なく前に歩いていく。
しかし、進むについてあの黒い影とそのままだとぶつかることに気が付いた。
私はなるべく視線に力を入れずにその様子を確認した。
やはりその影は仮面と黒いマントをかぶっているような姿でまるでイタリアのお祭りの仮装のようだった。
私の前を行く学生とぶつかっている様子はない。何もないようにすり抜けている。
黒マントとの距離はどんどん詰まっていく。
自分は学生の波の一部だと存在を埋没させて歩くように努めた。
やがて私は表情なく進んでその脇をぶつかることなくすれ違うはずだった。
「ルールは2つ」
不意に黒マントが声を発した。
仮面をつけているためにその表情や視線は分からない。
「1つ、俺がお前に触れたら俺の勝ち、お前は死ぬ」
平静を装う体とは反対に心と心臓は大きく波打っていた。
「2つ、俺が動いているところをお前が確認して、それを指摘すればお前の勝ち、俺は消える」
黒マントは私の居る方角とは微妙に違う方角を向いていて、ぴくりとも動いていない。
「俺は裏切ったお前を逃がしはしない。どこまでも、どこまでも追い続ける」
その黒マントの憎しみのこもった言葉は私に対して告げられているという確信があった。
そいつの言う通り私は芸能界から逃げ出したのだ。多くのファンを裏切って。
「どうかしたの、そんなところで立ち止まって」
朝の登校中で周りは教室に向かう学生たちの中、ふいに声をかけられた。
振り返って見ると眼鏡をかけた小柄な女性が立っている。
眼鏡のせいで一瞬わからなかったが、私を追ってブルーファンタジアを脱退した
エマは私に憧れていたからか、同じ大学の同じ学科に入学していたのだ。
但し、私がこの大学に入学したときは件の霊視詐欺スキャンダルの後だったので、余計なトラブルを起こさない意味も込めて公式にはどこも同じ大学に入学していることは報じていない。
大学にまでファンなどが押し寄せると何かと迷惑になるうえ、情報源となったメディアはプライバシーの問題などで非難されるからだ。
私は世間を騒がせすぎたので、大学事務局と協議の結果
普段、同級生とも極力接触しないようにしているので、同じ学科の人の名前もろくに覚えていない。
一方、エマの方は私のスキャンダルに巻き込まれたことと元人気アイドルグループという肩書で入学当初はかなり大勢の学生が近づいていた。
しかし、当たり前のように毎日通学していればそれは日常となるので、注目の波も最近は落ち着いたようだ。
その時、私の頭にエマに関する一つの情報が思い起こされる。
確かエマはグループにいた時に霊感が強いということをアピールしていたような気がした。
「……あの赤音さん、ここに何か視える?」
私は黒マントの方を指さしてみた。エマの霊感が強いと言うなら彼女も何かを感じ取っていないか確かめたかった。
「えっ、ここってなに、何かあるの?」
「いや、何か、感じるとか?」
「うーん、何も感じないよ」
エマのそんな反応に私は落胆した。
なんだやっぱり彼女も偽物か。一般人でもそうだが、ことアイドルにおいては何か売りを作りたいがために霊感があることを装う人のなんと多いことかと思ってしまう。
あれ、そういえば今日は眼鏡をかけている。エマはいつも眼鏡をかけていなかったような気がするのだけど……
「赤音さんって、眼鏡かけてたっけ?」
「ああ、普段はかけてないけど、実はちょっと目は悪いの、コンタクトはなんだか気持ち悪いし」
「そうなんだ」
結局、エマは話し終えるとそのまま私の横を通ってキャンパスへ歩いて行った。
エマと私の関係はマスコミを通じて世間は皆知っているので、大学内では極力接触しないでほしいとお願いしている。
教室まではついてくると思ったが、それすらなかった。
普段彼女のことはエマと呼んでいるが、周りに人がいるときは仲がいいと思われないように赤音さんと呼んでいる。
色々と目立たない方が自分にとっては都合がいい。大学の新入生歓迎会などにも大学側に事情を説明して参加していない。
友達も作らないし、サークルにも入らない。眼鏡にマスク、地味な服装、地味な髪型でとにかくめだたないようにする。
ただ粛々と大学の単位を取って就職のために大学を卒業するだけ……
私は逃亡者なのだから。
あの黒マントのことは強烈に気にはなったけれど、どう対処するか考えがまとまらない。
ある程度進んだところで私はゆっくりと振り返ってみた。
黒マントは最初の場所から少しも動かず、体勢もそのままだった。
あれはなんなのだろう。生霊か呪いのたぐいかもしれない。
生霊というのはストーカーも含めてまあ何となく理解できたが、呪いという認識はあくまで漫画や小説程度の知識しかなく現実的な対処ができない。
呪いと言ってもあくまで人間の生霊と区別して分かりやすくするための表現だ。
元は人間の念であれ、自然の中の霊的なエネルギーが相手に害をなすために形を成したものというぐらいの意味でしか考えていない。
つまり、正体不明ということ。
授業の終わった後もあの黒マントが近づいてくることはなかったが、校内の中で停止しているのを見かけた。
私はあらためてあの黒マントが告げた「ルール」について思い起こしてみた。
『黒マントが動いているところを私が見て指摘すれば黒マントは消える』
『私が指摘することなく黒マントに触れられると私は死ぬ』
死というペナルティーと私が自由に動いていい点を除けばこれはまるで「だるまさんがころんだ」と同じだ。
私が動いていいのであればずいぶんと気の長いゲームのような気もする。
私はスマホでエマに連絡を取り、彼女のマネージャーに繋いでもらうようお願いした。
エマの事務所移籍とともに彼女のマネージャーもエマに付いて同じ事務所に移っていたのだが、元々同じグループということで私のマネージャーでもあった人物だ。
なぜ元マネージャーへ接触したかというと、以前心霊案件で相談にのってもらった霊能者さんへのアポを取ってもらうためだ。
元マネージャーにも会いたくはなかったが、背に腹は代えられない。
その結果、私の今いる町までは出向けないが、都内まで出てこられるなら明日予約を取れるということで、私は了承した。
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