書き換えられた【記録】
◇◇◇
ところで。
その男には、このあたりが限界だった。
「——っく、くっ、くふ、くふ、ぶふふっ…………ぶははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっっっっ!」
公共の場での、公衆の面前での、腹を抱えた大笑い。怪訝な目で見られようと、今後の評価に響こうと、一切がまるで構わぬという態度をあからさまに、ザンドラシヤは愉快へ浸る。
「ありがとう、レイチェル・メノ・ミッセ! 君の態度が僕に確信と娯楽をくれる! “改稿”に瑕疵はなく……あれほど彼を慕った君でさえ、自分の滑稽さに自覚もできないと! ははっ、はははははっ、げほ、げほっ、ごほごほごほっ! がほっ!」
笑い高じて咽せ返る。
身体を折り、背中が断続的に揺れ……テーブルに、指の隙間から飛んだ赤い雫が散り——。
「失礼します。いかがなさいましたか、お客様。こちらをどうぞ」
やってきたカフェ店員が、水を置く……のと合わせて、素早く無駄なくテーブルを拭き、今しがた露呈しかけた事実の痕跡を消し去る。
気の行き届いた素早いサービスに、ザンドラシヤは満足げに笑む。
「ありがとう、店員さん。そのホスピタリティ気に入った、うちの秘書になんない?」
「申し訳ありません。そちら、既になっておりますので」
その店員……変装して身辺を警護していた融和長官秘書はすげなく言う。そんな反応も楽しんでザンドラシヤは「その格好、似合ってるよ」と軽口を飛ばし、秘書は会釈を返す。
「お戯れはお済みですか?」
「まさか。今もまだ継続中だよ、あの日……【第八十八回 竜殻の神秘展】以来ね」
「……正直に申し上げまして、私にも実感はございません。一月前に、この世界の記録が捏造されたなど。長官のお言葉でなければ、信じられなかった」
あの日、何が起こったのかを知るのは、世界中でただ一人……リレイツ・ウルオ・ザンドラシヤのみだ。
行われたのは、兼ねてよりザンドラシヤが研究していた、超エネルギー含有物質である竜殻破片を用いての【大魔法】……羽衣の理論を解析・応用した、この世界そのものの記録へのアクセスと、情報転写。
これまで
「我らが仕立て上げた、都市伝説【
「結構。それが、記録を書き換えるということだからね」
現在とは、過去の上に建つ楼閣である。
翻って。
現在とは常に、過去と接続され、過去に従う。
世界のカタチは改稿された過去へ倣い、そして、矯正力の作用を受ける。
あの舞台上で……大魔法により至った【白紙の空間】で、ザンドラシヤはこのようにディレクションした。
【円柱頭は、融和より弾かれし異物である】。
「改稿後の現在に於いて、彼の
これもまた、【大魔法】の偉大さだ。
使用者の望みに合わせ、改稿は細かい辻褄を自動的に合わせる。やっていなかったことも、やっていたことになる。故に、ザンドラシヤはこう認識している。
“殺した相手の身体を奪いその記憶で本人に成りすます冒涜的都市伝説、【頭奪い】”
“実験体を使ってそうしたものが存在するかのような工作を行い、兼ねてより邪魔だった警備局員レイチェル・メノ・ミッセをまんまと嵌めた”
“彼女がなぜか執着していた、入れ替える前の存在……鉄箱の中の円柱頭には、輸送中の事故で逃げられ、一年間、身を潜められてしまっていた”
以上が、改稿後に於けるホロハニエの事実である。
「……しかし、わからないなあ」
それが【大魔法】の不備か、世界からの過去改稿矯正力すらも受け付けなかった円柱頭の特質によるものか……ここまでの工作を行った記憶が追加されながら、ザンドラシヤには今もってわかっていない未知がある。
「結局、あの円柱頭の正体は、何なのだろうね?」
古い鉄箱に封印された、謎の人物……改稿の副産物で流し込まれた情報は、そこまでだ。
改稿後の一ヶ月、それとなく調べてはみたものの、判明しなかった。
自分の部下として心を許しているレイチェルも……彼女の後援たる【創立の母】に連なる組織を探ってみても、答えに至れない。
結局。
円柱は未だその中に、秘密を隠し続けている……。
「……ははは。まるで、こちらまで都市伝説を追ってるみたいだ」
即ち。
どうでもいいことだ。
無聊の慰め、暇つぶし以上でも以下でもない。
「まあいいか。どうせ、結局……何の記録も残らない」
一ヶ月前、竜殻の神秘展で使用された【大魔法】は、最終調整に入った。
改稿が及ばない円柱頭を取り除けば、ようやく本当の目的を実行できる。
希望も抜け道もあり得ない。新しきホロハニエでは、円柱頭は万民から「頼むから死ね」と恐怖される怪物で、お得意の説得も交流も完全に断ち切られた。その上、死神には確かな腕と熱意を持つ執行者を送り出し、今度こそ逃げられぬよう状況も舞台も装備も整えた。
———渡された計画書の実行は三日後。
シャフト・エーギリーは殺される。
レイチェル・メノ・ミッセに殺される。
男は、記録ある故に。
女は、記録なき故に。
これは、不可避の事項である。
残酷で皮肉の絵図を描いた張本人、ザンドラシヤはただ微笑む。そこに悼みはあらず、むしろ、前途を喜ぶ嬉しさだけが満ちていた。
「今度こそ共に、手を取り合って真の融和を進めよう、銀鉄の末。感謝してくれていいよ、何しろこれは、君が敬愛してやまない祖母レキーナを、真の幸福へと導く計画なのだから——さて。仕込みも済んだし帰ろうか。そちらもお疲れ様、着替えておいで。あ、そうだ。せっかくだし何か頼む? 今やってるクラウンキングスコラボメニュー、絶品らしいし」
「いえ、私は——」
「いいじゃん、ちょっとぐらいさ。ほら、私、味覚がなくなっちゃったんだけど、その分今は人が美味しそうに食べるのを見てるのが楽しくって。それに……大魔法が成立したらもう、君との関係も、全部なかったことだろ? 頂戴よ、最後のヒマつぶし!」
「……畏まりました。では、御要望にお答えします」
「やった。さっすが私の敏腕秘書、気が効くトコロも、何を変えても変わらないねえ!」
晴天の空。平和な街。並べて事なき、ホロハニエ。
その裏で蠢く陰謀の代表、リレイツ・ウルオ・ザンドラシヤは、晴れやかに笑う。
「一緒に見納めよう。この、三日後には世界中の記録から消える街をね」
そう呟いた彼は、少しだけ、昔のこと……自身の【原点】について、思い出した。
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