第五話

 美咲と月はあれから何度も、柚月に化粧品の使い心地を尋ねては、今度買うと言ってそれっきりと言うことがあった。

 流石に柚月も彼女たちの言う「買う」がその場限りの言葉だと言うことを理解し始めていたのだが、もやもやとした気持ちばかりが大きくなっていた。


(買いたくないなら買うなんて言わなきゃ良いのに。別に、買わなくたって何とも思わないんだから)


 思わず小さくため息をつくと、隣の席から手が伸びてきて机の隅をコツコツと叩いた。

 顔を上げれば、北上きたかみ十夜とおやが心配そうに眉根を寄せてこちらを見ていた。


「さっきから何度もため息ついてるけど、何かあった?」


 思わず口元を抑え、取り繕ったような笑顔を浮かべる。自分が認識している以上にため息をついてしまっていたようだ。

 放課後の教室は人もまばらで、廊下の喧騒も扉に隔てられてうっすらとしか聞こえてこない。校庭ではサッカー部が汗を流しているが、窓ガラスは効果的に外の音を遮断していた。

 美咲と月は、カラオケに行くと言って、ホームルームが終わってすぐに帰ってしまった。柚月も一応誘われてはいたのだが、なんとなく一緒にいたくなくて、用事があるからと断ってしまった。


「ごめん、そんな何度もため息ついてた自覚なかった。うるさかった?」

「いや、うるさくはないんだけど、篠宮さんがそんなにため息つくなんて何かあったのかなって」


 この時になって初めて、柚月は十夜が自分のことを”篠宮さん”と呼んでいることを知った。

 先週席替えをしたばかりで、まだ隣同士になって数日しか経っていないため、彼とは初日に「よろしく」と言いあっただけだった。

 十夜は一匹狼気質なのか、あまり人と一緒にいるところを見たことが無かった。仲間外れにされているとか、社交性が無いわけではない。お昼に購買で買ったパンを友達と食べていることもあるため、友人自体はいるのだと思う。単純に、一人でいることが好きなのだろう。


「ちょっと、色々と考えることが多くてね。……それにしても北上君って、私のこと名字で呼んでたんだね」


 十夜がキョトンとした顔で、首をゆっくりと右に傾ける。

 あまりまじまじと見たことが無かったのだが、十夜は可愛らしい顔立ちをしていた。くりくりとした大きな目が特徴的で、身長もそこまで高くないため、少女のような可憐さがあった。


「だって、篠宮さんは篠宮さんでしょ? いきなり下の名前でなんて呼べないよ」

「えっと……そうじゃなくって……みんなユッキって呼ぶから」

「あ、もしかしてそっちで呼んだほうが良い? 篠宮さんがユッキって呼んでほしいって言うなら……」

「違う! ユッキって呼んでほしくないの!」


 十夜の言葉にかぶせるように、食い気味に強く主張する。言葉だけでなく体でも勢いをつけてしまったため、少々浮いてしまったお尻をゆっくりと椅子の上に戻すと、わざとらしい咳払いでごまかした。


「あ、あの、出来れば篠宮のほうが良いかなって……。学校でユッキって呼ばれるのは、何か違うかなって思って……」


 消え入りそうな声でそう言えば、十夜がふわりと柔らかく微笑んだ。

 十夜はいつ見ても真顔でいることが多く、友人といるときでさえも表情を崩しているところを見たことが無かったため、突然の笑顔に動揺する。


「篠宮さんの言いたいこと、なんとなくわかるよ。SNSって日常に含まれてるけど、でもSNSの中に日常があるわけじゃないから、あんまり日常に侵食してほしくないって言うか……自分がSNSにいるのは良いんだけど、SNSが自分になってほしくはないと言うか。なんか、上手く言えないけどさ」


 十夜が照れ笑いのような顔でそう言うと、伝わっているかどうかを確認するように上目づかいで柚月を見上げた。柚月はそれに小さく頷いて答えると、十夜がいま言った言葉を自分の中でかみ砕いて考えた。

 ユッキは確かに柚月の一部だが、ユッキの一部に柚月がいるわけではない。あくまでもメインは柚月であって、ユッキはその一部分を切り取った姿に過ぎないのだ。


「もしかして北上君もSNSやってたりする?」


 あまりにも的を射た考えに思わずそう尋ねれば、十夜が明らかにうろたえた様子で視線を左右にさまよわせた。

 どうやら、触れてはいけない部分だったようで、慌ててフォローをしようとしたのだが、十夜が立ち直るほうが早かった。


「姉貴がさ、SNSやってて。前にそんなようなこと愚痴ってたなって」

「お姉さんがいるの?」

「いるよ。ビックリするほど顔がそっくりなんだよね」

「そうなんだ? それは……」


 可愛いお姉さんだねと言いかけて、寸でのところで言葉を飲み込む。

 男性に対して可愛いは誉め言葉ではないと、以前何かの雑誌で読んだことがあった。


「篠宮さんは兄妹は?」

「お兄ちゃんがいるんだけど、うちは兄妹で全然似てないよ。一緒に歩いてても、お友達ですかってきかれるくらい」

「良いな。俺なんて、姉妹ですか? ってきかれたことがあってさ……」


 笑って良いものなのか、それとも同情すべきなのか、どちらのリアクションを取ったら良いのか分からずに微妙な表情で固まる柚月に、十夜が力なく肩をすくめた。


「笑いたきゃ笑って良いよ。でもマジで、姉貴と歩いてると双子の姉妹って言われることあるから、一緒に歩きたくないんだよな」


 ボヤく十夜と共に、年上の兄弟がいることの利点や欠点をあれこれと言いあう。時には自慢し、時には愚痴を言っている間に、柚月の心の中にあったもやもやが薄れていくのを感じた。


(北上君って、とっつきにくい人かと思ったんだけど、話しやすい人で良かった。これからもっと仲良くなれると良いな……)


 そう考えている柚月の後ろで、そっとその光景を見ている人がいることに、お喋りに夢中になっていた二人は気づかなかった。

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