第38話「なつがすみ」
陽が傾き始める時間。茜色に染まり始める境内。不思議と人が居ない。
なんか変な感じがする。この時間に誰も居ないのも変だ。お爺ちゃんが人払いか何かをしてるのかな。
並々ならないドロっとしたような……張り詰めたような空気感。
ナナウミもアヤも呼吸すらして良いのか分からないみたいな様子だ。
もしもの時は私がソヨの力になりたい。
「心優……本当に……本当にすまなかった」
ソヨのお父さんがまず頭を下げ、少し遅れてお母さんが同じように下げる。
その瞬間、隣に立つソヨから不安が消えたような気がした。
「あの日は怖いと思ってしまった。けどね、やっぱりあなたは私の娘なの。居なくなってやっと気付いた。本当に酷いことをしてしまったと思ってる。ごめんなさい」
顔を上げたソヨのお母さんが柔らかい口調でソヨに言う。
「だから、私はやり直したい。本土でまた一緒に暮らしましょう?」
おいで、と伸ばされた右手。
一度は捨てられた親から伸びる『やり直し』の掌。ソヨにはこの手が希望と映っているのか。分からない。
でも……もしそう映っていて常陸島を離れちゃったら嫌だな。
ソヨはなんて返すんだろうと思った矢先。
「はっははは!」
笑い出した。
「いきなり来たから何事かと思ったらそんなこと言いに来たのかよ!」
「心優ちゃん!? その言葉遣いはどうしたの!?」
ソヨの発言……じゃなくて口調に驚愕している。
そっか。ソヨが今の口調になったのはこっちに来てからだから本当の本当に初めて聞くんだ。この様子だと前は慎ましい感じの口調だったのかな。
全然想像出来ないけど。
「本土に帰る? 嫌だね。許せと言われて許せることでもない。怒りもある。けど、それ以上にどうしようもないことが一つある」
「どうしようもない……こと?」
「きっとアタシは父さんも母さんも心の底で信じることが出来ない。そんな状態で本土で暮らしたくない。だったらこっちで爺さんや月乃たちと一緒に暮らすに決まってんじゃん!」
「おわわ!?」
グッとソヨに抱き寄せられた。反対側ではナナウミが抱き寄せられている。
アヤは残念ながらソヨの手が足りなかったらしい。
「何言ってるの……私たち両親よりお祖父ちゃんと友達を選ぶって言うの!?」
「
「それがどうかしたの!」
何故か怒り始め、落ち着いた口調で話し始めるお爺ちゃんにも声を荒げてる。
「儂は最初、どうすれば良いのか分からなかった。笑顔なんて見せず、人を信頼出来なくなった孫とただ過ごすことしか出来なかった。心優の人間不信が何時治るのか、このまま一生引き摺ってしまうものでもあったはずなんじゃ」
実の娘が怒声を放っていてもお爺ちゃんは冷静に話を続ける。
そうだ。ソヨはおじさんとおばちゃんたちみたいな人たちを除いて誰とも仲良くなろうとしてなかった。そもそも最初は死ぬつもりだったとも言っていた。
「それがたった一年でこんな風に言える友達を持った。それだけで十分だと思わないかのう?」
「ふざけたこと言わないで! 心優は私の娘よ! 確かに一度は心が離れた。それでもまた愛している! 愛せている! 良い子に育って欲しくて色んな習い事をさせて、沢山の経験を積ませてあげた! 痛い思いだってして産んだのよ!?」
痛い思いをして……産んだ?
「ふっざけんなぁあああああああ!」
「「「月乃!?」」」
気が付いた時には叫んでいた。
「ソヨだって痛かった! それこそ死にたくなるくらい! 自分で傷付けておいて愛してるから戻ってこいなんて……なんでそんなに偉そうに言えるの!」
「あれだけの仕打ちをして普通に話して貰えてるだけ凄いと思うけど? それすら分かんないの? 何が愛なの? 梵さんが欲しいの? それとも優秀な娘が欲しいの? 許されたいの? その為の謝罪?」
「謝罪は謝罪。許すかどうかはボンちゃん次第だと思います」
私が勢いで思いをぶち撒けた後にナナウミとアヤが続いた。
それでやっと思考する時間が出来て落ち着けた。
うわ……アヤはまだ落ち着いてるけどナナウミのブチギレスイッチが完全に入っちゃってる。あれ年下相手以外は有り得ないほど怒るんだよね。ほぼ煽りだもん。
「部外者が喚かないで! これは私たち
現在の口論史上最大の声が飛び出した。
私たちに暴力さえ厭わないと思わせるような一歩を踏み出せば、ソヨも一歩だけ前に出る。
「月乃たちに手を出したら容赦しねぇぞ」
「どうしてそいつらを優先するの!?」
「お前は本当に何しに来たんだ? 謝罪だけならともかく年下にも怒鳴られて、わざわざ交通費まで払ってその愛する娘に恥を晒しに来たのか?」
「なっ……!?」
「アタシは梵心優だ。何を言っても日威家の暮らしに戻る気はない」
「そ、そんなこと……!」
「愛良……もう帰ろう。きっと僕らはそれだけのことをしてしまったんだよ」
泣き出すアイラさんをソヨのお父さんが支え、私たちの横を通り抜ける。
するとソヨは「でも」と声を掛け、両親の足を止める。
「色んなことを経験させてくれたのは楽しかったし、感謝してる。そのおかげで月乃たちを助けたりも出来てるから。ただ、試合やコンクールのプレッシャーはともかく母さんの期待を背負うのは辛かったよ。信頼だったら良かったのにって思う」
その声は暖かくて優しく聞こえた。反発する為の言葉じゃなくて寄り添う言葉。
私の知ってるソヨは勉強もピアノもギターも……大抵のことが上手く出来る。多分苦手なことが少ないタイプなんだと思う。
だから私と違って失敗しなかった。
私は失敗しても最初の頃は他のことをやらせて貰えた。
でもソヨは違う。アイラさんが期待していたのは成功だけなんだ。
失敗をしたことがない子供が成功の期待を背負い続けるのはどれほどの重さになるんだろう。
アイラさんはソヨの言葉に応じなかった。
二人分の足音だけが返事となり、やがて消える。
「ふぅ……なんかスッキリしたぜー!」
ただでさえ死に掛けたソヨの気分が晴れている。
これに喜んで良いのかどうか。そう悩んでいたらお爺ちゃんが歩み寄って来る。
「心優の友達が君たちで本当に良かったと心から思っているよ」
これは喜んで良い……よね?
お爺ちゃんに友達として褒められ、三人で照れて笑い合う。
「そうだ爺さん。なんかお守りあったりしないか? あるなら月乃と綾人に渡しといてくれよ。キャンプ行くらしくて、アタシ一緒に行けなくなったから」
「今、見繕ってみるよ」
「ありがと……ってなんだよ會澤。そんなにジッと見つめて」
「梵さんって日威って苗字だったんだね」
「それがどうかしたのか?」
「どちらにしても格好良いなって思った!」
それは——そう。
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