第31話「ざますたーぷらん」


 瞼の外から差し込む光を感じて目を開ける。天井が見える。

 座った状態から途中で上半身だけで寝っ転がっちったのか。

 膝の上に月乃は居ない。アタシより先に起きているらしい。時計を見ると時間は九時を回っている。夜更かししてた割には健康的な休日の朝。

 体を起こすとまずズシッと感じるのは腹。細かく言うと胃だ。

 

 「うぇ……」


 昨日は午前から午後までお菓子三昧で遅くなった夕食にはカロリーガン無視のステーキ。運動もしてないからこれでもかと言うほど胃がもたれている。

 

 「あ、起きた?」

 「おはー」

 「おはよう、ソヨ!」


 適当な挨拶をするとやけに元気な挨拶が返ってくる。

 月乃は台所で何やら作業をしている様子。


 「待って。流石にこの腹で朝飯はキツい」

 「分かってる。私もお腹は減ってるけど食欲は湧かないもん」


 あんだけ食っといて腹は減ってるのか。


 「食べたくなった時に直ぐ食べられるようにサンドイッチ作ってるの。ソヨも食べたくなったら自由に食べて良いよー」

 「そん時は貰う。それよかシャワー浴びたいんだけど借りていいか?」

 「良いよー! ところでソヨの持ってきた漫画はリュック?」

 「中に入ってるから勝手に読んでてくれ。それとも一緒に風呂入るか?」

 「ふへっ?! いや! 私はもう入ったし!」

 「冗談だよーだ!」


 変な声を出して動きを止める月乃を笑い飛ばしながらリビングを出る。

 全く……冗談に決まってるだろ。月乃と一緒に風呂とか絶対我慢出来なくなる。笑い飛ばしてくれるのを期待してたのにあの反応はズルい。

 顔を真っ赤にして照れるのは卑怯だ。

 

 「揶揄ったこっちが恥ずかしくなってくる……」


 折角ゆっくりシャワーを浴びようと思っていたのに、浴室で色んな意味で悶々としてしまって全然落ち着けない。

 月乃が普段使ってる風呂……馬鹿阿呆間抜け! 余計なこと考えるな!

 とは言っても、嫌でも裸の月乃が風呂に入ってる情景が頭に浮かんでくる。

 

 「……いや、辞めろアタシ!」


 悶々と気持ちを何とかする為に下半身に伸ばそうとした手を止める。

 人様の家の風呂で……それは一線を超えてんぞ!?

 はぁ……マジで最悪過ぎる。こんな気持ちを隠して隣に居るのは気色悪いんじゃないのか。これだったらちゃんと想いを伝えた方が健全なんじゃないのか。

 体はさっぱりしたのに内心は全然さっぱりしなかったシャワーを終え、リビングに戻ると月乃がソファで早速アタシの持ってきた漫画を読み進めていた。

 全部で十九冊ある内の十冊が既に積み上げられている。


 「さっぱりしたー?」

 「あぁ。それより読むの速くねーか? 図書館では遅かった気がするけど」

 「漫画だけは速いんだー」

 「同じ時間で人より多くの作品に触れられるんだ。最高の特技じゃんか」

 「ナナウミと同じこと言うじゃん。そう言って貰えると嬉しい。大体の人は損してるって言ってくるから」

 

 払った金額に対して使う時間が短過ぎると言いたいのだろう。

 言いたい気持ちは分からなくはない。でも、アタシは利点だと思う。

 その積まれたアタシの漫画の横に別の漫画が積み上がっている。

 

 「こっちが月乃のお勧めか?」

 「そう! 最高だから読んで!」


 ソファに座る月乃とは逆にフローリングへ直で胡坐をかく。

 漫画を手に取ってみると表紙には身長の高い金髪男子と小さな黒髪少女。ヒーロー物かファンタジーだと思っていたから少しだけ意外なチョイス。

 不良高校の男子とお嬢様学校の少女を主軸に友情や恋愛を描いた青春漫画。所謂ロミオとジュリエットのような関係。こっちは禁じられた恋って訳じゃないけど。

 偏見が一種のテーマになってるのにメインの登場人物に悪い人が居ないおかげで暗くなり過ぎず、物凄く読み易い。月乃が好きそうな話だ。

 一緒の空間に居るのに特に会話をするでもなくお互いが別の漫画を読んでる。

 浴室でもやもやしていた気持ちがさらさらと溶けていく。一緒に居るのに別々のことをするなんて、と言われるかも知れない。けれどアタシはそれが心地良い。

 あっと言う間に全部読み終わり、漫画を置くのと月乃が最終巻を置くのは同時だった。


 「いや、ソヨも速いじゃん!?」

 「アタシが遅いとは一言も言ってない」

 

 ミックスジュースを飲みながら驚く月乃に言い返す。

 

 「面白かったか?」

 「中々重苦しい話だったけどね……と言うか続きは? 途中で終わっちゃったんだけど」

 「ない。ずっと途中で止まってるんだそれ。当時の事情とか色々あってな」

 「そうなんだ。それにしても英雄として生まれてきた存在も大変なんだね。仲間が居ても周囲からの期待を一身に受けて……沢山の大事な人を失って」

 「最大の敵は守りたかった幼馴染だもんな」


 結末は分からないけど、あの流れでハッピーエンドに着地する未来は見えない。

 

 「関西弁のお兄ちゃんに一途に愛されるあの子はちょっと羨ましいと思った」

 「こっちの漫画もそうだけど一途な恋愛がお好みなんだな」

 「そりゃそうでしょ! 嫌だよ浮気性な人なんて! 本当に深くまで愛してくれる人が理想だよー!」


 深くまで愛せる一途な人。月乃と付き合うなら目指すべきはそこになるのか。

 正直、月乃を好きな気持ちはかなり強いと思う。学校で月乃に恋する男子連中よりは上だと言う絶対的自信がある。

 ただ、告白するにはまだ足りない。

 アタシ自身の問題がある。こんな奴が月乃の隣に居て良いのか。そんな気持ちがあった。誰のものでもないアタシの勝手なプライドだ。

 人気者な月乃の隣に悪評まみれのアタシが立っていたら迷惑が掛かる。

 だからそれをどうにかしたい。変わりたい。


 「月乃ってまだバイトは続けてるんだっけか?」

 「うん。夏休みは全然入れずに終わりそうだけど、サイトはこんな感じ」

 「あなたの悩み、承りますぅ……? なんかもう月乃だけ恋人代行サービスじゃなくて探偵事務所みたいになってるじゃんかよ」

 「なんかね。評判良くてこうなっちゃった」

 

 月乃は「えへへ」と嬉しそうに笑う。

 そうか。そうなってるなら都合が良い。

 

 「依頼内容にも依るんだろうけどさ。月乃が良ければ仕事手伝わせて欲しい」

 「昨日言ってたのが理由?」

 「かれこれ誰かの為に頑張るってことしてないからそれもある。それに前に愛宕山で巻き込めって言ったしな。アタシが居れば荒事の依頼も出来るだろ?」

 

 一秒でも長く月乃の傍に居たいって言う下心が一番の理由かも知れない。

 それと月乃の見ている景色を見てみたい。月乃が作る誰かの笑顔を見てみたいと思った。

 

 「良いの? 私と一緒にヒーローやってくれるの?」

 「それが月乃にとってのヒーローならやるよ。頑張ってハッピーに染め上げてやろうじゃんか」

 「やったー……あ」

 「どうした?」


 両手を上げて喜んだと思ったらデクレッシェンドのように声が萎んでいく月乃。

 おい、なんだなんだ?


 「なんかソヨが来てから楽しいことばっかり。音楽祭を成功させたり、バイクの免許取ったり、お祭り行ったり、ずっと楽しい」

 「それで何でテンション下がってんだよ」

 「幸せだよ。幸せだけど幸せが続くと怖いって思っちゃう。これから大きな不幸があるんじゃないかって。私に降り掛かるならまだ良いの。でも私の手伝いをすることでソヨが嫌な気持ちになったらどうしようって——」

 

 アタシは立ち、全部言い切る前にソファの上に座る月乃をそっと抱き締める。

 夜刀神のこともある。これからのことに不安になるのは分かるけどいきなり爆発するとは思わなんだ。お勧めする漫画のチョイスミスったな。もっと明るい話にしておけば良かった。

 手伝いで嫌な思いか……仕事柄、上手く行かない時もあるんだろうな。


 「アタシの心配なら要らねぇよ。死にたくなったあの日よりも辛い出来事なんかもう起きやしない」


 だって月乃が居るんだから。それだけで生きる理由になる。

 未来のことなんか分からないんだから悩むな、なんて言えない。それはアタシの考えだから。

 アタシは月乃が感じた悩みを簡単に否定したくない。


 「明日が悪い日になるのなら明後日を良い日にすりゃ良いさ。月乃たちが居たらきっと簡単! 不幸なんか全部殴り飛ばしてやるよ!」

 「……ありがとう。もうちょっとこのままで居ても良い?」

 「体勢キツいからそれなりで頼みたい」


 月乃はソファに座ったまま上半身を立っているアタシに預けている。

 身長差のおかげでなんとかなっているけど、位置関係的にアタシの体勢が厳しい。

 それからしばらくその体勢のまま無言で過ごした後、アタシは月乃の隣に座ってサンドイッチを齧る。

 月乃は少量の涙を人差し指で拭いながら笑った。


 「ごめんね。なんか不安になっちゃった」

 「不安な時は吐き出せるのなら吐き出した方が良い。一人で抱えてぶっ壊れるくらいなら尚更だよ」

 「そうはならないけど折角ソヨが遊びに来てくれた夏休み最後の日なのになって」

 「じゃあ今から楽しいことをしよう!」

 「何する!」

 「特撮見ようぜ! ご唱和するやつ見てみたい!」

 「それ私も気になってたやつ! 見よう見よう!」


 朝から色々あったけど、結局夏休み最終日も特撮鑑賞会で幕を閉じた。

 馬鹿みたいにご唱和した。

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