第七話

 勉強は、点数で評価される。運動だって、順位はつけられる。けれど、性格だけは順番ではない。

 性格の良さに、正解はない。誰かの目には性格の良い人だと映っても、他の人の目にはそうは映らないこともあるのだ。しかも、誰もが心の内を全て言葉にしているわけではない。表面上は良いことを言っていても、心の中では正反対のことを考えていることすらあるのだ。


「はぁ、人の心が覗けたらなぁ」


 思わずぼやいた一言に、隣でみかんを食べていた竜胆が顔を上げる。

 有給休暇中でも容赦なく呼び出してくる会社だとは言え、年末年始は会社自体が休みだった。久しぶりに呼び出されることのない完全な休みを満喫していた竜胆は、今のうちにやりたいことをやってしまおうと、朝から晩まで趣味に忙しい。

 現在もみかんを食べつつ、ゲームに勤しんでいた。


「どうしたの、急に?」

「うん、ちょっとね。人が何考えてるのか分かったら便利だなって」

「……それ、本当に便利かな? 俺は絶対嫌だな。だってさ、上司が“篠宮君、お疲れ様”って口では言いつつ“仕事まだあるんだけどなぁ、残業してくれないかな”って思ってるのもわかるってことでしょ? 絶対嫌だよ」

「そんなの、無視すれば良いじゃん。上司は残ってほしいって思ってたとしても、お兄には帰る権利があるんだから」

「無理無理無理! そんなに仕事残ってるのかな? 上司だけで大丈夫かな? 少しくらいなら残れるから手伝おうかなとか思って、結局終電になるのが目に見えてるよ」


 竜胆は頼まれたら嫌とは言えない性格だった。誰にでも優しく、何かと頼られることが多い。親戚や近所からの評判も上々で、竜胆君は性格の良い子と昔から言われてきた。


(でもその性格が良いの“良い”って、都合が良いの“良い”じゃないのかな?)


 ふとそんなことを思い、みかんに伸ばしかけていた手が止まる。

 普段よりも強いもやもやとした感情に、柚月はいてもたってもいられずに勢いよく立ち上がると自室に戻り、ダウンを羽織った。ポシェットの中に財布とスマホが入っているのを確認し、竜胆に出かけてくると告げた。


「散歩がてら、アイス買いに行ってくる」

「アイス? こんな寒い日に?」

「暖かい部屋で食べるアイスが好きなんだもん。お兄のも買ってこようか?」

「俺は良いや。寒い日は温かいものが食べたい人だから」


 のんびりとそう言う竜胆を残し、柚月は家を後にした。

 玄関から出た瞬間に顔にぶつかってきた寒風に、ダウンのファスナーを上げる。

 延々と堂々巡りをしそうな思考を一度リセットするために暖かな部屋から外へ出てきたのは良いのだが、予想外の寒さに体が震える。つい先日までは暖冬と言っていたのに、年が変わったあたりから急激に冷え込むようになった。

 手袋とイヤーマフラーを忘れていたことに気づくが、もう一度暖かな部屋に戻ってしまっては、再び外に出る勇気が出るか分からない。

 手はポケットにしまい、耳は我慢することにして歩き出す。きっと歩いているうちに体も温まって来るだろう。


 最寄りのコンビニまではさほど遠くはないが、散歩がてら遠回りして行くことにする。普段は通らない道を歩き、途中で方向感覚を失いながらもなんとか駅前に続くであろう細道に差し掛かった時、道の先に突然見知った背中が現れたのを見て思わず足を止めた。


(北上君!?)


 ドキリと心臓が嫌な音を立て、思わず電柱の影に隠れる。やましいことなど何もないのだから普通に声をかければ良いのにと冷静に考える一方で、十夜の隣に立つスラリとした美人の存在が、その考えを一蹴した。


(あの人が、北上君の彼女さん……?)


 切れ長の目が印象的な、整った顔立ちの女性だった。足が長く、腰がキュッと引き締まっている。モデルのような細身の体型は、思わず「良いなぁ」と呟きが漏れるほどに美しかった。

 並んで歩く二人が何を話しているのかまでは聞こえてこないが、かなり親しい関係なことは遠目でも分かった。肩が触れ合うほどの距離に、ときおりじゃれるように女性が十夜の肩を叩き、それに軽く応戦しては笑いあっている。


 柚月は二人が角を曲がるまで見送ると、周囲を確認してから隠れていた電柱から出た。幸いにも通りには柚月の姿しかなく、電柱に隠れるという不審な行動を見とがめる者は誰一人としていなかった。


(美咲が言った通り、北上君って彼女いるんだ)


 別に、だからどうという話ではない。柚月は十夜のことを好ましく思ってはいるが、あくまでもクラスメイトとして、友人として良いなと思っているだけで、それ以上の感情はない。


(……ない、はずなんだけどなぁ)


 そう言い切れないもやもやとした気持ちが、柚月の心の中にたまっていた。言葉に言い表せないもやもやを吹き飛ばすために出てきたはずの外で、今まで以上にもやもやとした感情を抱え込むことになるとは思わなかった。


(もう帰ろうかな……)


 アイスを食べたい気持ちはすでになくなっていた。今すぐにでも家に帰って、暖かな部屋でみかんを食べながら、竜胆のするゲームを何も考えずにぼんやりと見ていたい気分だった。

 ここから家までの最短ルートを頭の中に描きながらトボトボと歩き出し、ふと足を止める。そう言えば、十夜と彼女はこのあたりから出てきたはずだ。

 視線を左右に振れば、レンガ模様の壁紙が貼られたレトロな外観のお店が目に入って来た。

 銀色のドアノブがついた木の扉に、レースのカーテンがかかった小窓。どこにでもあるような可愛らしいお店だったが、店名を見て柚月は困惑した。


(禁断食堂?)


 禁断の上には小さく、コピペとルビがふってある。


(禁断って書くのにコピペって読むの? 月をルナって読むみたいな感じ? でも、月はラテン語でルーナって言うから、月をルナって読んでもわかるけど。もしかして、禁断のことをコピペっていう言語があるのかな? コピペって、コピーアンドペーストの略ってイメージが強いけど……)


 あれこれと悩んでいると、ガチャリと音を立てて扉が開いた。薄く開いた隙間からは、こちらを警戒しているようなヘーゼルの瞳が覗いている。


「あなた、さっきからうちの店の前で何を……って……もしかして、ユッキ? あなた、ユッキよね!?」


 怪しい者ではないと弁明しようとしていた柚月は、テンション高く飛び出してきた男性の勢いに押されて押し黙った。


「やっぱり! ユッキだわ! わー、顔小さい! 目大きい! 写真よりずっと美人さんなのね! 可愛いわぁ! ほらほら、寒いんだからそんなところに突っ立ってないで中に入って入って! 中は暖かいから!」


 大きく開かれた扉の中から、ほっと息をつくような温かな空気と共に、インクと紙の香りが漂ってくる。食堂なのになぜこんなにおいがするのだろうかと不思議に思いながらも、手招くような心地よい温度につられ、ふらふらと店内に入った。

 入ってすぐに飛び込んできた光景に、思わず目を見開く。入口の三辺以外の壁に並んだ本棚を見上げ、ぎっしりと詰まった本に圧倒される。色とりどりの背表紙はカラフルで、そこに踊る言葉も日本語だけではなかった。


禁断コピペ食堂へようこそ!」


 息をするのも忘れて本棚を見つめていた柚月の耳に、男性のしっとりとした声が届いた。

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