第三話

 あれほどの大作が通らなかったのだ、きっと穂乃果の話が通ったのも、ただの幸運だったのだろう。

 ネットの掲示板には、一次を通るのは運だと書かれていた。それなりの文章力があって、一冊の本にまとめられるだけの文字数があるものの中からランダムで選び出しているだけなのだ。その話には、賛同者がたくさんいた。

 本番は二次選考からで、そこでやっとちゃんとした選考を受けることが出来るのだと。

 だからきっと、穂乃果の話は一次通過どまりだろうと思った。

 それなのに“魔石から描く虹を越える”は、予想に反して二次も通過してしまった。

 驚き半分、戸惑いがもう半分、そこにほんの一さじの喜び。


(でもきっと、賞は無理なはず。私の話が、本になるわけがない)


 そう思っていたのに、結果発表のページには胡桃胡桃の名前が大きく載っていた。

 他の人が知るよりも一足早く、胡桃胡桃の魔石から描く虹を越えるが大賞の次に大きな賞を射止めたと言うことは知っていた。同時に漫画化の賞もダブル受賞し、順調に作画担当を選んでいるという話も聞いていた。

 それでも、穂乃果は実際に結果発表を見るまでは信じていなかった。何かの間違いで穂乃果のもとに連絡が来てしまったのかもしれないと、戦々恐々としていた。


 何度見直しても、穂乃果の名前はそこにあった。

 ようやく訪れた実感に、ジワリと喜びが広がっていく。結果発表直後からPVは跳ね上がり、感想もつくようになった。

 恐る恐るSNSで検索してみれば、読んだ人たちが呟いた感想が次々と見つかった。誰もが穂乃果の話を絶賛し、書籍を待ち望む声や漫画を楽しみにしている声であふれていた。

 中には、アニメ化まで望む声があり、穂乃果の自尊心が膨らんでいくのがわかる。

 今までは仁科家の落ちこぼれだった穂乃果だが、今は違う。みんなが認める大作を書くことができる胡桃胡桃なのだと鼻を高くしていたとき、そのコメントが目に留まった。


「正直、みんなが良いって言うから読んでみたけど、文章力が低すぎて読みにくくて一話切りしたわ」


 伸びかけていた鼻が、根元からポキリと折れる音がした。

 すぐに否定のコメントがつくが、中には賛同する人もいた。


「分かる。なんか気取った文章で読むのが辛いわ。キャラクターもペラペラで深みが無いし、世界観も雑すぎ」


 結局、胡桃胡桃は天才的な作家などではなく、ただの穂乃果のペンネームに過ぎない。胡桃胡桃の中の人が穂乃果である限り、が穂乃果を越えることはない。

 百の肯定的なコメントを貰っても、一つの否定的なコメントが気になってしまう。

 最高評価がいくつつこうとも、最低評価がつけば気持ちが沈んでしまう。

 そのうち、穂乃果の目に肯定的なコメントは見えなくなっていった。否定ばかりを探すようになり、見つけては自分の至らなさを思い知って唇を噛んだ。


 家族に祝福されても、担当編集者に称賛されても、穂乃果の話を楽しめない誰かの言葉ですべてが帳消しになってしまう。

 定期的に書いていた更新も止まり、校正から送られてくる赤文字だらけの修正原稿に胃がキリキリと痛む。

 もっと自分に才能が有れば、もっと自分が両親や兄のように優秀なら、人を不快にさせることも誰かを煩わせることもないのに。


 パソコンの前に座ることすら苦痛だった。けれども、ここで穂乃果がすべてを放り出してしまうと、せっかくここまで携わってくれた人たちの労力を無駄にしてしまう。

 大勢の人が関わっているのだから、頑張らないことを頑張るなどと言ってはいられない。頑張らないといけないのだ。仕事なのだから、甘えたことを言ってはいられない。努力して、頑張って、何とか形にしないといけない。


「胡桃さん、最近更新止まってますけど大丈夫ですか? 書籍化作業がお忙しいとかですかね?」


 久しぶりに来た猫教竜胆からのメッセージに、穂乃果は「大丈夫です」と返信する以外にできなかった。


「僕が言うのもなんですが、あまり根を詰めすぎないでくださいね。成功した人をやっかむ人って、どこにでもいますから。あいつらは、ただ悪口が言いたいだけです。そこに意味なんてないんですよ」

「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」


 笑顔の顔文字を泣きながら送る。

 猫教竜胆になら悩みを言っても良いのかもしれないと思ったのだが、彼は今、他のコンテストに出す小説を書くのに忙しい。穂乃果のことで時間を取らせたくはなかった。

 歯を食いしばって何とか一巻の発売日にこぎつけたのと時を同じくして、書下ろしの依頼が舞い込んできた。


「胡桃先生に、ぜひ短編の書下ろしをお願いしたいと……」


 担当編集者からのメールに、穂乃果は考える時間が欲しいと告げた。


「そうですよね、二巻の作業もありますし、先生のご予定に合わせます!」


 決断の先延ばしに過ぎないと分かっていたが、今の穂乃果にはすぐに答えるだけの余裕がなかった。

 心の中ではやりたい気持ちもあったが、真っ新なところから新たな物語を作り上げるのは怖かった。

 悶々とした気持ちのまま、久しぶりにきた真央からの誘いに、穂乃果は一筋の希望を見出していた。

 真央は何事も決断力があり、率先して周りを引っ張っていた。頼りになる姉御肌の彼女なら、穂乃果の考えを聞いて良い助言をくれると思っていたのだ。

 本音を言えば、真央が背中を押してくれればと淡い期待を抱いていた。


「大丈夫、穂乃果ならきっと出来るよ」


 そう言われることを望んで会った席で、真央は穂乃果を突き放した。


「好きなことをして認められたのに、そんな詰まらないことで悩むなんて、はっきり言って贅沢だと思う。結局はさ、穂乃果がどうしたいのかじゃないの?」


 真央の言っていることは、正論だった。他人に決めてもらおうなど、甘い話はないのだ。


「色々あるとは思うけどさ、頑張ろうね。私も、穂乃果も」



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