第二話

 柚月は昔から、可愛らしい子供だった。物心つく前から日常的に可愛いと誉められ、物心ついてからも何かにつけて容姿を誉められた。

 朝起きておはようと言い、夜眠る前にお休みと言うように、柚月にとって可愛いと言われることは日常の取るに足らない挨拶の一つだった。

 小学校に上がる前までは、ただ可愛いだけで全てが許されていた。

 例えお菓子を余分にねだっても、公園で遊び足りないから帰りたくないと駄々をこねても、真剣に叱るのは母親くらいなもので、兄と父を含めたその他の人はみんな、我儘放題の柚月でも許してくれた。


 可愛いだけではダメなのだと気づいたのは、小学校の初めてのテストのときだった。

 他の子たちが平然と良い点数を取る中で、柚月の答案にはバツがたくさんついていた。もう少し頑張りましょうと書かれたスタンプが押されたのは、柚月だけだった。


「しのちゃんって、可愛いけどお勉強は苦手なんだね」


 憐れむような眼でそう言ったのは、満点を取った女の子だった。柚月は顔を真っ赤にしながら答案用紙をグチャグチャに丸めると、ランドセルの中に放り込んだ。

 今までは、何か気に入らないことがあっても可愛いが免罪符になっていたのに、勉強に対しては柚月の武器は全く役に立たなかった。可愛いからと言って、五十点が百点に変わることはないのだ。


「あのね、柚月。可愛いだけで許されるのは、幼稚園までなのよ」


 皴の寄ったテストにため息をつきながら、母がため息交じりに呟いた言葉が心に深く突き刺さった。


「学校ではテストで点数が付けられるし、社会に出てからは仕事の能力だって求められる。可愛いって言うのはプラスにはなっても、絶対的な価値ではないのよ」


 幼い柚月には、母の言っていることは難しくてよく分からなかったが、可愛いだけで全てが上手くいくわけではないと言うことは分かった。

 幼稚園の頃に戻りたいと涙したのは、一日だけだった。

 次の日からは勉強を頑張り、無事にテストで満点を取ると鼻高々に周囲に見せびらかした。


「しーちゃんって、可愛いくてお勉強も出来るんだね!」


 大きい花丸のついたテストを見ながら、友達がそう言って手を叩いた。次々とかけられる称賛の言葉は、柚月の自尊心を大いにくすぐった。

 可愛くて勉強もできると言われると、二倍誉められている気分だった。


(可愛いはプラスになるって、こういうことなのかな?)


 幸い柚月は要領が良いほうで、授業だけで大体の内容を理解できた。家に帰ってから予習と復習を短時間やっただけで、満点が取れる程だった。

 勉強という難関を突破すると、もっと褒められたいという欲が芽生えてきた。


(勉強もできて運動も出来たら、もっと褒めてもらえるかな?)


 兄を先生として、縄跳びの練習もかけっこの練習も頑張った。

 柚月は運動神経が特別良いわけではなかったのだが、コツをつかむのはうまかった。一度理解してしまえば、後は自分のやりかたでメキメキと力をつけて行った。


「しーちゃんって、可愛くてお勉強も運動も出来て、凄いよね!」


 友達からの称賛に、当然という表情で「まあね」と返すようになったのは、小学校高学年の時だった。誰もが誉める特別な人間だという認識は、日に日に大きくなっていった。


 自分は完璧な人間なのだと思い込んでいた柚月の鼻がへし折られたのは、卒業式の日だった。


「しのちゃんって、可愛いしお勉強も運動もできるけど、性格がね……」

「分かる。怒りっぽいし我儘だし、ちょっとね……」


 卒業式も無事に終わり、帰る前にと寄ったトイレの個室で、柚月はクラスメイト達の陰口を聞いて衝撃を受けた。

 確かに柚月は、怒りっぽくて我儘だった。気に入らないことがあるとすぐに不機嫌になり、自分の要求が通るまで機嫌が直ることはなかった。

 一瞬で沸騰しかけた頭を、深呼吸で落ち着ける。平常心を保ちながら冷静に考え、柚月は小さく頷いた。


(……そうだよね、性格も良くないとダメだよね)


 個室から音を立てて出れば、突然の柚月の登場に驚いたのか、今まで陰口をたたいていた子たちが押し黙った。

 気まずそうに顔を見合わせている同級生を鏡越しに一瞥し、その中に同じ中学に進む子がいないことを確認すると、柚月は極上の笑顔を向けた。


「みんな、中学は別々だけど、また遊ぼうね」

「あっ……うん。また遊ぼうね」


 最も饒舌に陰口を言っていた子が、引きつった笑顔でそう答える。

 柚月は「バイバイ」と機嫌よく手を振ると、トイレを後にした。

 扉が閉まる寸前「聞こえてなかったのかな?」と囁くような声を耳にしたが、ぐっとこらえて歩き出す。

 今までの柚月なら嫌味の一つくらいは言っていたと思うが、それこそが性格が悪いと言われる一因なのだと自分を叱る。


 柚月は、自分の顔が好きだった。

 自分の顔だと分かっていながらも、鏡を見るたびに可愛いと思った。ナルシストと言われようが、好きなものは好きなのだから仕方がない。

 そんな可愛い容姿にとってマイナスになる要因を、少しでも排除したかった。可愛いけれどもダメな部分があるよねと言われることが、屈辱だった。


(中学からは、勉強も運動も頑張って、性格も良くしないと)


 この可愛い容姿に似合うように、完璧な子にならなければいけない。

 その一心で、柚月は全てのことを頑張った。

 結果として友人に勧められるままに始めたSNSでも人気になり、企業から案件が来るまでになった。


 頭が良くて運動神経も抜群で、性格も良い、誰もが称賛するまさに完璧な美少女。

 柚月が欲しかった言葉が毎日送られる日々。

 それなのに、柚月の心の中には言葉にできないもやもやとした感情が溜まっていた。

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