追憶、レキーナ・シェス・クォス・ミッセ・ガロバウゾ


     ◆


 レキーナ・シェス・クォス・ミッセ・ガロバウゾ第十三皇女。

 彼女は、戦争に投じられた生贄であった。


 当時の帝国では、士気の低下、戦争への疲弊、皇帝への不信が——後に、支配転覆の大反乱を招くほど——深刻となっていた。

 これに対し、軍が執り行ったこそが、特別作戦部隊の結成だ。

 皇帝の血を引く直系の子が直接最前線へと赴き、戦争に身を投じる。憔悴せし民に勇気を与え、絶対勝利の意志を怪物たちへ示す——


 ——などという欺瞞の塊こそが、その部隊の核だった。


 目的は二つある。一つは、支配層に不満を抱く者が、それに連なる者の哀れな死に様を見ることで、わずかなりとも溜飲を下げる為の避雷針。

 もう一つは、華々しく出兵した皇女の遺志を継いで立ち上がれ、という戦意高揚。

 つまりそれは、最初から砕かれる為に飾り付けられた、世にも華美たる幻想虚飾。


 部隊の名は【栄光の王冠クラウンマーチ】。皇位継承など万が一にも回りようのない、いなくなろうとも何も変わらない末の皇女は、初めて政略結婚以外の用途を見出された。


 お飾りの部下として集められたのは、三百の兵。様々な理由から上官に煙たがられ、原隊より追放同然に転属させられた連中と共に、戦争など知りもしない幼き皇女殿下は、すぐさまに全滅し、生まれた意味を全うする——


 ——そこにあった誤算も、また、二つだ。


 一つ。壊される為に創られた【栄光の王冠】が、誰の予想も超えて頑丈であったこと。

 社交の場にさえ滅多に引っ張り出されない、城より出る自由もない第十三皇女は、その虚なる生涯の慰みとして国内外から膨大な数の書を集めては読み尽くしており……政争の具となっていたならば持ち腐れていた数々の知、取り分け“軍略の才”は、自由に生きて勝手に死ねと放り捨てられた戦場で真価を発揮したのだ。


 わずか三百の兵を奇想天外な策によって生かす皇女の活躍は、民に賞賛を受けるのと同時に、その死に際はどのようになるか、との暗い好奇心を一身に浴び……

 ……そして、それが誤算のもう一つ。


 誰よりも早く死ぬと見られた第十三皇女が、唯一生き延びた皇帝の血となったこと。

 彼女が、戦争の最前線で孤立して命を落とすより。

 安全な帝都でふんぞり返っていた一族が断頭台に送られる方が、少しだけ早かった。


     ◆


『号泣のような雨が、ドゥノゼウラ平原に降り注いだ日だと伝わっている。竜殻では数多の不可思議が発生するが、その日のそれは、まるで、彼女を生かす為のようだったらしい』

「————雨」


 今に生きる者にとっては遠い記録であるものを、シャフトは昨日の記憶として……肌を濡らす冷たさも、実際の実感として、思い出す。


『雨に紛れての退却、会敵の遅延が、生死を分けた。停戦の報が前線へ届き、羽衣人は攻撃を止め、彼女の身柄は捕虜として受け入れられた』

「……保護。慾帯……羽衣人の、兵士が?」

『おかしな話だと思うかな。でも、君とて知っているはずなんだがな。彼らの性質を』


 羽衣人の性質。

 それは、知りたがること。未知なる相手をわかりたがること。

 ……その最中で。時に、写したものに感化されることを、帝国は確認していて——

 

「——まさか」

『そのまさかだとも。容赦なき前線の異端、泥に塗れて悲嘆に暮れても、輝きを忘れなかった【栄光の王冠】よ。皇女率いる君たちの働きは、前線の羽衣人を感化した。有体に言って……怪物と称していた敵軍にさえ、君たちはファンを作っていたのさ』


 力の抜ける感覚が、シャフトを襲う。今の気分に、どう名を付ければいいのか、彼自身もわからない。晴れ空を見上げているような、振り返った足跡を眺めるような。


『それからの彼女については、うーん。ちょっと、私の口では説明しづらい』

「……どうして」

『そりゃあ、話が長くなりすぎるからに決まってる。語り切ろうと思ったら、酒場の一つも夜通し貸し切らなくちゃだ』


 再び、銀巨人の肩が開く。今度現れたのは一冊の本で、シャフトは一目で胸が詰まる。

【最後の皇女の軌跡】と題名の付いた分厚い本の表紙には、幼き彼女の写真が載っていた。


『レキーナ・シェス・クォス・ミッセ・ガロバウゾ。その名は現在、皇女などと呼ばれない。もっと愛を、親しみを——最大の尊敬を込めて、融和都市ホロハニエ、創立の母と呼ばれる。君が見ているのは、彼女が愛し、彼女が眠る、戦争の無い街だ』


 今一度、シャフトはそれを眺めた。

 大きな発展を遂げた街。帝都ですら追いつかない……彼女に連なり、彼女を踏みつけてきた、歴代の皇帝ですら成し得なかった、功績。


「…………はは。あははははは。そうか。今度は……君は、そんなことまで、やり遂げたのか。流石だ、レキーナ。さすがは僕らの、最高の部隊長——」


 ただただ、お見それした、という笑いが漏れる。

 ずっとそうだった。彼女はいつだって、隊の皆を驚かせることをやってのける。


『彼女は生涯の最期まで、多くの苦難、障害を乗り越えて邁進したが、ただ一つだけ。解決しきれず、気にかけていたことがある』

「——それ。教えてください。僕は、それをやらなくちゃ」 

『いやいや、その必要はない。というか、無理。だって、それがまさに君のことなんだから』


 茫然とするシャフトだが、はっと気づく。そもそもの疑問に立ち返る。

 ……自分の身に、何があった?

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