第3話「ぐるぐるゆにばーす」


 小学生の頃の夢を見た。

 目が覚め、もう見飽きたいつもの天井に大きな舌打ちをする。

 あの頃の夢なんか見たことないのに。

 夢の中のアタシはまだ黒髪で楽しそうに笑っていた。両親と一緒に食卓を囲んだり、学校の友達と遊んだり……夢と言うよりフラッシュバックに近い。

 普通は生まれ付きの特徴である特異体質。それが中学の時に発現した所為で両親や友達から気味悪がられた今じゃ有り得ない光景だった。

 そもそも常陸島に引っ越した時点であの頃の知り合いと会うことすらない。

 ベッドから体を起こし、顔の前に落ちてくる髪の毛を掻き上げる。


 「はぁ……最悪の寝覚めだ」


 こんな夢を見るのはきっとあいつの所為だ。

 影山月乃。金髪で派手な見た目とは裏腹に誰とでもコミュニケーションが取れて優しいと噂が広がっている。アタシと真逆の有名人。

 身支度をしながら影山との出会いを思い返す。

 絡んできたおっさんを蹴り飛ばしたのが結果的に助けたことになったらしく、わざわざ屋上まで来やがった。

 お人好しのヒーローみたいだと聞いてたが、困ってなさそうだから煙草も屋上侵入もチクらないと言う良く分からない物差しの持ち主。誰とも仲良くなる気がなく、そうならないように振る舞ってきたアタシに真正面から突っ走ってきた。

 洗面所の鏡に黒さを微塵も感じさせない白銀の髪が映る。

 

 『それでも私には漫画の王子様みたいに見えたよ。綺麗なその髪も含めてすごーく格好良いなって』


 本土でもずっと忌避され怖がられてきた髪を初めて褒められた。

 仲良くなりたい——影山の言葉が頭の中で反響する。

 駄目だ。期待なんてするな。アタシが周りにどんな印象で映っているかは分かってる。どうせ裏切られるのなら最初から関わりを持たない方が良い。

 アホ臭い気の迷いを振り払い、階段を降りる。


 「おはよう。良い夜になったかい?」

 

 居間で朝食の支度をしていた爺さんが嗄れた声で言った。


 「起きるまでは。寝覚めは最悪だ」

 「そうかそうか。ところで朝は食べてくかい?」

 「お茶だけ貰う」

 「はいはい」


 慣れた手付きで淹れられたお茶を啜りながら外を見る。

 縁側に通じる引き戸のガラスは沢山の雨粒に覆われ、その向こう側で灰色まではいかないが、薄暗い空模様が広がっている。

 実に良い天気だ。学校に行く日であれば雨は嫌いじゃない。バイクに乗れないのだけが難点だけど。

 

 「そろそろ行くか」

 「最近は物の怪の話を良く聞く。気を付けるんだぞ?」

 「厭味か爺さん。特異体質のアタシが妖怪如きに負けるはずないだろ」

 「そうじゃな……行ってらっしゃい」

 「ん」


 お茶を飲み干したアタシは爺さんに適当な返事をしてから家を出た。真っ黒な傘を差し、微塵も度が合ってない眼鏡を掛けて境内を抜けて学校までの道を歩く。

 常陸島に引っ越してからもう一年が経った。

 両親に捨てられて一年。アタシの毎日はずっと同じだ。他人への信頼が良く分からなくなり、他者——特に同級生との関わりを絶っている。

 口調を荒くし、煙草を吸い始め、愛想も悪くした。この銀髪も田舎の島では絡まれる元凶で片っ端から輩を殴り倒していればどんどん悪い噂は広がり、興味本位で近付いてくる奴は居なくなった。

 眼鏡も他人の表情を見ない為の物。雨の日の外なら傘で遮れる。

 傘の中のアタシだけの世界。大好きなバンドの曲を流しながら歩いていると、ボヤける視界の端に気になる物が映った。

 立ち止まり、眼鏡を外して高架下を見つめる。


 「……チッ」


 朝よりも大きい舌打ちが出た。

 今はどうにも出来ないから取り敢えず学校へ向かう。腹立たしいことだが、今日の予定が出来たと考えれば良い。

 ……そう言えば影山は本当にチクってないんだろうか。

 そんなことを考えて首を横に振る。


 「馬鹿かアタシは」


 チクられてないことを期待するなんて。どうせ怒られたら自業自得だ。

 しかし、その日の学校は特に何もなく終わった。

 本当に影山はアタシのことを言わなかったらしい。



 その日の放課後。カウンター席の一番端っこで大きく息を吐く。

 この『ぶんぶんカレー』と言う店は一階がバイク屋になっていて、どちらも同じ一人の店長が経営している。アタシの憩いの場であり作業場。

 

 「ずぶ濡れで来やがって。言ってくれりゃあトラック出したぞ?」


 カウンターの向こうから店長のおっちゃんが顔を出す。

 そのおっちゃんは緒方織オガタシキ。身長も高ければ図体もデカく、ふっくらとした顔には渋さがある。昔はかなりの男前だったんだろう。

 爺さん以外で信頼出来る唯一の存在で、さっきまで高架下で拾ってきた不動バイクを直す為に二人でエンジンやらをバラバラにしていた。

 おかげでアタシの運動着と作業着は油まみれだ。


 「大した距離じゃなかったからだよ。それにどうせ作業着に着替えるなら制服は濡れても良いやって思っただけ」

 「風邪引いちまうぞ」

 「不良は風邪を引かないもんなんだ。知らなかったのか?」


 煙草に火を付けながらそう言えば、おっちゃんは「やれやれ」と呆れる。

 やれやれとはなんだ。誰もが挙って悪い天気と評する雨。それを良い天気と言っているアタシを雨が風邪にするはずがない。寧ろ健康になっても良いはずだ。

 ……なるはずないけど。


 「不良ねぇ……まだ友達居ないのか?」

 

 カレーの準備をするおっちゃんがぶっきらぼうに言う。

 これで何度目だろう。最初はそうでもなかったのに最近になってやけに友達を勧めてくるようになった。


 「居る訳ないだろ。誰も近寄らないように行動してきたんだから」

 「でも欲しくない訳じゃないだろ? おじさん、そろそろボンがここに友達連れてきて楽しそうにしてる姿見たいなー?」

 「なんだよ。別に一人だって良いじゃんかよ」

 「確かに、一人だからこそ良いことは沢山ある。だがな、誰かと一緒に喜んだり悲しんだりするのはまた違った良さがあるんだぞ?」

 「そんなこと……」


 分かってる。アタシだって特異体質が発現するまでは友達と仲良くやってた。

 だからこそ友達の好きが反転するのが嫌だ。アタシの体質が不気味だとか怖いとか……それなら最初から嫌われていた方が何を言われても気楽だ。

 楽と楽しいは別物でも、辛いよりはマシだと思える。

 おっちゃんはアタシの好きなピリ辛のカレールーを炊き立てのご飯の上に。更にその上にハンバーグを乗せる。

 

 「特異体質なんか気にしないような奴、一人くらいは居ないのか?」

 「そんな物好き居るはず——」


 一瞬、影山が思い浮かんだ。

 カレーとジンジャーエールをアタシの前に置くおっちゃん。ガタイからは想像出来ないくらい丁寧だ。


 「もしも居るならそれをきっかけにしてみるのも良いんじゃないか? もう一年が経った。過去にイラつき続けるのはボンのセオリーに反するだろう?」

 「だからと言ってそう簡単に出来るもんじゃないだろ」

 

 そう言ってルーが沢山乗った白米を口に運ぶ。旨味も感じる丁度良い辛さだ。

 口の中に残る濃い味を白紙にしようとジンジャーエールを手にするとドアベルがカランコロンと来客を告げる。


 「お、いらっしゃい!」


 客が来たんじゃおっちゃんとベラベラ喋っていられない。

 食事に集中しよう。そう思ったのに。


 「あれっ!?」

 「ん? は!?」


 入り口から聞こえてきた声に顔を向ける。

 そこに居たのは派手な金髪で片っぽを耳に掛けた影山だった。席はガラガラなのにわざわざ端っこに座るアタシの隣に腰掛ける。


 「凄い偶然だねー! もう運命じゃない? なんちゃって! えへへ」

 「……」


 学校で絡んでこないと思ったらまさかここで会うとは……最悪だよ。

 おっちゃんが嬉しそうな顔で水を影山に出す。


 「なんだ嬢ちゃん。ボンの友達か?」

 「今、なろうとしてる最中です! あ、チーズカレー下さい!」

 「はいよ! ちょっと待ってな!」


 爆速で注文を終えた影山は無言でカレーを食べるアタシをガン見してくる。

 落ち着いて食べられやしない。


 「なんだよ」

 「制服以外の服装見ることないから良いなって思ってさ。Tシャツで作業着は腰の部分で袖を縛ってるんだね。もしかして乗るだけじゃなくて修理も出来るの?」

 「そうなんだよ。ボンはすげぇぞ? そんじょそこらの整備士より腕がある。そんで、はいおまちどお! サービスでチーズ増し増しだ!」

 「すっごい美味しそう! 頂きまーす!」


 客が二人しか居ないのに一気に騒がしくなった。

 隣で影山もカレーを口に運ぶ。口に入れた瞬間、綻んだ表情を浮かべた。本当に美味しそうに食べている。

 そう言えばこうして同年代の楽しそうにしている様子を見るのは久しぶりだ。

 学校では眼鏡を掛けていて分からない他人の細かい表情の変化に目を奪われる。


 「とっても美味しいです! 来て良かったぁー!」

 「面白い嬢ちゃんだ。名前は?」

 「影山月乃です!」

 「月乃ちゃん、頼むのも変な話なんだが、良ければボンの友達になってくれないか?」

 「は? 突然何言ってんだ!? アタシは……」


 友達なんて要らない。そう言いたかったのに声が出なかった。

 

 「……アタシは分からないんだよ。価値観も違って何も分からない奴と仲良くなんか出来ねぇだろ」

 「そうかな? 特異体質で綺麗な髪、バイクに乗ってたり私の知らないものを一杯持ってる心優だから分かりたいと思うよ? 仲良くなりたいって!」

  

 影山は屈託のない笑顔で悪意のない感情を真っ直ぐに伝えてくる。

 アタシからすればこの銀髪は特異体質の象徴だ。これまで抱えていた多くの『好き』を打ち消し、これからの『好き』も遠ざけてきた忌むべきもの。

 けど、影山は特異体質をひっくるめて銀髪を綺麗だと言った。

 そうやって言われるのは初めてで。


 『気持ち悪い』『怖い』『あなた……本当に私たちの子どもなの?』


 恐怖し、濁った目を向けてくる母親たちの苦い記憶。

 あの時、発火した特異体質に向けた怒りの炎は今も尚燻り続けている。

 過去に苛立ってばかりいるな……か。

 影山の眩しい笑顔と透き通った目が見るアタシはどんな風に映っているんだろうか。それともまだあやふやなのかもしれない。

 

 「きっかけ、か」

 「心優、友達になろ?」


 屋上で会った時から影山の笑顔は不思議だ。見たいと思ってしまう。

 ここでアタシが良い返事をしたらどんな笑顔を見せてくれるのだろう。なんて訳の分からない期待が浮かぶ。

 影山には少しくらい期待しても良いのかもな。


 「分かったよ」

 「やったぁー! これで心優と友達だね!」


 常陸島に引っ越してきてから一年。初めての友達が出来た。

 わざわざ宣言され、それを了承する流れで友達になったのも初めてだ。したこともされたこともないけど愛の告白みたいで顔が熱くなる。

 アタシはそれを誤魔化す為にカレーを掻き込んだ。

 きっと顔が熱いのはカレーの所為だ。

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