【白紙】の領域


          ◇◇◇


「……え?」と、シャフト・エーギリーは息を呑んだ。


 白い。

 何もかもが、ただ白い。


 地平もなければ空もない。なにひとつ区別のない白の中にいる。

 彼が連想したのは三つ。

 一つは、なにものも描かれていない、まっさらなカンバス。なにものも書くことができる、白紙の原稿用紙。


 そして。

 頭を失っていた自分が浮かんでいた、黒の虚空——まるであれの正反対のようだ、とシャフトは思った。


「……マジか?」


 声は背後から聞こえ、シャフトは兵士の速度で振り返った。

 白い世界の中に、金色の点が穿たれている。

 ザンドラシヤが、あんぐりと大口を開けていた。 


「なんで、君がここにいるかなあ。【編纂】の領域に存在するのは、竜殻残骸を用いた私だけのはずなんだが」

「……なに?」

「ふむ——記録に関する魔法故か、精神への干渉を防ぐ金庫が如き円柱が為か。君はどうやら【観測者】であるらしい。だから組み替えからも取り残された……かな? 竜殻魔法学は専門ではないから、推測としてはこれくらいだが……ははは、度し難いなあ。君、自分がどれだけ悲惨なのか、わかってないだろ?」


 その通り。わかっていない。今、ザンドラシヤが何を言っているかなど。

 だが、何を問うべきかは、シャフトには痛いほどわかる。


「皆に何をした」

「ああ、焦ることはないさ。今はただ読み込み……世界の準備が終わるまで、控室で待たされているのと同じ状態だよ。その前に、そうだね。世間話でも済ませておこう」


 落ち着いた様子で、場違いなことをザンドラシヤが語る。


「先のステージ、披露した魔法、実に見事な策略だった。まるで、そう——あの歴史の偉人、【栄光の王冠】部隊長レキーナを彷彿とさせられたよ」

「…………」

「まさかこの一年、負けた振りをしながら逆転の材料を蓄えていたとは。追い詰めるつもりが追い詰められてしまった。いやはや、少々娯楽にのめり込み過ぎたな」

「——娯楽。娯楽だと?」

「うん。そう。娯楽。それ以外に無いだろう? あれ、もしかして……何か誤解させてしまっていたかな? 私が神秘展に君たちをオファーしたのも、竜殻奇譚を一網打尽にするための罠だとか? それを逆手にとって逆襲するために、決意とかしてしまってた? だとしたら、申し訳ない!」


 遊びだよ、と。

 余興なのさ、と。

 ザンドラシヤは、軽薄に言い放った。


「君たちを弄んでやりたい。誤解を重ねて検討外れな行動に出るのを面白がりたい。あんなステージでチャンスを与えたのはそのためさ。本当に全部ただのそれだけ。誓って、罠なんてまったく仕掛けていなかったよ。だって、君たちが何をしようと、全部は無意味になるんだから。それを近くで楽しんで、記録をなかったことにするだけのはずだったんだから。……でも」


 ————パン。

 白い世界で、場違いな赤が散った。

 ザンドラシヤが抜き放った銃から、シャフトの胸に向かって弾丸が放たれた。


「君だけはきちんと殺さねばならないようだね。喪失頭ロストヘッド

「……ザンドラシヤ」


 シャフトは、無事に喋る。

 ザンドラシヤの、嘘偽りない殺意を乗せた弾は、シャフトの身体を透過していずこかへと消えていった。


「ここではそれも叶わない。ならば現実で殺そう。戻ってから殺そう。ちょうどいい処分の仕方を今考えた。君を襲うのは竜殻の神秘だ。ホロハニエならではの荒唐無稽だ。嬉しいかい? 嬉しいだろう? 存分に取材もするといい。 だが忠告するよ。君が何を書こうと、もう誰もそれを見ない」


 それは、一片の容赦もない言葉だった。

 ただ落とすために落ちる、断頭台めいた声だった。


 そして、その姿が消えていく。シャフトも消えていく。【編纂】とザンドラシヤが呼んだ場所から、二人が退去する——現実へと、戻る。


「————リレイツ・ウルオ・ザンドラシヤッ!」


 その前に、シャフトが叫んだ。


「あなたは一体、何をした!?」


 リアクションはこうだ。

 指を一本立てて、金髪の青年が口元に添える。


「偉大なる曽祖父曰く——」


 言葉は途中で止まり、彼は、鼻で笑った。


「——とか。もう、ここから先にはお呼びじゃないのさ」

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