第42話「かがやきだしてはしってく」


 「これは……凄いね」


 体育館に足を踏み入れた瞬間、會澤がそう口にする。

 アタシだったら酷いと称するだろう。

 案の定とも言うべきか体育館内の空気は最悪に最悪を加えて煮詰めたような地獄と化していた。

 避難してから大した時間は経っていないはずなのに不安と恐怖由来のストレスや怒りが目に見える。特に大人共は一触即発の雰囲気。

 子供たちは……割と放ったらかしにされてんな。

 大多数は子供だけで固まっていて、完全にメンタルが壊れてそうな顔も見える。

 何度か大人たちを見ながら結局俯いてしまう子供も居た。

 ……まずは月乃か。


 「心優、儂は鹿島のと話してくる」

 「分かった。會澤、月乃は?」

 「あ、あそこに居る。行こう」


 分かり易い金色の壁の花。ただし、萎れている。

 膝を抱え、そこに顔を埋める月乃はアタシたちが来たことにも気付いてないらしく、近付いても姿勢を変えないままだ。

 

 「月乃、安心しろ。アタシが来たから取り敢えずこの体育館は常陸島で最も安全な場所になった」

 

 声を掛けると月乃はゆっくりと顔を上げる。真っ赤に腫れた目からは涙。


 「ソヨ……ナナウミ……」

 「アヤは? 何があったのか聞かせてくれない?」

 

 月乃は泣きながら筑波山で何があったのかを話してくれた。

 そうか。今回はしっかり綾人が月乃を守ったのか。恐らく蛇人間共を掻き消した光の正体は爺さんから貰ったお守りの効果だ。

 そしてバスに乗り込んできた蛇人間を少年の母親が身を挺して引き摺り下ろした。

 バスにまで飛び込んでくる事例は初めて聞く。

 まるで何かに執着しているような——そう考えてる最中に月乃の目から涙が滝のように溢れ出した。


 「私、ほんと駄目だ……ソヨやフウちゃんみたいに戦える力もない癖に粋がって友達を傷付けて……マサアキくんのお母さんも守れなくて……!」


 バスの中で動けなかった自分を責め出す月乃。


 「誰も守れない……誰も助けられない……こんなことならアヤが傷付く必要なかった! 私が犠牲になれば良かっ——」


 アタシは月乃の頬を引っ叩いた。

 パチン、と乾いた音がどんよりとした体育館に響く。

 

 「それは綾人たちの行動を蔑ろにする発言だ。そんなのは許さない。アタシの大事な友達を悪く言うのも許さない。仮に発言者が本人だったとしても」

 

 トラウマの一種にサバイバーズギルトと呼ばれるものがある。

 何らかの被害から生き残った事実への罪悪感だ。

 

 「死んでしまった人が恨んでる? 知るかそんなこと。死人に口はない」


 分かりもしないことを考えてたって仕方ない。

 綾人も少年の母親も安否は不明。けど、少なくとも自分が助けたくて庇った月乃や少年が生きてることを恨む訳がない。


 「月乃の正義は何だ? 命の危機に瀕した誰かを颯爽と助けることか? それとも助けてくれた人への罪悪感で泣き続けることか?」

 「……私の正義は」

 「困ってる人を助けることだろ?」


 屋上で初めて会ったあの日に言っていたのをアタシは覚えている。


 「見てみろよ。子供たちを」


 こんな訳の分からない状況なのに大人共がピリピリしている所為で相談の一つも出来ない空気が出来上がってしまっている。

 

 「全員が全員そうじゃないし、状況も違うけどアタシは親や友達を失う辛さを知ってる。それで落ち込むのは仕方ない。ただ、失望はして欲しくない」

 「……うん」


 子供たちの状況を把握した月乃に目の光が宿る。震える声も定まり始めた。

 

 「子供たちの不安を少しでも和らげたい。特に、悲しいことが起きたら、人が死んだら金輪際楽しいことをしちゃいけないなんて思考になって欲しくない」

 「月乃、はいこれ」

 「私のギター……」

 「アタシは命があるだけで幸せとは思わない。娯楽が楽しめてこその人間さ」


 アタシは文化祭で使えなかったマイギターを取り出し、笑い掛ける。

 萎れていた月乃はギュッとギターのネックを握り締め、立ち上がった。

 

 「アタシは音楽に救われたサンプルだ。やろうぜ月乃」

 「と言うか学校だからグランドピアノあるじゃん! キーボード要らなかった!」

 「うん、やろう」


 アタシたちがステージに上がり始めれば大人たちが不可解な目で見てくる。

 子供たちはそこまで気にしていないようだったが、アンプやエフェクターを繋げて弦を弾いたらその音に釣られて顔を上げ始めた。

 

 「皆んなおいでー! 今日限りのスペシャルライブ始まるよー!」

 

 ……。

 ………。

 …………月乃が叫んでも集まらない。


 「仕方ない。演奏で集めりゃいい」

 「曲どうする? まずは誰でも知ってる曲にしよっか」

 「楽しい曲にしよう! そうだ、あれやろ! ただあの曲だと私は弾けないから楽器隊よろしく!」

 

 そうやって始まるゲリラライブ。

 月乃がメインで歌いながらも歌いたいタイミングでアタシや會澤が混ざるやりたい放題の大合唱。

 そんな楽しく歌うアタシたちに釣られて体育館後方に固まっていた子供たちが一人、また一人、とステージの前に集まり始める。逆に大人共が後方へ。

 リクエストを聞いたり、子供たちも歌ったり、澱んだ空気に変化が訪れる。

 一方で大人の中には不快な顔をしている奴も居る。

 そろそろ限界か。


 「月乃、會澤、後は任せた」


 ステージから降り、怒り満点のツラでドスドス歩いてくるジジイの前に立つ。

 

 「何を考えてるんだお前たちは! 人が死んでるこの状況で!」

 「こんな状況だからこそだろ。子供たち放ったらかしといて偉そうなこと抜かすなジジイ。大人だから辛いことがあっても我慢しろなんて言わねぇ。けど、この状況でお前らの雰囲気が悪いから子供の不安が加速してんだよ」

 

 大人共がそうであるように子供たちも目の前で友達や親、人が死ぬのを目の当たりにしたはずだ。安否不明の誰かが帰ってこない可能性だってある。

 不安に不安が重なった精神状態で大事な人の死を聞かされたら精神が死ぬ。

 確かにアタシたちがやってることは不謹慎かもしれない。そもそも正しいと思ってないけどな。

 事実、子供たち全員がステージ前に集まってる訳じゃない。

 だけど、少なくとも集まっている子供たちは月乃たちのおかげで不安が和らいでいるはずだ。言い換えればこれは精神への防御バフ。

 

 「ジジイ、お前は何かしたのか?」

 「なんだと!?」

 「ギャーギャー喚いてイライラしてても状況は変わらねぇんだよ。寧ろ悪化の一途だぞ。お前は何か出来ることをしてんのかって聞いてんだよ」


 何もしてない癖に口だけ達者なジジイめ。

 そっくりそのまま返してやるよ。


 「何を考えてんだ? それとも何も考えてねぇのか?」

 「貴様っ……!」


 煽られ、怒りのままに振り上げたジジイの拳を背後から止める巨体。

 

 「三村さん、そんなことをしている場合ですか」

 「緒方……!?」

 「ボンも煽り過ぎだ」

 「はいはい」


 おっさんに言われたら引き下がるしかない。


 「だけど三村さん、ボンの言い分にも一理あります。あなた方はキャンプの主催者で大人だ。預かった子供を守る責任があるはずなのに放置するのは頂けないですね」

 「う……」

 「目の前で大事な人を傷付けられたのは月乃ちゃんも同じ。その月乃ちゃんが、子供たちが子供なりに考えた行動です。間違いを正すのは大人の役割でしょうが……自分には間違いには見えません」

 「ま、正解でもねぇけどな」

 

 アタシは子供たちの不安しか考慮してない。それでも全員は惹き付けられない。

 だからこの音楽に乗れない大人と子供が居る。

 仕方がないことだ。全人類を唸らせる芸術品は存在しない。音楽で出来る範囲は限られている。

 

 「と言う訳で、大正解の出番だぜ。おっさん」

 「おう! ほのかちゃん! ばっちゃん! 入って良いぜ!」

 「はいはーい! 皆さーん! 美味しい美味しいカレーですよー!」

 「唐揚げ弁当もあるよ! たーんと食べな!」


 ワゴンを押してきた定食屋夫婦と会長。

 美味しい匂いが途端に広がり、皆んなの視線をライブステージと引き合う。

 音楽で全員の気分を持ち直すのは無理。でも三大欲求である食欲に標準を合わせればもれなく全員の空腹を満たすことが出来る。

 これ以上の正解はないだろう。

 子供も大人も好きな方を選び、笑顔で食べ進める。

 お通夜ムードの夕食にならなかったのは月乃たちのおかげかもしれない。

 月乃たちも一旦演奏を止め、ステージからアタシたちの方へ歩いてくる。

 その道中で想像通りの光景を見た。

 ……ふぅん、顔覚えたぞ。


 「月乃ちゃんも大変だったな。ほら、食え」

 「いただきます!」

 

 月乃がおっさんのカレーを食べるのを胡座で眺めていたら服を引っ張られた。

 誰かと思えば少年だ。眉毛で山を作っている。

 何か不安なことでもあるのか?


 「銀のおねえちゃん」

 「どうした? 蛇人間が怖いか? アタシが居るんだ。月乃や少年たちは絶対守るから安心しろって」

 「ちがう。おかあさんのこと」

 

 少年の母親……確か月乃がユカリさんって言ってたっけ。

 

 「あのオバケ……おかあさんをねらってた」

 「どう言うことだ?」

 

 訳が分からず、その時一緒に居た月乃を見る。けど、知らないと頭を振った。

 

 「わかんない。なんとなく」


 少年にも確証はないらしい。

 ただ、子供の直感と言うのは高確率で的中する。アタシの偏見だけど。

 夜刀神の被害が拡大してるのは知っている。けれど、思い返してみれば今回のような大規模な襲撃は初めてだ。

 大渕山の近くだったからか?

 多分、違う。ここで重要なのは少年の母親が狙われていたと言う推察。

 無差別に暴れる蛇人間が個人を狙う理由。

 ふとユカリさんの発言を思い出す。


 「梵家が救世主」

 

 祭りの時、そんなことを言っていた。

 

 「まさか……少年、苗字は?」

 「カジロ。神さまの神に代わるって書くんだ」

 

 そうか……そうだったのか。

 バスから飛び降りたと言ってもその後を確認した奴は居ない。まだ逃げ続けている可能性がある。

 

 「少年、約束する。絶対アタシが連れて帰ってくる」


 アタシは立ち上がり、体育館の外へ歩き出した。

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