第15話「ろっくんろーるいずのっとでっど」


 日が暮れた山中の東屋。屋根に落ちる雨音だけが鳴り響いている。

 

 「「……」」


 無言のまま背もたれのない椅子に並んで座る。

 蛇人間の時は普通に喋れていたのにいざ腹を割って話そうと思うと口が回らない。

 自分の嫌な過去を話すのがこんなに話しづらいのは変に同情されるのが嫌なのか。

 それとも口に出したくないほどその事実を嫌っているのか。

 そもそもなんで月乃もずっと黙ってんだよ。この馬鹿みたいな空気をどうにかするのは月乃の得意分野じゃないのか……どうにかしてくれ。

 切り出してくれれば話せる自信がある。

 けど、アタシが話そうと思って探しに来たのに月乃頼りでどうするのだろう。

 

 「なぁ、月乃……」

 「うん?」


 首を回して月乃と顔を合わせる。声が出ない。

 アタシの言葉を待ってくれる月乃の表情は柔らかい。過去を話すことでこの表情が変わってしまうのが怖かった。

 まだ短い付き合いだけど、月乃がそうじゃないのは分かっている。

 分かっている……分かってるのに。

 両親や友達だった奴らのあの顔が浮かぶ。

 

 ——小さなきっかけで人は変わる。


 会長に言われた言葉。確かにその通りだが、これは悪い意味でも同じだ。

 アタシは人に嫌われるのが怖い。だからずっと遠ざけてきた。

 中途半端に口を開けたまま逡巡していると月乃がニコッと笑う。


 「ね、私と反対側向いてみて」

 

 そう言った月乃が体を横に向け、椅子の部分に足を乗っけた。

 アタシもそれに倣って横を向き、足を椅子に乗っけてみる。

 何の意味があるんだと思った矢先、背中に月乃がもたれ掛かってきた。

 

 「顔を見て話すのって難しいよね。ナナウミが泣いてる時はよくやってたなぁ。良いでしょ? これなら何処でも背もたれ付きの椅子になる。私は信頼の椅子って勝手に呼んでるんだー」


 信頼の椅子……か。そう呼んでるのはこれをやる相手が勝手に立ち上がったりすればひっくり返ってしまうからだろう。

 確かに顔を見てなくても相手を近くに感じられる。

 月乃の背中の感触が妙に心地良くて、するりと口が回ってくれる。

 

 「ごめん……あの時はあんな怒り方しちまって。リュックの中開けてみてくれ」

 「リュック? えっ? これってあそこのショートケーキ!?」

 「誰かと仲直りしたいって思うのも初めてで……これくらいしか思い付かなかった。嫌だったか?」

 「ううん全然全然! すっごく嬉しい! 食べて良い?」

 「話したいことがあるんだ。それ食べながら聞いてくれないか?」


 背中越しに月乃のテンションが上がっているのが分かる。

 

 「あっ」

 「どうした?」

 「中身結構ぐっちゃぐちゃになっちゃってる」


 しまった。蛇人間を蹴り飛ばした時はリュックを背負っていた。

 一刻も早く助けなきゃと言う気持ちの所為でリュックの中にあるケーキのことをすっかり忘れていた。

 

 「悪い! やっぱケーキなしで! 後でまた買ってくる!」

 「大丈夫! だって私このケーキが美味しいこと知ってるから。美味しい! 味はやっぱり変わらないね」

 

 月乃の顔は見えない。なのに笑顔が容易に想像出来る。

 後ろで「んー!」と満足そうな声を聞いていたらすんなりと言葉を紡げた。


 「アタシさ、実は元々特異体質じゃなかったんだ」

 「……!」

 「本土で生まれて育って……色んなことをやらせて貰った」


 勉強は勿論、ピアノやスポーツ。演劇や映画を見たり、本や漫画も欲しいと言ったものは大体買い与えて貰った。


 「親も学校の友達とも仲良くてずっと楽しかった。でも中学二年の時、特異体質で身体能力が異常に飛躍して髪の毛が白くなった。本当に突然だった」


 理由は今でも分かっていない。


 「そんで、ある時から周りの目が変わった。アタシを化け物みたいな目で見るんだよあいつら。親も気味悪がって……中学卒業と同時に爺さんが居るこっちに引っ越してきた」

 「その……捨てられたってこと?」

 「そうなる。ま、アタシも居心地最悪だったし、利害の一致ってやつだよ。今の苗字は爺さんので、特異体質と名前が嫌いなのはそう言うこと」

 「……そっか。そうだったんだ」


 月乃の肩が落ち、背中が丸まった。膝を抱えたようだ。


 「私こそごめん……それなのになんて言っちゃって」

 「良いんだ。力自体に憧れるのは別に」


 あの時はついカッとなってしまっただけだ。

 、と言われていたらもっと怒っていたかもしれない。


 「……ソヨは凄いね」

 「何が?」

 「そんなの体験したら絶望すると思う。一人ぼっちで……死にたくなる気がする」

 「なったよ。死のうと思った」

 「そうなの!?」

 「でも……あの日、ロックがアタシを救ってくれた」


 誰に何度縋り付いても変わらないあの目と反応に心が折れた時のことだ。

 家に帰る気力も起きず、どっかで死んでしまおうと思って街を適当に歩いていた。

 

 「本当に偶然だったんだ。突然アタシに声掛けていた人が居てさ。急用で行けなくなったから代わりにライブ行ってくれってチケット渡された」

 「そんな人が?」

 「本当に謎。チケットが無駄になるのが嫌だったんだと」


 あの時のアタシは酷く暗い顔をしてただろうし、思い返すとそれもあって声を掛けてくれたのかもしれない。そんなお人好しの存在は当時じゃ信じられなかったけど今は背中に似たようなのが居る。

 

 「それがkoMpasのライブ。衝撃的で最高に楽しかった。あのメンタルのアタシが楽しめたんだから凄かったんだと思う」

 「それがロック好きになったきっかけなんだ」

 「トンボマスター、レッドハーツ、LFB、ウミショー……ロックって不思議で、肯定してくれるんじゃなく否定しないでいてくれる気がしてさ」

 「うん」

 「だからアタシはもっとこの人たちの歌を聞きたいって。そう思ったら自殺願望なんかどっか行ってた」

 「そっかぁ……ソヨにとって特別は良いものじゃなかったんだ。私と真逆だ」


 乾いた笑い声と共にアタシの背中に月乃の体重がまた掛けられる。


 「真逆?」

 「私ね、お父さんが元プロ野球選手でお母さんが元アイドルなんだ」

 「は……?」


 驚きのあまり体を捻りそうになった。

 危ない危ない。この状態で体勢を大幅に変えたら月乃がひっくり返る。

 両親が超有名人だとしたら何故学校で誰もその話をしてないんだ?

 アタシはこれまで月乃がとことんお人好しである話以外耳にしたことがない。


 「影山はお母さんの苗字で現役時代は芸名だったから知ってる人はそんなに居ない。少なくとも常陸島に引っ越してきてからずっと隠し通してる」

 「なんでそこまでするんだ?」

 「私たちを『プロ野球選手の子供』『アイドルの子供』として扱わせない為だって言ってた。私には良く分かんないけど」


 月乃の両親は本人とは関係ない要素から色眼鏡で見られるのを嫌ったんだと思う。

 アイドルの娘だから、野球選手の娘だから、と言っても月乃は月乃だ。野球が上手いとは限らないし、アイドルのようなパフォーマンスが出来るとも限らない。

 愛嬌は間違いなくアイドルレベルだと思うけど。


 「お父さんもお母さんも私に色々やらせてくれたんだ。でも伸び悩むと直ぐ辞めさせられて……弟の太陽が卓球の才能開花させてからはめっきり構って貰えなくなっちゃったんだよね」

 「それって……」

 「うん。私はお父さんの運動神経を良い感じに受け継いだだけで特化したものは特になかったんだー。アイドル養成所も人間関係が嫌で続かなかったし」


 めっきり構って貰えなくなった。

 そうは言っても特に生活に困るような扱いをされてるようには見えない。この様子だと本当に必要最低限のことしかやって貰えなくなったのだろうか。

 特別な境遇の両親から生まれた月乃に突出する特別はなかった。

 その影響でネグレクトまでは行かずとも近しい扱いをされているのが分かる物言いだ。前に家に帰るのを渋っていたことと會澤の「絶対家には居ない」と言う言葉に納得する。

 なら……月乃がこうも特別に憧れる理由は。


 「だから私は特別が好き。小説の主人公に憧れて、人助けを始めたけど結局それをお父さんたちが見てくれることもなくて……」

 

 特別になってしまったが故に親に見放されたアタシ。

 特別がなかった故に親に見放された月乃。

 普通に憧れるアタシと特別に憧れる月乃。

 本当に真逆。

 なのに同じ境遇だ。そりゃkoMpasの曲を好きなるわな。


 「今回もソヨが来てくれなかったら……やっぱり私に特別なんか無くてヒーローにもなれないのかなぁ……」


 月乃らしくない弱々しい声。雨音にだって負けそうだ。

 

 「そんなことねぇさ」


 アタシは咥えた煙草にも火を付ける。


 「きっとあの時の少年も今さっき麓まで逃げられた人たちもそう——少なくともアタシにとって月乃はヒーローだよ」

 「え?」

 「好きが反転するのが怖くて、愛想も悪くして煙草も吸い始めて、そんなアタシを引っ張り出したのは月乃だろ。最近楽しいんだ。會澤や綾人、会長と話したり出来るのが。全部、月乃のおかげだ」


 月乃と一緒に居る時は不良の梵心優じゃなく、ただの梵心優で居られた。

 最近は會澤たちと一緒に居る時も同様に居心地が良い。


 「でも、アタシはまだ分からない。人を信頼するってどう言うことなのか」


 誰かの好きを受け入れるのは怖い。また裏切られてしまうかもしれないから。

 けれどアタシは月乃を信じたい。會澤を信じたい。綾人を信じたい。新井を信じたい。なのにその方法が、考え方が分からないんだ。

 すると月乃は「これはあくまで私のパターンなんだけど」と前置きをする。


 「私が信頼してる人は裏切られても良いと思える人」

 「ん……? それって矛盾してないか?」

 「厳密に言うと裏切られた時、その原因が私にあるんだと思える人たち。そう思うようにしてる。そうした方が信頼してた大好きな人たちを嫌いにならないから」


 月乃のその考え方はもしかすると両親との関係から生まれたものだろうか。

 決して両親は悪くなく、特別を持ってない自分が悪いと思うことで憎しみを抱かないようにしたのかも。でも良いな、その思考。

 

 「じゃあ、アタシも月乃たちに裏切られても良いように腹を括るとするかな」

 「括らなくて良いよ。私はずっと裏切らない」

 「月乃?」


 椅子に突いていた左手に月乃の右手が重なった。

 雨でひんやりとした空気の中で月乃の熱を感じる。


 「お父さんとお母さんがね、大会とコンクール前に必ずやってくれたの。土俵の立つのは一人でも私は一人じゃないんだぞって。ソヨも、もう一人じゃないよ」

 「……世界を救うヒーローは絵空事の特権なんだよ」

 「うん?」

 「世界の命運を預かるのは高校生には荷が重い。でも誰かは誰かのヒーローになれる。アタシにとっての月乃みたいに」

 「私にとってのソヨみたいに?」

 「あぁ、そうだ。だから誰かを助けたいと思うのなら、月乃がそうしたいのならすれば良い。ただし、一人でやろうとするな。荒事になるならアタシを呼べ」

 

 月乃は戦う力もない癖に妖怪の相手をしようとする。

 逃走してヘイトを稼ぐだけで立ち向かおうとしないだけマシだが、今までのように無事で済む確率は低い。

 

 「アタシは月乃みたいに誰彼構わず手は差し伸べられない」


 目の前で嫌いな奴が助けを求めてきても無視すると思う。


 「でも友達を守る為なら何処までだって伸ばせる。月乃が危険な場所に飛び込むならその危険の火の粉をアタシが全部ぶっ飛ばしてやる」

 「良いの? 危険なことに巻き込むことになるんだよ?」

 「ああ、だってアタシはこの島で最強だ。負けやしねぇ」

 「良いの? 特異体質が嫌いなんでしょ?」

 「ああ、でも折角なら有効活用してやろうと思ってさ。この力を持ってて良かったと言えるようになるかもな」

 

 アタシは左手で月乃の右手を優しく握り返す。


 「會澤や綾人を巻き込みたくないのは分かる。だからアタシを巻き込め。月乃だってもう一人じゃない。アタシが居る。アタシを信じてくれ。小説のヒーローに頼れる仲間は付き物だろ?」

 「うん……信じる。ありがとう、ソヨ」

 「こちらこそ。ありがとな、月乃。こんなアタシを信じてくれて」


 散々言いたいことを言ってから妙に恥ずかしくて顔が熱くなる。

 繋いだ手を通じてアタシの体温の上昇が伝わってないか?

 けれど、月乃の手の温度がアタシより低くは感じない。思っている以上に体温は上がってないらしい。

 こんなにも近くに感じているのに月乃の表情が見えない。

 それが逆にありがたい。

 今度何かあった時はちゃんと目を見て話せれば良いな。

 そうしてアタシが煙草を吸い終え、月乃がケーキを食べ終えるのと雨が止むのはほぼ同時だった。

 愛宕山からの帰り道、タンデムするバイクのアクセルは軽かった。

 何百キロでも出せそうだと思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る