第六話

 チャイムの音と同時に午前の授業が終わり、先ほどまでの静寂が嘘のように教室内がガヤガヤとした喧騒に包まれる。柚月は机の上の教科書とノートを引き出しにしまうと、鞄の中からお弁当箱を取り出した。

 今日は目覚まし時計が鳴るよりも早くに目が覚めたため、母親と一緒に台所に立ち、お弁当のおかずを作った。母親の指導の下に作った卵焼きは、巻くのに手間取ったため少々焦げてしまったのだが、切れ端を味見した限りいつもと同じ味だった。


 両手に乗るくらいの小さなお弁当箱の半分はふりかけがかかったご飯で、もう半分におかずがギュウギュウに詰められている。唐揚げとミートボールは冷凍の物だが、ウインナーは柚月が焼いた。カニとタコの形のウインナーは、自分でもよく出来たと思っている。

 全体的に茶色のおかずの中で、ブロッコリーの緑とミニトマトの赤が鮮やかだった。


(卵焼きも失敗しなければ、綺麗な黄色だったんだけどな……)


 母が作る卵焼きの色を思い出しながら小さくため息をついていると、美咲と月が自分の昼食を片手にやってきた。

 今日は二人ともコンビニで買ったパンのようだった。

 前の席の子はすでに教室を後にしており、十夜も隅っこの方で友達とパンをかじっている。前と隣の席に美咲と月が座り、机をくっつけると柚月のお弁当箱を覗き込んだ。


「あれ? 今日のお弁当、何かいつもと違うね」


 いち早く気づいた美咲に、今日は自分で作ったのだと言おうとするが、月が言葉をはさむほうが早かった。


「珍しい、お母さん失敗しちゃったんだ?」


 茶色い焦げのついた卵焼きを指さし、月が苦笑する。


「朝早くからお弁当作ってるんだもん、たまにはこういう日もあるよね。でもさ、お弁当焦げてるとちょっとテンション下がっちゃうよね」


 今更、自分で作ったなどとは言えない雰囲気だった。

 柚月は「そうだね」と短く答えると、隠すように卵焼きを二つに割って口に放り込んだ。試食の時はさほど気にならなかった焦げた苦みが、舌の上に広がる。それを洗い流すように、コンビニで買ってきた紅茶のパックにストローを刺すと、勢いよく半分ほど飲んだ。

 可愛く出来たと思っていたタコとカニのウインナーも、なぜか色あせて見えて、急いで口の中に入れてしまう。

 モヤモヤとした感情に押し黙る柚月をよそに、美咲と月がお喋りに花を咲かせている。


「知ってる? 三年の江崎えざき先輩、彼女と別れたらしいよ」

「マジで? 彼女って、バレー部の笹西ささにし先輩だったよね? あの凄い身長高くて綺麗な人! えー、私入学式のときに江崎先輩見て格好良い人だなって思ったんだよね」

「じゃあ、狙い目じゃん」

「いやいや、私なんかじゃダメでしょ。笹西先輩に匹敵するような美人じゃないと。例えばさ、ユッキみたいな」


 突然名前を呼ばれ、明後日の方向に流れていた意識が戻ってくる。柚月は二人の視線を受けて、何とか彼女たちが直前にしていた会話を思い出そうとしたのだが、聞いているようで全く聞いていなかったため、思い出すことができない。


「ごめん、ボーっとしてた。何の話?」

「大丈夫? 具合悪いとか?」

「ううん、ただの寝不足」


 今日早起きできたのは、いつもよりも早く寝たからだ。睡眠時間は十分にとれているのだが、自然と口から嘘が零れ落ちる。


「もー、ちゃんと寝なきゃダメだよ。……ユッキ、江崎先輩って知ってるよね? サッカー部のキャプテンの。先輩、彼女と別れちゃったんだって」

「へぇ、そうなんだ」

「あー、ダメだこの反応。全然興味なさげ」

「興味も何も、よく知らない人だし」


 サッカー部のキャプテンに格好良い人がいるという噂は、美咲や月が騒いでいたため知っていた。けれどそれはあくまでも情報として知っているだけで、それ以上のことは何も知らなかった。江崎先輩がどんな顔をしているのかも、柚月は知らない。


「ユッキって恋バナとか全然乗ってこないけど、気になる人とかいないの?」

「んー……今はいないかな」


 今どころか、今まで一度も気になる人が出来たことが無かった。

 小中と、柚月は自分を磨くことに一生懸命で、他人を気にする余裕などなかった。勉強と運動はコツコツと毎日積み重ねるだけでそれなりの力が発揮できたのだが、性格の面でだいぶ苦労していた。

 元々、柚月は性格の良いほうではない。気を抜けばすぐに、頑固で癇癪な側面が顔をのぞかせそうになる。また小学校の時のように「可愛くて勉強も運動も出来ても、性格がね」と陰口をたたかれる心配があった。


「そう言えばさ、ユッキって北上君と仲良いの?」

「北上君? 別に、普通だと思うけど何で?」

「この前美咲とカラオケに行った日にさ、教室に忘れ物したから取りに来たら、二人で仲良く話してるの見ちゃったんだよね」


 いつのことだろうと記憶をたどり、数週間前の放課後の一コマを思い出す。


「北上君もユッキも楽しそうに話してたからさ」


 月が意味深な視線を向けてくるが、彼女にそんな顔をされるようなことは何もなかった。

 ただ、兄妹あるあるで盛り上がっただけだ。これからもっと仲良くなれれば良いなと思ったことは確かだが、そこに深い意味はない。


「違うよ、あの日は単に……」

「ないないない、その二人だけは絶対ないって!」


 美咲が柚月の言葉にかぶせるように、素っ頓狂な声を上げる。教室の喧騒を突き破るようなひときわ大きな声に、一瞬だけ周囲の視線が集まり、すぐに何事もなかったかのように元の空気に戻る。

 美咲は時々、こうやって大きな声を出して注目を浴びることがあった。周りも慣れたもので、また清野が騒いでいるよと言いたげに軽くあしらっていた。


「ちょ、美咲声大きいよ!」

「だって、月が変なこと言うから!」


 月に袖を引っ張られた美咲が、声を小さくして抗議する。二人の間で些細な言い争いがおこるが、長くは続かなかった。


「北上君とユッキだけはないって。どう見ても似合わないじゃん。ユッキレベルの子は、江崎先輩レベルの人と付き合ってほしいし」

「……まぁ、そうなんだけどさ。でも凄い楽しそうだったから」

「ユッキは誰にでも優しいから、隣の席だしって気を使っただけでしょ。ね、ユッキ?」


 同意を求められて、首を縦に振るべきか横に振るべきか考える。


(気は使ってなかった。でも……美咲が望んでる答えとは違うんだよね)


 正直に言うべきだろうか? それとも嘘をつくべきだろうか?

 どちらのほうがより、“性格が良い風”に映るのだろうか?


「大体さ、北上君って年上の彼女いるっぽいんだよね。私前に仲良く二人で歩いてたところ見ちゃったんだけどさ、すらっとした綺麗な女の人だったんだよね。……もちろん、ユッキのが美人なんだけどさ、何て言うかベクトルが違うんだよね。ユッキは可愛い美人で、北上君の彼女さんは格好良い系の美人って言うか……」


 美咲の言葉が、遠くから聞こえる。

 十夜に彼女がいたという言葉に一瞬だけ引っ掛かりを覚えるが、すぐに消えてしまった。代わりに、新たに浮かんだ疑問とモヤモヤした気持ちが溶け合い、柚月の心の中で膨らんでいく。


(……性格が良いって、どうすれば良いんだろう? 言いたいことを飲み込めば、性格が良いの? 誰かの意見にあわせることが、性格が良いことになるの? ……性格が良いって、なに……?)

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